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不死の戴冠  作者: りょうま
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第8話

 やや湿っぽい林のそばにある階段を登りきると、汚らしい字で神田雑貨店その先と書かれた看板が出てくる。そこから少し歩いた先を右に曲がる。

 そこにあるのが、目指す神田雑貨店である。

 藤井は雑貨店を目の前にして、タバコを一服吸おうとライターで火を付けた。

 煙の行方を目で追う。すると、雑貨屋—―というよりは廃墟のような店の全貌が見えてくる。

 本来は白かったであろう壁には、所々に苔が生えている。壁に穴でも空いたのか、雨や風が入らないように修繕した跡も見受けられるが、板を貼り付けただけの雑な補強で、一歩間違えればお化け屋敷のようだ。

 この時代錯誤な雰囲気が、周りの気温を2、3度下げているようだ。湿度は高いのに冷ややかで、墓石はないが墓場を思わせる、不思議な空間である。

 この神田雑貨店は、藤井の旧知の間柄である神田寛治の経営する店である。

 戸を叩くと、それに反応したのか、店の影からやや痩せた黒い猫がにゃおと顔を出した。神田が飼っているひじきという名のネコだった。

 店の主が出てくる様子はない。だが、扉には只今営業中の看板が出ている以上、留守という事はないだろう。気が付くと、ひじきの姿が消えている。

 藤井が二本目のタバコに火を付けようとした時、扉が開いた。

 髪の長い、これまた痩せた、人相の悪い男が出てきた。

 男は腹でも壊したかのような顔をして言った。

「君も落ち着かない男だなぁ。店の前でいつまでも突っ立っていられたら迷惑だぜ。営業中という看板が目に付かないのかね? 入れば良いじゃあないか。僕はまた、しつこい新聞の勧誘かと思ったぜ」

「迷惑というがね、客なんか来ていないじゃあないか。閑古鳥が巣を作って鳴いているようにしか見えないが」

「人の事が言えるかい。君のとこの雑誌だって鳴かず飛ばずじゃあないか。月刊としてる癖に発売したり休刊したり、一定のマニアックなファンがいるお陰で何とか持ってはいるみたいだがね。こう発行がバラバラだと、希少なファンだって離れていくだろう。出版社は本を出版してなんぼだからね。そうなると最早廃刊となるのは時間の問題だろうから、君も次の就職先を探しておきたまえ。少々なら、人を紹介しても良い」

 神田は一気にそう言うと、ぶっきらぼうに手招きして、藤井を店に招き入れた。

「あいにく妻は出掛けていて紅茶は出ないが、インスタントコーヒーで良ければ出すよ。入るかい?」

「元々君に用があって来たのだ。コーヒーはいらないから、話を聞いて欲しい」

 神田は少し眼を細めた。痩せたこの友人は、藤井君、面倒事はゴメンだぜといいつつも藤井を座敷まで招き入れた。


 店は本当に営業する気があるのかと疑うほど散らかっている割に、座敷の方はテーブルと座布団が2組分あるだけで、きちんと整理されていた。神田寛治という男は掃除なんぞ産まれてこの方した事がないような粗忽者であるから、思うにこれは神田の奥さんの仕業だろう。せめて生活スペースくらいは綺麗にしておきたいのだ。生活の場すらタバコやゴミで溢れた藤井の部屋とはエラく違う。

 神田は、先程藤井がいらぬと言ったばかりなのにインスタントコーヒーを2ついれてきてくれた。粉を熱湯で溶かしただけらしいが、大層香りが良かったので、ありがたくいただく事にした。

「僕なんかは妻と違ってあまりこういう嗜好品はあまり好まないものだから、味の保証はしない。運がよければ飲めぬこともないだろうから、君に勇気があるのなら、飲んでみたまえ」

「コーヒーの粉をお湯で溶かすだけなのに飲めぬことがあるのか」

 恐る恐る口に運んでみる。やや苦いところを除けば、至って普通のコーヒーだった。飲めぬこともないと伝えると、神田は、そうか今日は運が良かったようだと安堵の表情でコーヒーを飲んだ。

「苦い。苦いな、これは」

「君が作ったんじゃないか」

「僕ではないよ。ひじきさ」

 如何にも不味いという顔で、神田は言った。

「ひじきってのは、君のとこの無愛想な猫の事かい? 猫がコーヒーを二人分作って持って来たと言うのか!」

 神田はいちいち大きな声を出すなよと言って、眉を釣り上げた。そして多分わざと、言葉を区切りながら言った。

「持って来たのは、僕さ。コーヒーを作ったのが、ひじきだ」

「だから、分からないって」

「どこが分からないんだい。レストランだってフロアと厨房は別々の人間がやるだろう。それと同じさ」

「違うって。僕が言っているのはだな、君のとこの猫……ひじきか。ひじきがコーヒーを作ったっていう部分だよ。猫がそんな事を出来る訳がないだろう。コーヒー豆を喰う猫は聞いた事があるが、コーヒーを作る猫なんてのは聞いた事がないよ」

