始まりの章 りょうま
雨は昨日から降り続いていた。
その影は、繋がれた数珠のように煌く石をひとつづついたわるように磨いていた。
そして最後の一つを磨き上げると天高く掲げ、何事かつぶやきながら力強く天に向かって投げつけた。
煌く石の塊は、天空高く突き進み、やがて、見えなくなった。天は何事もなかったかのようにその色を変えなかったが、天空の先に小さなきらめきが現れ、その光は輝きを増すと、爆発するようにきらめきを広げ、四方に飛び散ってやがて静かに消えた。
天は何事もなかったかのように静寂をとりもどした。
きらめきを投げ上げた影もその姿を消してしまった。
あたりには降り続く雨だけが取り残されていた。
ひめは、今日もいつもと同じ、退屈な授業の中にあくびをかみ殺していた。
昨日の夜、眠れなかったのではなく、お気に入りの動画を繰り返しみていて空が明るくなってあわてて布団の中にその身をすべりこませたのだ。
だから、興味がまったくわかない日本史の授業は明け方の小鳥のさえずりと同じくらい眠気をさそう子守唄となってあくびを連発する羽目となっていた。
だいたい、学校の授業と言うのは、生徒を眠らせるために構成されていて、教師と言う職業は、生徒を眠らせる天才としか思えないくらい退屈を絵に描いたら世界一だと言いたい職業だと思う。
特にこの日本史の教師、須佐之の授業は睡眠薬よりも催眠効果が強いと思えて仕方がない。
生徒の間でも、わかりにくさナンバーワンと評判をとっていて、この学校の日本史レベルはおそらく全国で最下位1、2を争うのではと心配もされていた。
しかし、この日本史の教師須佐之の顔とスタイルは、全国1,2を争うほどすばらしい美形で、性格がもう少し明るければ、女生徒の誰もがアプローチしたくなるような容姿をしているのだ。
そう、その暗い性格がなければ、いや、ほんのちょっとでも明るさがあればきっと、世の中が大きく変わっただろうと言うほど暗いのだ。
授業も、ぼそぼそしゃべるだけで、面白いことはひとつも言わず、用意してきた資料をただ棒読みで時間をうめるだけなのだ。
それなのに、なぜか授業中騒いだり、話をしたりするものは一人もいない。なにか、静かにしていなければならないような独特の空気が存在しているのだ。不思議なことに、みなあくびをかみ殺しながらも寝てしまうものも一人もいない、そんな空気がこの須佐之と言う教師にはあるのだった。
だが、ほとんど授業の内容はだれも聞いていないだろうと思われることもひめの学校の7不思議の一つに数えられているのだ。
その上、親戚でも何でもないのにひめと苗字が一字違いでで、クラスメート達から春先には、いろいろ言われたときもあったのだ。
「あー、めんどくさい、」
そして、それをいつもはやしたてるのが、幼稚園の時から小学校、中学校も同じクラス九頭矢津男だった。
ひめは、幼いころから九頭が苦手だった。
いつも気が付くとそばにいて、ひめにいじわるをしかけてくるのだった。幼稚園の時には、階段の上から押され、危うく大怪我をするようなこともあった。小学校のときは靴の中にトカゲを入れられたり、中学校では、自転車にいたずらを仕掛けられ、ブレーキが効かず、坂道で危うく死にかけたこともあった。
そのたびにひめは九頭の仕業であると訴えてきたのだが、なぜか、九頭の仕業ではないと言うことに話は落ち着いてしまうのだった。
ひめは、そんな九頭と離れるため誰にも教えることなく隣町の高校を選んだのだが、入学式の時、九頭の顔を見つけたときには背筋が凍る思いになったのだった。
高校に入ってからは、ひめが心配するようなことも起きず、次第に恐怖心は無くなってはきていたが、九頭はこの須佐之に対するときだけは非常に好戦的でなにかと言うと須佐之を揶揄するような発言をし、名前が似ていると言うだけでその矛先は時にひめにも向くのであった。
しかし、当の須佐之は一切そんな九頭の発言には、興味を示さず、いつものように淡々と授業をすすめていた。
九頭がいなければひめの高校生活はまんざらでもなかったはずなのだが、いつもそこに暗い影のようにその存在はあったのだ。
そして、ひめは授業のたびに同じことを考えながらあくびをかみ殺していたのだ。
授業の内容はいつもほとんど聞いていないので、最初気がつかなかったが須佐之の授業は歴史を過去から追うのではなく現代から逆に進んでいく独特の授業スタイルをとっている。
