警告
「ところでトゥル・エル、“ふぉーらぅんあいと”、という言葉の意味を知らないか」
宴の場に戻りながら、ぼくは気になっていたことを聞いてみる。
「……? いや、わからん。どこで聞いた?」
「ドラゴンの縄張りで見慣れない人と会った。あんたがいっていた中年女性ではなかったけど」
「その者と話したのか?」
ぼくがうなずくと、トゥル・エルは何やら考え込む。肝心の言葉の意味はわからないようだ。こちらの言語ではないのだろうか。
「いまの話、本当?」
近くで声がして、近付いてくる人影があった。見たところ二十代半ばくらいの女性。村の人間と同じ簡素な服を着ているが、髪を高く結いあげ、どこか理知的な風情がある。身体も顔立ちもすっきりとして中性的。元いた世界でなら細い銀縁眼鏡でもかけて、図書館の司書なんかやってそうなタイプだ。
「あなたが、“龍の使い”ね?」
ぼくは頭を下げるだけに留める。いままで彼女を見た記憶はない。被り物集団のなかにいたとしたら別だが、おそらく初対面だろう。
トゥル・エルが彼女を見て、両手を顔の前で重ねた奇妙なお辞儀をする。女性は同じ仕草で答える。何らかの敬意を受ける立場にあるわけだ。
訝るぼくを、彼女はまっすぐに見る。
「わたしは、ミレアル・エル。いまの話を詳しく聞きたいの」
妙に熱っぽい視線は、どうやら知的好奇心のようだ。
「彼女は龍の言葉を話す。古い巫女の血を引いていて、王都で神職に就いたこともある才媛だ」
「では、ぼくが聞いたのは龍の言葉だと?」
彼女は少し首を傾げた。高学歴の人間が自分より理解力や知識が低い相手に話すとき、よくこういう顔をする。その後は色々だ。膝を折って目線を合わせる人間もいれば、突き放して見下す人間もいる。
「龍の言葉と呼ばれているものは、古語なの。伝説によると、古の神の言葉が神獣である龍を介して人間に齎され、ひとは言葉を話せるようになった。長い月日の中で言葉は形を変えて、いまは古語を使う者も理解できる者もほとんどいない。巫女や神職者が神事に使うために覚えるか、都の学者が古文献を読むために学ぶくらいなの」
森の水場で会った女性は巫女にも学者にも見えなかった。もしそうだとしても日常生活で初対面の相手に古語など使うわけもない。
……やはり、“龍の使い”か。
「それで、さっきの“ふぉーらぅんあいと”というのは?」
「正確には、“フォエラ・エゥン・ルァイト”。己が道の先を照らせ。警告の言葉よ。その人は、あなたに何かを伝えようとしたのね」
「良くないことが起きると?」
「たぶん。ただ、神話のなかでその言葉が使われたのは神から受難者に対するもの。激励の意味の方が強かったと解釈されているわ。そして実際、受難者が苦難を乗り越えたとき、神は彼を受け入れたの」
嫌な予感がする。眉をひそめるぼくを見て、トゥル・エルが笑みを浮かべる。
「だったら大丈夫だ。この男の名はシン。偶然ではない」
「わたしなら、むしろ悪い冗談だと思うけど」
ぼくもだ。
鼻を鳴らす。どこかから、焦げ臭いような匂いが漂ってきていた。バーベキューパーティーの煙だと思っていたが、どこか違和感があった。
「おい、お前ら全員そこを動くな!」
怒鳴り声がして、村の広場に見慣れない男たちが踏み込んでくる。
薄汚れた甲冑を身に着け、剣を吊っているところを見ると兵士のようだ。
装備も身のこなしも乱れていて、練度は町のならず者に毛が生えた程度だろう。
突然のことで固まっている村人たちを脅し、若い男の大部分と、女を数名、広場の外れに引きずって行く。
ようやく我に返ったトゥル・エルがリーダーらしい男に詰め寄る。
「何の真似だ」
「下々の者ども! お前たちは、栄えある王国軍に取り立てられた。選ばれた者はすぐ出立の準備をしろ」
こういうのは、本で読んだことがある。戦時の補充兵徴募、要は体のいい人攫いだ。
彼らの敵が共和国か帝国か獣人の連合か、その全てが相手なのかは知らないが、頭数が足りなくなるような事態が起きているわけだ。
「我らは王の下達によって、代々この辺境の地を拓いている。人手を奪えばそれも覚束なくなるぞ」
「王の勅命である!」
トゥル・エルの諌める声は一蹴される。
馬鹿にしたような顔でニヤニヤ笑う男たち。勅命が真実かどうか証明する手段などない。その必要もない。
ど田舎の貧民がどうなろうと知ったことか、といっているのだ。
「抗えば、王へ弓引く反逆者として、この場で裁く!」
手をこまねいているだけの村長に代わって、ぼくは男たちに声を掛ける。
「この村からは何名を引き立てろと命じられているのですか」
「使えそうな奴は全てだ。われら精鋭徴収隊の目に留まったことを誇りに思うがいい」
攫った人数に応じて金を得るのだろう。何人か混じった若い女は役得か。どの顔も欲に緩んでいる。
