Cs 蓄積してゆくもの
戦争は激化の一途を辿る現在、難民の保護態勢は未だ整っていない。幾分か余裕のある者であっても、避難民の全てを保護し、安全を保障できる人数には限界があった。その様は、例えるとするならば小さい容器にバケツ一杯の水を注ぎ込むようなもので、ギリギリまで入れるにしても、水量を調整せざるを得ない。
現在、イスカを含む避難民たちが見つけた場所は、正にそんな状態であった。そこでは既に、身内と親戚などの近しい者の保護で一杯になっており、イスカ達を保護できるスペースなどは殆ど無かった。
そう、殆ど。
「悪いな。あんたら全員に食わせると、どれだけ節約しても近い内に底をついちまうんだ」
その一言を最後に、シェルターの鉄扉は閉められた。容器から溢れ出さないよう、保護する人を選別したのだ。
選別から外れたのは、労働力として劣る子供と老人。そして、食料の消費量が多いと言う理由で、男性。
緊急時に於いては、人間の内側が如実に表れるらしい。シェルターの主は、避難民の中の若い女性をシェルターの中に保護した。イスカの叔母も、比較的若かったが故に。
親類か親族か、引き離されてしまう者達に対して悪いと思っていないのは、鉄扉を閉めた時の表情からして明らかだ。選別された女性達は、今後はこのシェルターの中で男性の性処理に使われるのだろう。
その想像に至らなかったのか、当の女性達は安堵の表情を浮かべていた。結局は人間、どれほど大事なものがあろうと自分の命とだけは代えられないものだ。
家族と別れると知って悲痛な表情をしようが、内心では密かに生存の喜びを感じているのだろう。
締め出された子供達からは、すすり泣く声すら聞こえない。ただでさえ一週間、碌な休憩も無しに歩いて来たのだ。食事も最低限のものばかりで、十分だったとは到底言えるものでは無かった。子供達の心には、既に限界が来ていた。
そして、幼い心とは単純で、だからこそ曲げられない。兄や父親を徴兵された者も少なくはなく、最も信頼できる両親が側から離れて行ってしまった子供は、もう疲弊しきってしまった。
「この状態は非常に良くないな。早くなんとかしないと、不要な犠牲を増やす事になりかねない」
「だが、どうする? 儂等を抜くとしても、子供達だけで十二人。この人数を保護する余裕のある施設などあるまい。かと言って少人数で分ける訳にも行かぬだろう。考える程に絶望的になっていくぞ?」
「だから困っているんだ。僕たちでは何も出来ないから誰かの手を借りるしかない。じゃあその誰かは何なんだって事になって、結局何も進まない」
他の老人に子供達のカウンセリング、及び管理を任せている間、頭を抱えるのは足の怪我で徴兵を免れていた青年リカルドと、以前住んでいた村の村長であるミゲル。
主に頭を働かせているのは、現在までこの二人だ。
「……埒があかないな。打開が出来ないなら現状維持だけでもと思ったが」
しかし、それでも所詮は人間。限界はある。彼らも家族と離れる事になった者なのだ。ミゲルに関しては息子が徴兵され、孫娘を流れ弾で亡くしている。辛く無い筈がない。
「休もう。今はみんな疲れ過ぎている」
「それが良いだろうな。今は」
いつも通りには行かなくなっている。この精神状態では、万全な働きは出来ない。こうやって考えようとする意志が残っているだけでもマシと言えた。
随分と久しぶりに思える休憩をとる事に決めたリカルドは、固いコンクリートを枕代わりに寝転がる。寝心地は最悪だが、人間これで案外休めるものだ。極度の疲労状態の際には突然気を失って倒れるように、必要になればおよそ文化的ではない生活にも対応できてしまうようだ。
「ここで市街戦を始める事はまずあり得ないだろうな。何かあったら起こしてくれ」
物事を悲観的に考えない事。精神衛生上、これは悪い選択ではない。現状、最悪の事態などはいくらでも考えられる。数え上げるのが馬鹿らしくなるくらいに。だから考えない、余計に神経をすり減らすだけなのだから。
人が聞けば、思考放棄と言うのだろうか。寝転がるリカルドを見て、ミゲルはそう考えた。
それこそ、考えるだけ無駄か。
「どれ、儂も少し休もうか。骨の折れる事ばかり続いたからのう」
結局、最善も最悪も分かる筈が無い。どれだけ想定しようが、想像しようが、それ以上もそれ以下も存在するのだ。
ミゲルはボロ布のカーペットに腰を下ろした。これからどのようにして生きていくか、他の人のストレスを溜め込ませないように、或いは解消するためにどうするか。
持って来た食料も心許ない。水もそろそろ底が見えてきたため、どうにかして補給しなければならないだろう。
するべき事は山ほどある。何より、これからも野宿と言う訳にも行かない。
「拠点を確保せねばな……」
苦笑した。
リカルドと同じように考えるのを止めたつもりだったが、どうにも人間と言う生き物は、何も考えたくない時ほど考えるのを止められないらしい。
またリカルドを見る。
此奴も、何かを考えずには居られないのだろうな。
何の気なしに子供達の方を向いてみると、ぽつりぽつりと瓦礫を積み上げて遊んでいる子が見られた。比較的心的ショックの軽い者だったのだろう。もしくは他の子より精神の強い子なのか。
どちらにせよ、今が最悪ではない事だけが分かった。
「ふん、人がまだ笑えるだけ良しとしようか」
なんとかなるだろう。酷く軽い、楽観的な気持ちでミゲルは口角を上げた。
……間も無く、日が落ちる。
朱い空に響く烏の鳴き声が、彼らの行く先を暗示しているようだった。