もしかしたら、真剣に聞いていたなら、それなりにおもしろいのかも知れないが、そんなことをしている者はひとりもいないのも事実だった。
今日も相変わらず一人で黙々と資料を読み続けている須佐之がふと顔をあげた瞬間にひめと視線があってしまった。
その瞬間、ひめは体の中に電流が走ったように須佐之の視線から逃れられなくなった。
須佐之の瞳は、深い悲しみと同時にやわらかな暖かさをたたえていて、ひめは吸い込まれそうな気がして、なんとか、その視線から逃れようとしたが体が膠着したように動けなくなりその瞳のとりこになってしまった。
須佐之は資料に目を戻すことなく語りはじめた。
それまで、一度も授業内容を聞いた事がなかったはずなのに、現代から悠久の時に向かう歴史がひめの心と体を突き抜けていった。
「え、私、須佐之が言ってる事がわかる。どうして?これまでの百数十年は何事もなかった。そう、この間、何事もなかった、え、明治?維新?も何事もなかった。どういうこと?
それなのにその直前にあった?死んではいけなかった?なに?どういうこと?助けられなかった!もう一度?やりなおす?どういうこと?え、わたし?わたしなの!」
須佐之の瞳は深い蒼に輝き、ひめはその視線に吸い込まれそうになった。いや、吸い込まれていった。
ひめはようやく視線をはずすのではなく、瞳を閉じることに行き当たった。
「そう、目をつぶればいいのよ、そうすれば、吸い込まれなくてすむわ」
ひめはその目を閉じることに成功した。須佐之の視線から逃れる事ができた。
いや、出来たと思った。
目を閉じた瞬間に体がふわっと浮いたような気がした。そしてその次に体が急激に深い谷に落ちていくような感覚に襲われた。
そして、どこまでも落ちていった。その行き先もわからないまま、どこまでも落ちていった。
落ちていくさなかひめは、目を開けてみた。
しかし、周りは漆黒の闇で覆われ、目を開けていても閉じていてもかわらないような暗闇だった。
ひめは、落ちていく感覚の中、胎児のように体をまるめた。
膝を抱えた瞬間、何も身に着けていないことに気がついた。
近所の高校の中でものすごく可愛いと評判の淡いグレーの制服も先週ママと出かけたときに買ったばかりのキャミソールと上下おそろいのローズピンクの下着もなくなっていた。そしてまさに胎児のように身を丸くして、一糸纏わぬ姿で落ちて行ったのだ。
それでも落ちていくことを怖いとは感じなかった。何かなつかしい、そして、落ちていく事が初めてではないような感じを受けていた。
「なんだ、これって、いつも見ている夢と一緒じゃない、と言うことは、私、寝ちゃったんだ。これで納得、あまりにも退屈な授業で、誰もやった事がない、ついに須佐之の授業で寝ちゃったんだ。
やったー、て授業中寝ちゃいけないんだけど、あー、でも、戻りたくない、お願い、だれも起こさないで、このまま、寝させて頂戴。昨日遅かったのよ。
そのかわり、最新のダンスと歌、誰よりも一番でマスターしたんだから、放課後、由梨と芽衣に自慢してやるんだから、あー、だから、起こさないでね」
そんなことを思った瞬間、ひめは強く叩き付けられるように地面に落ちた。いや、どうやら目的地に着いたらしい。
落ちたところは、草むらで、地面が柔らかく、強くたたき付けられたとは言いながら、そんなに痛みも感じなかった。
あたりはどうやら、夜で、人里はなれた里山のようなところだと次第に判ってきた。
空には満月が高く上っていて当たりは月明かりで以外に見渡せるのだった。
里山はそんなに高くないらしくふもとには、人家があるらしく街の灯りも見えていた。
ひめは、立ち上がって、草にまみれた体を払おうとした。
「えー、ちょっと待って、服着てないじゃん。どういうこと、ま、夢だから関係ないか。それにしてもずいぶんリアルな夢だねぇ、周りのものがよく出来すぎてるよ。ハ、ハ、ハックション。寒、ちょっと寒いよこれは、どうしよう、あ、これ何んだ?」
どうやら、本当に夢の中の出来事らしく都合よく出来ているのか、ひめのすぐそばに衣類のようなものが落ちていた。
「何、これ?着物?ま、いいや、とりあえず夢だからね、え、でも、これ、何?下着がないよ。どうやって着るの?」
とにかく、ひめはそこにあった着物のような物をなんとか身に纏ってみた。
「あー、パンツはいてないから、何かすーすーする?昔の人はこんな感じだったのかなあ?
