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不死の戴冠  作者: りょうま
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第3話 死なない男

 誰だって死ぬのは嫌なものだと思う。死への恐怖というのは、あらかじめ脳にインプットされたプログラムで、死について考えた時、もしくは死に向かうような動作をした時に強制的に起動し、死への漠然とした恐怖――例えば、死ぬとどこへ行くのだとか、死ぬと痛いだろうとか――を思い起こさせ、死ぬのを予防するセキュリティソフトのようなものだろう。

 だが、たまにそのセキュリティが正常に作動しなくなる人もいる。

 しかしそれこそが正常で、死にたくなる事なんてなにも特別な事じゃないと僕の知人は言う。

 僕自身は、どうだろう。

 僕は、2週間前にトラックに撥ねられ、死にかけた。死にかけたという事は、まだ僕は生きている。死んでもおかしくないような致命傷だったらしいけれど、特に障害が起こるという事もなく、時間さえ経てば元通りになるという話だ。

 僕はトラックに轢かれた時、その死の恐怖とやらを感じただろうか。関が無事かどうかの方が頭をよぎったのではなかったか。死んだら怖いとか、死んだらどうなるとかは、全く考えもしなかったのではないか。

 僕は死の恐怖を感じなかったのか。

 だったら、僕は普通じゃないのか。


 それとも――もう、慣れたのか。


 関に車椅子で屋上まで運んでもらった時には、既に何人もの人が屋上に集まっていた。ほとんどが看護師や医師のようだが、ちらほら他の患者の姿も見て取れる。要は野次馬だろう。

 若い看護師が、屋上の端っこの人物に遠巻きから声を掛ける。

「ば、馬鹿な事はよすんだ。こんな高さから落ちたら、ただでは済まない! 死ぬぞ!」

 その人物――どうやら若い女性患者のようだ――は、隈がある落窪んだ眼を血走らせた。

「何よ! 死にたいって言ってるのよ私は! どうして私ばっかりこんな目に会うのよ! ばっかみたい! みんな死ねば!」

 どうやらかなり精神的に追い詰められているらしい。今にも飛び降りそうな雰囲気である。

「彼女、何があったんです?」

 関が野次馬の1人に聴いた。

「ああ、お嬢ちゃん。大変な時に来たな。俺も今来たとこだが」

「お嬢ちゃんという敬称は好ましくないですね」

「は?」

「まあいいです。それで、あなたも今来たばかりという事でしたけれど、事情を知っていそうな方はどなたかご存知ですか?」

 男はやや驚きながら、多分あの人なら知っていると思うよと、白衣の医師を指した。関はぶっきらぼうな挨拶だけして、医師の元へと向かった。僕も車椅子で続く。

 僕は少しだけ周りを見渡したが、何故かみんな冷静に騒ぎを傍観しているだけのように見えた。なんだが、ドラマのワンシーンを撮影しているようだ。

 白衣の医師は、初老の男性のようだった。彼は野次馬から少し距離を置いて、騒動を眺めている。

「ああ、ええと、星崎さん。君は重体なんだから、安静にしていてくれないと困ります。それと、この騒ぎに関しては気にしないで良いですよ。どうせ飛べやしないんです、彼女」

 医師は僕の事を担当した先生のようだった。見た目の割に声が高く、早口なので聞き取りづらい話し方だ。

「どういう事です?」

 と、関が聴いた。

「ああやってある人の気を引こうとしているだけなんですよ、彼女。あ、ある人って言うのは、今彼女を必死で説得している男の子の事ね。ウチの若い医者で古木って言うんだけど。彼女はウチの患者で江口さん。江口さん、病気して入院してるんだけど、担当してる古木の事がどうやら好きになっちゃったらしいんだよね。僕は何度か彼女から相談受けたけども、うん、古木くんイケメンだしねえ、若いし。うん、若い」