「それは君の見識が狭いだけさ。現に僕のひじき作って、それを君は飲んだ訳だから、認めたまえよ。ちゃんとコーヒーだっただろう? 何を困る事があるのだ」

 困りはしない。確かに困りはしないが、藤井は納得出来ない。

「神田君、やはりどうしても納得いかないよ。そこまで言うのなら、ひじきがコーヒーを作るところを見せてくれよ」

 神田はやれやれといった表情を作って、君ねえとため息をついた。

「君は本当に漫画家かね。漫画家だったら、へえそれは面白い組み合わせだねとか言えんのかね。例えばそこのテレビを付けたとして、今の時間だと昼のワイドショーがやっている時間だろう。妻がいつも見ているやつだ」

「だろうね」

「テレビってのは、電波信号をを光に変換してディスプレイに表示しているらしいが、僕らはそんな仕組みを知らなくったってテレビが見れるじゃないか」

「そりゃあそうだ」

「ふん、だったら分かるじゃないか。テレビさえ見れれば、信号を宇宙から飛ばそうが隣の山田さん宅から送信しようが構わないのだ。僕らには何の支障もない。テレビは面白かったり、情報源として使えば良いのだ。君の場合、飲んだコーヒーがひじきが入れたものだろうが僕が入れたものだろうが関係ない。毒とか猫の毛とかが入っていれば問題だが、そんな事はないしね。むしろひじきが作ったのだと信じてしまった方が、猫の入れたコーヒーを飲むという珍しい体験を出来た事になるのだからお得だ」

 だから、受け入れたまえと神田は言って、猫の入れたコーヒーを一気に飲み干した。

 こうなるとどこかの宗教家のようだが、神田がニヤニヤとしながらこちらの反応を伺っているところを見るに、単にからかっているだけらしい。

「まあ、分かったような分からんような理屈だが、僕の漫画に例えるならば、ペンネームのようなものか。描いているのが藤井だろうが夢枕獏だろうが、名前はどうでも良い訳だね。読んでいる人間が楽しめるか否か、という訳かい」

「夢枕獏は小説だけどな。陰陽師」

 藤井は読んだ事がなかった。名前だけ知っていただけである。それを感じ取った神田は、ますます上機嫌になった。

「ほら見ろ。君だって作者の事を知らないじゃあないか。知らなくたって小説は読めるだろう? 分かるだろうが、小説家は話を考えて文章に興すだけだぜ。実際に印刷するのだって販売するのだって別々の人間さ。書店に運ぶのにだって流通があるだろう。それをいちいち説明するのが面倒だから、名前で蓋をするのさ。この漫画を作ったのは誰ですか? 藤井です。で済む。途中の過程は省略可能だ」

「なるほどね」

 頷いてみたものの、藤井はまだ納得が行かない。

「その辺に関しては了解したよ。でもそれにしたって、猫がコーヒーってのはやはり納得出来ないな。豊富な人生観が邪魔をする」

「そりゃそうだ。まあ、もったいぶっても仕方がないな。ネタばらしをしよう。おーいひじき」

 神田がそう言うと、奥から白い着物を着た少女が現れた。

 肌の白い、痩せた少女だ。歳の頃は14、5といったところで、真っ黒な髪を真っ直ぐに伸ばしていた。

 そして何よりも藤井の目を引いたのが。

「おい神田、なんだこの女の子は」

 その少女には、猫のような耳が頭からぴょこんと生えていた。

 藤井の知る限りでは、神田に娘はいないはずである。

 いたとしても、娘に猫のコスプレをさせる親なんていてたまるか。

「何って、さっき店の前で会わなかったね? コイツがひじきだよ」

「おい、ふざけているのか。ひじきってのは猫だろう」

「だが、この姿ならコーヒーを作ったとしても不思議はあるまい?」

「いや、まあそうだが」

 それ以上の問題が出てきただけである。

 藤井が何も言い出せずにいると、突然神田は腹を抱えて笑いだした。

「君が言いたい事は分かるよ。だが別に不思議な事でもなんでもない。この耳は作り物で、この女の子は……まあ、ウチの従業員さ。おい、急に呼び付けて済まなかった。下がっていい」

「おいおい、しばらく会わない内にどうかしてしまったのか。若い女の子を雇うのもそうだが、よりによってコスプレさせて接客させるなんて」

「うるさいなぁ。独身の君と一緒にするなよな。第一にこの子は16歳だからバイトは可能だし、給料だってちゃんと渡している。それにあの耳は、まあ、この子の趣味のようなものだ」

「趣味?」

「あるいはキャラ作り」

「ますます分からなくなった」

 藤井は去っていくひじき(人間)を目で追いながら、苦いコーヒーを飲み干した。

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