え、昔って、私、昔にいるの?ここは、どこ?私はだれ?って、私はひめじゃんか。ま、よく出来た夢だということね。これ、どこで醒めるのかな?
夢だとすると中途半端なところでジ・エンド、覚えていないケースもあるか。
ま、とりあえず楽しんでみますか、と言うことは、この辺の探検開始。時代もよくわからないけど、
て、わたし、こんなに積極的だったっけ?いつも引っ込み思案で人見知りで、由梨と芽衣以外友達いないし、男子にいたっては、小学校の高学年になってからまともに誰とも話していないし、
ダンスと歌に出会わなかったら、由梨と芽衣とも親しくならなかったし、ま、背だけはそこそこ高くて、すらっとしているわりに出るとこ出てて、顔も小さいからかなり、スタイルがいいぐらいだけどね。
そ、顔も本当は、かなりキュートで、素顔をさらすと男子がうるさいから、髪と眼鏡でかくしてるんだけどね。なんてね、夢の中だから言いたい事が言えるわけだ」
自分勝手な妄想を繰り広げながらひめは、里山を降り始めた。歩き出してすぐに足元がはだしであることに気づいた。いや、気づかされたのだ。
「いた、た、た、ちょっとー夢なのにこの痛さはなあに。これじゃあ歩けないじゃん。
夢なら、せめて、痛みを感じさせないくらいの配慮って物があってもいいと思うんだけど」
そんなことをつぶやいていた時、ひめは背後に人の気配を感じた。
気配を感じて振り向こうとした瞬間、その男は、ひめに飛び掛り、倒れたひめの上にのしかかってきた。
「な、なに、誰?何する・・・」
ひめの上に馬乗りになった男が叫ぼうとしたひめの口を押さえ、声をふさいだ。
叫ぶこともできずに、ひめは、もがくように抵抗を試みたが、男の力は強くどうすることも出来ない。
男の汗臭い体臭がひめの鼻をつき、まさに男に襲われた実感をどうすることも出来ない。
男は押さえつけながら着物の胸元を開き、出るところは出てると自慢していた胸をつかんできた。
胸をつかむ時ふさがれた口が自由になり、ひめは、ようやく声をだして叫んだ。
「だ、誰かー、たすけ・・・」
そこまでで、再び口がふさがれ、男はほどけた細い帯でひめを縛ろうと試み始めた。
ひめも必死に抵抗を試みるのだが、男の力は強く、成すがままに縛られようとしたその時。
「おまん、何しよっとがー、そのおなごを離せ」
そう言うと現れた男がひめの上に馬乗りになっていた男にけりを入れた。
ひめの上からころがるように離れた男が、その身を反転し、けりを入れた男と対峙した。
あとから来た男も身構え、ふたりの男の間に一瞬の静寂と緊張が訪れた。
ひめは、後ずさり、二人の男たちと距離をとった。その時、
「須佐之―!」
ひめは、思わず叫んでいた。
助けに現れた男はまさに催眠術のような授業を続けている天才魔術師のような歴史の須佐之だった。
ひめが叫んだ声をきっかけに男たちは動いた。
ひめを襲ってきた小太りの男が須佐之に向かって体当たりをしかけてきた。
しかし、須佐之は、すばやく身をかわし、小太りの男の背後に回りこんだ。
小太りの男は須佐之に触れることも出来ずに背後から再び須佐之のけりを食らうことになった。
もんどり打って倒れた男は、しばらくして立ち上がり、今度は、闇のかなたをめがけて走り去っていった。
小太りの男が走り去っていったのを見届けた須佐之は、
「大丈夫か、こんな夜更けにおなごが一人でふらふらしちょったら、ろくな事はなか。幕府の力が衰えた今は、あんなやからが五万と出てくるでよ」
「あのう、先生?じゃないんですか?」
「はー、先生?わしは先生じゃなか、りょうま、ちゅうもんじゃ。偉い先生なら、世の中いっぱいおるがな」
「あ、先生じゃないんだ。あ、ありがとうございました。」
「おう、ほんま、気―つけんといかんぜよ。このあたりは物騒じゃけんのう」
「はい」