――どこかで見た表情だな。
ぼくは心のどこかで笑う。もう知っていた。こういうとき、みんな同じ顔になる。
友人知人も親戚縁者も、それまでの顔が仮面のように剥げ落ち、どんよりした醜い笑みを浮かべてぼくを見たものだ。
全員が視界に入る位置に移動する。迷いはなかった。もう二度と、誰にも、何も奪わせたりしない。
「このような非道を王国軍は知っているのですか」
「兵を集めよといったのは奴らだ。ケダモノ相手の戦で手一杯なんだよ、お前たちが何を訴えようと聞くものか」
「なるほど」
――こいつらが消えても不審を抱く者はいないというわけだ。
ぼくは剣を引き抜きざま、男の首目掛けてカチ上げるように振り抜く。
青銅の塊でしかない剣はその見た目通り、切れ味などゼロに等しい鈍器だ。手加減などしていたら甲冑に弾かれて終わりだろう。
ヒットの瞬間、“芯を喰った”感触が掌に伝わる。呆気ないほど簡単に男の頭が弾け飛んだ。
死体から噴き出す血を浴びて、部下の兵士がポカンと口を開く。叫び声を上げようと息を吸い込む。ぼくは振り抜いていた剣を握り直して逆に切り返す。フルスイングで薙ぎ払うが、今度は何の感触もなかった。避けられたかと思って見ると、部下の開かれた口から上が無くなっていた。
「……ぽひゅ」
部下は最期の息を吐く。倒れ込んでくる死体を蹴り飛ばして、背負っていた弓に持ち替える。
残りの兵は三人。まだこちらに気付いていない。
そう思った瞬間、広場の隅で村人をぶん殴ったばかりの兵と目が合った。
「……あ」
こちらを指差し何かを叫ぼうとした男の喉に、ぼくの放った矢が風穴を開ける。大型の獣さえ屠る弓の威力は、人間相手には過剰すぎた。もがく音に振り返った残りの二人も状況に気付く。この期に及んで村人の誰も、棒立ちのまま抵抗の意思を示さない。
臆病の故か、自分たちがどういう立場なのかも理解していないのか。
兵のうち痩せぎすの方は剣を抜いて向かってくる。屈強な身体のもうひとりは逃げようとしている。優先順位を計り、逃げる男の背に矢を放った。甲冑の金属面に浅い角度で当たったらしく、鏃は刺さったものの、男はそのまま走り続ける。もう一本が腿を射抜くと転倒し、仰け反って泣き喚く。大動脈を断ち切ったのだろう、噴き出す血が周囲を紅く染める。
事切れる瞬間を見る暇はなかった。
走り込んできた痩せぎすの兵が振りかぶった剣を振り下ろしてくる。間合いから一歩踏み込んで、相手の手を押さえた。軌道を逸らして剣を下げ、鼻の下に正拳突きを入れる。鼻が折れ歯が砕けるカシャコショとした感触が拳頭に伝わってきた。
驚いたことに彼は倒れず、距離を取って剣を構える。口と鼻から血を垂れ流しながらも、目を光らせて笑う。
ぼくは弓を置き、地面に放っていた青銅剣を拾い上げた。
こちらを見ているトゥル・エルと ミレアル・エルに気付く。敵と戦うどころか、逃げようともしていない。
「危ないぞ、どいてろ」
「よせ、シン。王国軍に逆らって何になるというのだ!?」
「黙れ、邪魔だ!」
その隙を突いて、兵士が突進してくる。腰を落とし、両手で剣を抱え込むようにして。そう長くは持たないのを悟って、一撃必殺の刺突に賭けたのだ。ぼくが避けると後ろにいるトゥル・エルとミレアル・エルが巻き込まれる。
――最悪だ。
青銅剣を下段に構え、突き出された剣を斜めに摺り上げる。
相手の剣が弾け飛んだ。戸惑ったような顔で兵は自分の手を見る。彼の両手首から先が、引き千切れたような断面だけを残して喪われていた。叫び声を上げようとしたのだろう、ゴッソリ抉られた喉から鮮血が噴き出す。
前のめりに倒れた最後の兵士は、そのまま動かなくなる。
他の兵たちも、止めを刺すまでもなく死んでいた。息がないのを確認してまわる間、村人たちは視線を合わせようともしない。
何かいいたげな顔のトゥル・エルに、ぼくは怒りをぶつける。
「黙って狩られるつもりだったのか? 女は慰み者、男は戦場で捨て駒にされるだけだぞ? 数日前に見た戦場でも、そんな奴らが泥まみれの肉塊になって転がってたんだ。そうなりたいのか?」
トゥル・エルも村人たちも、俯いたまま首を振る。認めるかどうかはともかく、現実認識はあるようだ。
「こいつらは、俺が流れ着いた川に流せ」
戦時だ。死体が流されたところで疑う奴などいない。それより、問題はこの後のことだ。
「鎧と武器は納屋に隠せ。この後いずれ必要になる」
「もう、たくさんだ。国同士の戦になど関わる気はない」
「戦わずにそれが叶うなら、そうしてくれ」
この村の置かれた状況はわからないが、おそらく無理だろうなと、ぼくは思う。
火の粉を浴び始めた頃には、それを払おうが払うまいが、もう尻には火が着いているものなのだ。