 お喋りな医者は、物凄い早口でそう言って、江口と古木の方を見た。

 江口は相変わらず、死んでやる! と叫んでいる。その目の前で、古木はおろおろと慌てふためいている。

「お、本日5回目。累計19回目の死んでやるだな。一応ね、ほんとに飛ばれちゃ困るから集まってはいるけど、もう少ししたら落ち着くと思うよ。古木くんも慣れちゃったのか、慌てる演技も板についてきたなぁ」

「演技なんですか、あれが」

 本当に必死で説得を試みているようにしか見えない。

 医師は笑って言った。

「演技演技。僕が教えたの。僕、大学の頃演劇のサークル入ってたから」

「それより、その古木さんは江口さんの気持ちに応える気はないのですか? もし断るならキチンと断った方が、彼女の為ではないのですか?」

「ちゃんと断ったと言えば断ったんだけどね。うーん、事情が事情だし仕方ないんだけど、それが原因で今回の騒ぎなんだよね」

「事情というのは? 既に恋人がいるからって事ですかね? それとも、既婚者とか?」

 この中の誰よりも野次馬な関は、次々に質問を投げ付けている。医者の方も相当お喋り好きらしく、1尋ねられたら3返すような性格のようだ。お陰で勝手に古木や江口のプライバシーの情報がどんどん入って来る。患者の個人情報とか、守秘義務なんてものはないのだろうかと、僕は余計な心配をした。

 どうやら江口は、栄養失調でこの病院に入院したらしい。栄養失調の理由は拒食症である。その拒食症になった原因はというと、このお喋りな医者(尾関というらしい)によるとだが、彼氏に振られたからという事だった。黙って聞いていた関は、その部分だけ過剰に反応したが、尾関には伝わらなかったようである。

 尾関は続けた。

「とまあ、そんな感じで精神を病んじゃった江口さんは、懸命に治療をした古木くんを好きになっちゃったらしいんだよね。彼、何にでも一生懸命だし、若いしね」

「恋に年齢は関係ないでしょう」

「そうかな? まあ僕の知り合いも70で30代の女性と結婚したしねえ。羨ましいとは思わないが。でも彼等の場合はねえ、もうちょい事情が複雑というか、複雑な事情というか」

「というと?」

 関はどうやら聞き上手でもあるらしい。上手く合いの手を入れて、尾関が乗りやすいようにしている。

「ああ、僕もお喋り過ぎだよなぁ。まあ、古木くんも隠してないし、いいのかなあ」

「是非ともお聞きしたい」

 なんだか尾関が関に取材を受けているみたいだ。

 尾関は少し声のトーンを落とした。

「彼ね、いわゆる同性愛者なんだよ。オカマとは違うみたいなんだけど、男が好きみたい。僕はそういう世界は良くわかんないだけどね」

「……なるほど」

 他に恋人がいるとか妻帯者という訳ではなかったようだ。だから、その事実を知った江口は、より不安定になったのだろう。

 __なんで私ばっかりこんな目に会うのよ!

 そういう事だったのか。

 気が付くと、騒ぎはすっかり落ち着いていた。

 江口は、魂が抜けたような顔で、古木に連れられて行った。

 尾関も、じゃあ星崎君も早く病室に戻りなさいねと言って古木の後に続いた。

 関は尾関を目で追いながら言った。

「何事もなくてよかったよ。目の前で飛ばれちゃ、目覚めが悪いしね」

「僕は関さんの目の前で撥ねられたけどな」

「まあね。あの時は焦ったけどな、冷静に考えたら、そんなに慌てる事はなかったと後悔しているよ」

「心配くらいはしてほしいけどなぁ」

「だって君は死なないじゃないか。撥ねられようが飛び降りようが、煮ろうが焼こうが絶対に死なない特異体質。それが君、星崎星落だろ?」

「……まあな」

 僕は2週間前、トラックに轢かれ、死にかけた。

 通常なら死んでもおかしくない、大重体だったらしい。

 脳漿をぶちまけたという関の冗談も、もしかしたら本当なのかも知れない。

 僕は車椅子から立ち上がる。

 もう、どこも痛くない。

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