「で、おまん、こんな時間にこんな場所で何しちょったんじゃ」
「何って、それが、私にもよくわからなくて」
「家はどこじゃ、送っててやるから教えてちょうよ」
「家は、えーと、花咲町の2丁目3番地なんですけど」
「はなさきちょう?どこやそれ?このへんでは聞かん地名じゃな」
「あ、夢んなかだから、えーと、ここはどこですか?」
「はーん、おまんの言いよることは、今ひとつ良くわからんのう、ここは京のはずれの右京林っちゅうとこじゃが」
「京のはずれ?右京林?えー?私、どこにいるんだろ?どうなってるの?夢にしてはリアルすぎる?あ、」
りょうまと名乗る男と話しているうちにひめは襲われたときにほとんど半裸になっている自分に気づいて、あわてて着物を手繰り寄せ着なおした。
「おまん、着物の着方もようわからんのか、ちょっとこっちへ来てみい」
そういうとりょうまは、ひめの着物をきちんと合わせ、帯まで締めなおしてくれた。
「ありがとう、着物なんて着たこともなかったから」
「着物なんて着たこともなかった?ほんま、おまんの言うことはようわからんの。で、家もようわからん、と言うことは行く所もないんか?」
「行く所?はあ、今のところ、特には」
「あー、ほんま、わからんやっちゃのう。わしが、たまたま通りかからんかったらあの男に襲われてそのあとは売られとったぞ」
「襲われて売られてた・どう言うこと?」
「あー、もうえー、もうえー、おまんと話とったら夜が明けてしまうわ」
「はあ、夜が明ける?あ、そしたら目が覚めるかも」
「はあー、とにかくこんなところにおったらあかんわ、わしが借りとる家はそこやから、とりあえず、わしところに来い。」
「はい、よろしくお願いします。りょうまさん。え、りょうま?どっかで聞いた名前だなあ?」
「どっかで聞いた?おまん、わしのこと、知っちょうか?」
「あ、いえ、聞いた事があるような気がしただけですから」
りょうまとなのる男の家は里山を降りてすぐのところにあった。
家とは言っても母屋のとなりにある納屋のような建物で真ん中に囲炉裏が切ってあり、龍馬が石のようなものを叩いて器用に火をつけるのをみていたひめは、ほんのわずかな時間の間にのどが渇ききっていることに気がついた。
「あのう、何か飲み物はありませんか」
「飲み物、あー、そこの甕に水が入っちょるから好きなだけ飲んだらええが。」
「亀?亀の中に水?冷蔵庫じゃなくて」
「なんじゃ、その冷なんとかは、そんなもんわしゃ、しらんぞ」
「あ、そうか、これは、昔だから冷蔵庫はないんだ。失礼しました。そのかめ?ってどこですか?」
「そこの入り口んところの茶色いやつがそうじゃ」
「はい、で、コップは?て、きっとコップなんかないよね」
ひめは、ひしゃくの水で喉を潤した。
「おいしい、これ何処の水ですか?」
「どこって、そこの川の水じゃが」
「そうですか、おいしい?」
「腹は減っとらんのか?」
「お腹は、5時間目の授業なので食べたばかりです。」
「そうか、あいかわらず何を言うとるのか、ようわからんが。そしたら寝るか。」
「はい、あ、寝たら醒めちゃうかもしれないから、もう少し」
「なんじゃ、ま、ええわい、わしは寝るぞ」
「寝る前に、ひとつだけ」
「なんじゃ?」
「今は、何時代ですか?」
「今は、何時代?あー、ほんまようわからんのおまんは?今は、慶応3年じゃが、それで答えになっちょるか?」
「慶応3年、わっかんねえなー、あ、さっき、幕府がって言ってましたよね」
「あー、幕府が軟弱じゃから、この世の中を変えていかんといかんのじゃ」
「変えていかんと、いかん、あー、ひどい駄ジャレ?幕府って徳川幕府?」
「そうじゃ、その徳川幕府に変わって新しい世の中を作るんぜよ」
「将軍って何代目?」
「何代目って、今の慶喜公は15代目じゃが」
