大森林と、賢者と邪竜と狐獣人と
『フハハハハ! 馬鹿め! この偉大なる暗黒竜ウラガンの前に現れるとは!』
見上げるほどに大きく夜闇よりも黒い邪悪なる竜ウラガンは、たった一人で現れ、杖を携えた人間に問いかけた。
『せっかくだ、俺様に名を名乗れい!』
人間は白い生地に、銀糸で防御魔法の織り込まれた全身を覆うローブを纏っている。頭巾を目深く被っているので、顔は見えない。
邪竜に話しかけられた人間の青年は顔を上げ、アメシストのような紫色の目で邪竜を見上げながら言った。
「聖王国リランの第七王子、エアハルト・アイクシュテット・ローデルハイド」
『第七王子って、半魔族の忌み子ではないか! フハハハ、お前、この俺様の討伐に行かされるとは、死ねって言われたようなものだろう?』
エアハルトは邪竜ウラガンがお喋りをしている間に、魔法を展開させる。巨大な魔法陣が邪竜ウラガンの目の前に浮かび上がった。
『馬鹿だな。この俺様の鱗は、どんな魔法をも撥ね返す――えっ?』
邪竜ウラガンは眩い光に包まれ――黒い小型鼠の姿となってしまった。
「お前の力は封じた。これからは、弱き者として生きろ」
『な、なんじゃこりゃあああああ!!』
鼠の姿となって、驚くウラガン。当然ながら、力を揮うことも魔法も使えない。
ただの、喋る鼠と化してしまったのだ。
エアハルトは邪竜の力を封じたことを喜ぶこともなく、光のない目を向けていた。
聖王国リランの第七王子エアハルトの活躍により、世界を恐怖に陥れた邪竜ウラガンは倒された。
エアハルトは国王より、『大賢者』の位が与えられ、大英雄として称えられることになった。
世界は平和になったが――。
◇◇◇
金色の波打つ髪に青い目をした美しい狐獣人の少女は、初老の狐獣人の男に引きずられるようにして森の中を進んでいた。
「ひゃあ!! こんな軽装で森に入るとか!!」
狐獣人の少女は森に入るに相応しい服装ではなかった。頭からヴェールを被り、胸元が大きく開いた花嫁衣装のような装いだった。
森の中には刃のように鋭い葉や、棘の生えた蔓などが自生している。厚着で入ることは基本中の基本であった。だが、そんな訴えも空しく、乱暴に手を引かれてしまう。
「い、痛い!」
「ええい、黙れ! 身寄りのない、しかも、半獣人のお前を十年も育ててやった恩を、忘れたというのか!」
「いやいや、あなたたち毎日私をこき使ってたじゃないですか! ご恩と奉公の精神で、共生生活をしていたと思うけれど!」
半獣人とは、獣人と人との間に交わった子を呼ぶ。見た目は狐獣人であるものの、寿命が人間と同じくらいしかないことが特徴だ。
誰もが振り返るほどの美しい少女だった。
しかし、半獣人が普通の獣人と交わるとさらに寿命が短い子どもが生まれる。そのことから、村では忌み嫌われていた。
明るくて前向きな半狐獣人美少女――ユマラはめげることなく、毎日働いていた。だが、現在絶体絶命のピンチにある。
狐獣人の森の最深部にある大精霊の神殿を、誰かが発いたのだ。
怒り狂った大精霊は、村に雷を落とした。死者は出なかったものの、民家三棟が全焼した。
大精霊の怒りを収めさせるために、村から生贄を捧げることになった。選ばれたのは身寄りがなく、狐獣人であるユマラだったのだ。
「お前の命さえ捧げたら、大精霊様の怒りは収まる!」
「いやいやいや! 人身供犠とか物騒です! そういうの、時代遅れだと思いますが!?」
そんな話をしているうちに、大精霊の神殿へ到着してしまう。そこは石造りで、出入り口には鉄の扉が嵌め込まれている。
普段は魔法で封じられており、誰も入れないようになっていたが――。
神殿を発いた犯人は見つかっていない。
犯人探しよりも、大精霊の怒りを治めることが先決であった。
「中へ入れ」
どん!と背中を押され、ユマラは神殿の内部へと入る。
「ぎゃん!」
地面に激突しそうになったが、尻尾がクッションとなり間一髪。
倒れ込んだ先には精霊像があった。
中は壁や地面に刻まれた呪文が青白く光り、幻想的だ。
「大精霊様の像には、いくつもの宝玉があしらわれていた。それが、無くなっている! お前が犯人なのだろう?」
「だから、神殿が発かれた日は、あんた達家族に芋の煮っころがしを作っていました! おいしい、おいしいって食べていたでしょう?」
「うるさい!!」
「村長様の声のほうが大きいのに」
「なんだと!?」
狐獣人の村の村長は腰のベルトに差していた、大振りのナイフを鞘から引き抜く。
「減らない口は、こうしてやる!!」
「ヒイイイイ!!」
ナイフの刃が眼前に迫る。
ユマラがぎゅっと目を閉じた瞬間、地面に魔法陣が浮かび上がって発光した。
痛みに備えてぎゅっと目を閉じ、奥歯を噛みしめていた。
だがしかし、想定していた衝撃は襲って来ない。
不思議に思ったユマラは、そっと瞼を開く。視界の端で、頭から被っていたヴェールがハラリと落ちていくのが見えた。
目の前にいたのは――癖のある黒髪に、眠たげな深い紫の目を持った、見目麗しい男性である。身の丈より長い杖を持ち、神官服のようなゆったりとした恰好でいた。年頃は二十歳前後か。
目が合ったユマラは恐慌状態に陥る。
「ギャアアアアア!! 大精霊様、お許しを~~!! 私は、あの日は芋の煮っころがしを作っていてえ~~!!」
「芋の、煮っころがし、って?」
「ええ、その、得意料理ですが」
「……」
二人はじっと見つめ合う。
それが、大賢者エアハルトと、狐獣人ユマラの出会いの瞬間であった。