「あ、わかった。今は幕末だ」
「幕末?は、は、は、そうか、幕末、幕府の世も末と言うことか。」
「と、言う事は、明治維新」
「めいじいしん?」
「なんじゃそれは?」
「と言う事は?」
「と言う事は?」
「あーーー、思い出せない。もっと須佐之の授業しっかり聞いとくんだった」
「おまん、おもしろいのう、ほんま、どっから来たんじゃ?」
「いやあ、どこからと言われても、ま、これは、私の夢の中の世界ですから」
「おまんの夢の中の世界?わしは、おまんの夢の中の世界の住人ちゅう事か?」
「ま、そう言うことになるかも?」
「ほう、それで?」
「えーとですね、歴史の授業の最中に、須佐之、あ、これ、歴史の先生で、これがまたつまらない授業で、いつも眠くて、でも何故か眠れない不思議な授業なんですけどね。
それなのに中身はさっぱりわからないと言う世界遺産級のすっごい授業なんですけど、私、その授業中に寝ちゃったんですよね。おそらく人類史上初の須佐之の授業中に」
「ほう、そんなすごいいきさつがあったのか。それで」
「で、その須佐之ってのが、りょうまさんにこれまたそっくりで、うりふたつ。」
「ほう、ほう、わしにそっくりとな、そりゃまた、ええ男じゃのう」
「そう、りょうまさんにそっくりなんだけど、そりゃあ、ひどく暗い性格で、一度も笑ったところ見たことないし、いつも暗くて陰険で、結婚なんてそりゃあどうみても無理って感じで女の子とおそらく話したことなんて一度も無いって感じ、あれは、どうみても彼女なんて一生できないね。」
「なるほど、それで、おまんは、寝てしまってここにいるから、それでこれはおまんの夢ん中に違いないと」
「そう、だから、私が目覚めたら、この明るくかっこいいりょうまさんも消えてなくなると」
「おい、おい、勝手に露と消えてなくなるなんて決めんでくれんかのう?ええか、これがおまんの夢の中としよう。するとわしがこれまで生きてきよったこのわしの生涯と言うのもおまんが夢の中でこさえたちゅう訳かいのう?」
「ま、そう言うことになりますね」
「ほう、わしはおまんの夢の中で命を張って世直しをしちょるっちゅうわけか」
「あれ、だんだん自信なくなってきた、これって私の夢の中ですよね」
「わしに聞かれてもわからんぜよ。は、は、は、は、と言う事は、わしはどんなに無理してもおまんの夢の中っちゅう訳じゃから、やりたいことをやりたいようにやってもええっちゅうこっちゃの」
「あー、やっぱりわかんなくなってきた、じゃあ、りょうまさんは何処で生まれてこれから何をしようとしてるの?」
「わしか、わしは土佐の生まれよ、いろいろあったけんど、今は、この腐りきった世の中をぶった切って新しい世の中を作ろうと思っているぜよ。」
「新しい世の中って?」
「今の幕府の体制では、能力があってもその力を発揮する事が出来ん仕組みになっちょる。それに外国がぎょうさん、この国を飲み込もうと虎視眈々と狙うて来ちょるそんな時にこん小さな国の中で幕府じゃ、長州じゃ、薩摩じゃとか言うとる場合じゃ無か、それで、大政奉還と言うすごい事が起きたんじゃが、まだまだ、これからは、もっとみんなの力を合わせて大きゅうならんといかんのじゃ、そんためにわしは働いちょる」
「へえ、りょうまさんてすごいんだねぇ、でもそんなんだったら敵も多いんじゃないの?」
「敵?自分の身のまわりしか見えんやからにはうるさかろうな、今も幕府の有象無象に襲われて帰ってきたところじゃ」
「えー、大丈夫なの?」
「大丈夫もダメも、わしはおまんの夢ん中の住人じゃから心配なかろう。ただ、明日ここを離れて京の街中の近江屋に身を寄せようと思うちょる」
「あ、そうなんだ、それは・・・いい・・」
そこまで話をしたところで、ひめは、まどろみ始め、やがて眠ってしまった。
夢の中の夢は、りょうまと言う須佐之にそっくりな男に心引かれ、次第に愛し始めている自分に気づくと言う様なところで朝がやってきた。
鳥の声に今朝は起こされ、夕べ襲われたときに暴れて力を入れたのだろう、筋肉痛が全身を襲っていた。
「あー、次の日に筋肉痛が出るなんて、やっぱり私は若いわねぇ、ま、17歳で年寄りになったらかなわんけれど、でも、体が痛いなぁ、夢の中だったのに、寝ながら力はいってたのかなぁ」
「おう、目ば、醒めたか。」
「目ば、醒めたか?あーーー、まだ、夢が続いてる」
「ほうか、まだ、夢は続いちょるか、良かった、良かった露と消える運命であったかとわしは、よう眠れんかったぜよ」
「えーー、あーー、ホントだ、夢が続いてるーーー」
「おまんは、どうする?行く所が無いんじゃったら、わしと一緒に行くか?近江屋へ」
「あーーーー、夢が醒めないから本当に行く所がないーーー!いいの?一緒に行って?迷惑じゃないの?」
「袖摺りあうも多少の縁と言うじゃろ。実際わしにもようわからんが、おまんとは初めて会った気がせんのでのう。前世で何か因縁があったのやもしれん。わしと一緒に行こうぜよ」
「あ、よろしくお願いします。」
「それじゃあ、まずは、その寝乱れた着物をきちんとしたほうがいいぜよ。目のやり場にこまるで、は、は、は、おまんの寝相も大概じゃのう」
「え、あーーー」
夢の中のはずなのに寝ても目覚めても現実は変わらず、龍馬に見られてはいけないものまで見られてしまったひめは、生まれて初めての羞恥の中をさまよってしまった。
この夢は、果たして醒めるのだろうか?それとも高校生だったあの生活が夢であったのか、少なくとも今の現実はりょうまにたよって生きていくしかない現実が目の前に横たわっていた。
現実は以外にもすぐにやってきてしまっていた。
「あのう、」
「なんじゃ?」
出かける準備に追われている龍馬にひめはおそるおそる尋ねた。
「あのう、トイレはどこですか?」
「と、い、れ?なんじゃそれは?」
「あのう、お手洗いは?」
「お手洗い?」
朝の尿意を感じたひめは、次第に我慢できなくなりもじもじとしはじめてしまった。
それを見た龍馬は、いち早く察してくれたのがせめてもの救いだった。
「は、は、はは、そうか、といれ?じゃな、なるほどなるほど、おまんの世界ではそんな風に言うのか、それなら、外じゃ、そとに大きな厠がある、まさにかわやじゃがな」
「え、外?」
「ここには、厠はない、外の川で用をすますじゃな」
「えーーーー、川―――」
ひめの尿意はタイムアップ寸前で、矢も盾もかまわず川に向かって走っていくことになった。
夢の中の世界なのに現実があまりにも押し寄せてきてひめはだんだんと自信がなくなってきていた。生まれて初めて川で用をすませたひめは、
「あー、夢が醒めてもこの川の水の冷たさは忘れられない」
と現実と夢の狭間を改めて感じていた。
戻ると龍馬が
「ところで、おまん、名は?」
と聞いてきた。
「あ、ひめです」
「ひめ、良い名じゃ、よし、ひめ、出かけるとするか」
りょうまはそう言うと、ひめに草鞋を履かせてくれた。
とてもじゃないが一人でははく事は出来ないような代物だったが、歩き始めて、昔の人の知恵に驚かせられた。
以外に軽くそして歩きやすいのだ。
幸い、天気も良く、りょうまの世直しの明るい話っぷりや、ひめの暮らす平成の世の話に興味を持ったりょうまの質問攻めで道中は以外に飽きることもなく京の街中へと二人は進んで行った。
京の町はひめの想像よりもはるかに大都会で、見るものすべてが新鮮でひめは中学の修学旅行よりも感動を覚えた。
また、りょうまはさすがに京の町に詳しく、あの時のガイドよりも詳しくいろいろ教えてくれたのだ。
ひめは、そんなりょうまと歩むうちに昨夜見た夢のように龍馬に好意を持ち始め、男と女には時間の経過ではなく、引かれていく事があると言うことを身をもって感じたのだった。
ひめの初めての恋は、夢の中で、しかも幕末の志士であった。
近江屋は京の町中でも比較的大きな屋敷で、厠も川ではなくひめはそれだけでもほっとしたのだった。
近江屋では、ことの他、りょうま歓迎し、いたれりつくせりの歓待ぶりだった。
そして、ひめがうれしかったのは、出てくる料理が美味しくて、本格的な京料理を改めてすごいと感心していたのだ。
そして、なによりうれしかったのは、近江屋には、風呂が付いていて、毎日入る事が出来たのだ。
そして、ひめの着物もかわいらしい女の子らしい着物まで揃えてくれたのだ。
近江屋に来てからりょうまのもとには毎日誰かがやって来て密かに話をしていくのだった。
そんなある日、ひめは驚愕した。
なんと、りょうまもとにあの、九頭がやってきたのだ。
いや、正確に言うと、九頭にそっくりな男がやってきたのだ。
ひめは、いつもりょうまの密談の時には顔も出さず、もちろん、話の中身など聞いてもいなかったのだが、その時だけは、隣の部屋で聞き耳をたてた。
九頭に良く似た男は低くぼそぼそとした話し声で何をいっているのか良くわからなかったが、りょうまの返事でおよその見当はついた。
外国の船から最新式の武器をごっそりだまし取ってしまうと言うことのようだった。
りょうまも外国の最新式の武器には興味はもちろん持っていたのだが、ビジネスにも長けていたりょうまは正式な取引として武器を調達する事が正しいと主張し、二人の意見は平行線をたどった。
万が一、九頭に良く似た男の言うとおりに動けば、武器は手に入るかも知れないが、りょうまの思う新しい世の中を作り上げるのに正義がなくなってしまう。
りょうまの主張はひめが聞いていてもすばらしいものであった。
しかし、九頭に良く似た男も主張をまげず、ふたりの話し合いは決着のつかないままその日は終了した。
九頭の狙いは、りょうまが動かなければ、人を動かす事が出来ず、また、りょうまが動けば、外国船の船長も船にその大勢を乗せるに違いないと言うことなのだ。
九頭に似た男は、仲間との間でりょうまを説得できると言い切ってきていたと見え、かなり執拗にりょうまに迫ってきていた。
その裏では、りょうまの存在がなければ、りょうまにとって代わって浪士を動かし、そして、この国を自分が思うように動かすと言う思惑すら見え隠れしていた。
しばらくしたら再び訪れることを約束して九頭に良く似た男は帰っていった。
近江屋に滞在して1週間が過ぎたころ、りょうまが風邪を引き、寝込んでしまった。
ひめは枕元で看病をしてすぐ横で休むことにした。
そして、夢の中の夢にふたたびひめは出くわした。その中でひめは女子高生で、退屈な毎日を送っていた。
退屈な日々の象徴の須佐之の授業にもあくびをかみころしながら出席していた。
しかし、その日の須佐之の授業は少し違っていた。目の輝きがりょうまと同じ目の輝きだったのだ。
ひめは思わず、りょうま、と心の中で叫んでいた。
須佐之は幕末について語り始めていた。
幕末の志士、坂本龍馬がもしも生きていたなら、今の世は大きく違っていたと言う。
そして、龍馬はその志半ばで、暗殺され、その生涯を閉じたこと、そして、大きな闇が龍馬を時の狭間に追いやったのだと。
「阻止せねばなりません。龍馬を死なせてはならないのです。そして、闇の力を抑えねばなりません。闇の力は、大きく育ってきています。そして、光の力は抑えられているのです。いまこそ、光の力を解き放ち、闇の力を抑えねばならないのです。いまだ目覚めぬ光の戦士よ、闇の力の前に力尽きてはなりません。
龍馬を死なせてはなりません。近江屋にいてはいけません」
ひめははっと我にかえった
りょうまはあいかわらず、苦しそうな息をしていたが、ぐっすりと眠りこんでいた。