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狩りのとき

 ――可もなく不可もなく。


 それは……まあ、最期に降りかかった例外的な波乱を除けば、ぼくの人生を象徴するような評価だった。

 試射してみたウサギの弓は、的にもよるが有効射程は50メートルといったところか。その距離なら、木の幹に想定した人間サイズの的を射止めることができた。悪くないが、良くもない。

 腕を磨けば飛距離も精度も上がるだろうが、いまその時間はない。焦れた村人たちに促されてすぐに実践となる。


「何を狙うつもりだ?」


「ここらに何がいるのか知らない。大きめの草食動物を見つけてくれ」


 あまり小さいと、いまの腕では矢を当てられない。ドラゴンにしても食った気がしないだろう。肉食獣は危険だし肉が少ないし不味い(ことが多い)。

 村の家畜を出すという村長の案は却下した。それは臨時の出費にいちいち貯蓄を切り崩すようなものだ。断るとあからさまにホッとしたような顔をした村長に呆れる。だったら、いわなきゃいいのに。

 ドラゴンの餌集めは今回だけのことではない。ひとりでできるようになればいいが、そうなるまでは、もともとの原因を作った彼らにも手を貸してもらう。


「肉が美味いと尚いい」


「だったら青鹿だろうな。的も大きいし肉も厚い。味も悪くない。……ん」


「?」


 村長は説明の後、おかしな間を空けた。

 「ただ問題は……」とでもいいかけて止めたような。

 訊き返す前に村長は村人たちに指示を出し、そのまま山裾に向かってしまった。


 村人たちは、少人数のグループに分かれて獲物を探し始めた。山深くまで入るとドラゴンの巣があるせいか、山裾に広がった低木森を中心に動くらしい。

 獣道に仕掛けた罠を確認して餌の付け替えなど行いながら、村人たちは獣の痕跡を探している。今後のために、ぼくも教えてもらおう。

 木の陰に動物のフンが転がっていた。まだ新しい。


「青鹿のものか?」


「いや、青鹿のフンは、もっと硬くて丸い。これは……」


 鳥の声を真似た口笛が聞こえた。

 獲物を見つけたという合図のようだ。村長がぼくを手招きして、森の一角に誘導する。

 茂みを抜けると、傾斜地の中腹にうずくまる動物の影が見えた。


「猪?」


「さっきのフンの主だろう、野ブタだ。同じ血を分けながら獣人になれなかった恨みで、神の依り代(ヒト)を憎む」


 ふうん、というだけの感想を抱く。進化論を信奉する無神論者のぼくにとって、村長の言葉は単なる民間伝承に過ぎない。干支に選ばれなかった猫みたいなものか。


 村長は風下を回りこんで、坂の上に出る。周囲では村人たちが散開して木陰に身構えていた。


「それで、なぜ回収しない。まだ生きてるのか?」


「ああ。近付くと襲ってくる。獰猛さだけなら龍以上だ。罠にかかった野ブタでさえ、屈強な猟師を殺すことがある。お前の弓で、ここから殺せ」


 ぼくを値踏みするような村人たちの目を感じる。期待半分、不安半分。

 腕試し、というわけか。距離はお誂え向きに50メートルほどだ。見下ろしで、視界を遮るものもない。ウサギの弓に矢を番えながら、この世界には野兎もいないのかなと奇妙な思いが浮かぶ。

 弓道もアーチェリーも経験はないが、この弓は不思議と手に馴染んだ。

 一射目は胴に当たり、ビクリと震えた野ブタが怒りに満ちた眼をこちらに向ける。危害を加える人間を突き殺そうというしているのだろう、拘束を引き千切るほどの勢いで暴れ始めた。


「早くしろ。暴れると危険だ。それと、狙うなら首だ。腹は避けろ、肉の味が墜ちる」


 注文が多いな。こちらは初心者だというのに……。


「なぜ自分たちは手を下さない?」


「獣を殺すと森の怒りを買う。生きるために喰う分には覚悟の上だが、それは少ない方がいい」


 他人のために手を汚す気はないといいたいのか。まあ、正直な男だ。


 二射目。頭を振った野ブタの眼を、まっすぐに鏃が貫く。

 即死したのか糸が切れたように前のめりに崩れると、村長が満足げに鼻を鳴らした。

 獲物に向かう村長と入れ替わりに、村人の一人が近づいてくる。村の猟師だろう、ひとりだけ弓を背負っている。


「悪くない」


 単なる偶然なのだが、黙っておこう。


「だが、腕だけに頼る癖があるな。ここを使え」


 背中を軽く叩かれる。


「もっと強く引けるし、狙いが揺れない」


 背筋を使えということか。覚えておくことにする。

 坂を降りると、村人たちが嬉しそうに血抜きを始めていた。


「美味いのか?」

「殺してすぐ血を抜かないと臭くなる」


 村長は、味について肯定も否定もしない。自分たちの物になるわけではないという冷めた気分もあるのかもしれない。


「龍のエサは、これでいいか?」


「どうかな。できれば、このくらいの大きさのものをもう一頭は欲しい」


「いままでの生贄は、ヒトひとりだけだったぞ?」


 どう伝えるべきか迷う。おそらく、あのドラゴンは食糧そのものが必要なわけではないのだ。我儘な女の子と同じ。自分の価値をどのくらい高く見ているのか、それを貢物で証明させたいだけという印象を受けた。

 もちろん、ぼくの私見でしかないが。


 口笛の音。

 見ると稜線に立つ別のグループが何かを身振りで示している。

 野ブタを解体中の村人たちが、急にざわめき始めた。

 村長が近付いてくる。


「望みのものを見つけた」


「青鹿か。もし仕留められたら野ブタは要らない」


 途端にやる気を見せ始める。村の人間は現金だ。

 坂を登ると、木の頂が動いているのが見えた。何か大きな獣が動いているのだろう。村長と猟師の男が、稜線を越えて反対側に降りる。

 近付く前に、シルエットが見えた。

 青鹿というからには青いのかと思ったが、背中に青黒い縞模様があるだけだ。全体の毛皮は白っぽく、いってみればサバに似ている。


 問題は……


 そう、村長が伏せたのはそのあまりに規格外なサイズだった。体長はほとんどキリンくらいある。もちろん鹿だけに首は短いが、胴と脚が太いため体重ではおそらくキリンを超える。実物を見たことはないが、ヘラジカというのが一番近いだろうか。大きく広がったヘラジカの角と違い、青鹿のものは幅が狭く、藁を捌く農具の三つ又(ピッチフォーク)のように細く鋭く尖っている。


「行け」


「他人事だと思って勝手なことを……!」


 いまいるところから先は木がまばらになっている。下生えはあるにしても、隠れるには低く、触れれば音も立つ。鹿から発見されるリスクが高い。見つかったときには……


「ちなみに、青鹿は凶暴なのか」


「あの角が飾りだとでも思うのか」


 答えはシンプルだった。そして、手伝う気はないと。

 クソ。

 アウトレンジから射掛けると逃げられてしまいそうだ。威力も最大に発揮しなければ倒せそうにない。近付くしかないようだ。

 指を舐めて風向きを確認する。ほぼ無風で、よくわからない。

 猟師の男を見ると、軽くうなずく。サポートくらいはしてくれるのだろう。


「首だ。頭の下」


 頸椎を射抜かなければ倒せないといいたいらしい。こちらは素人なんだが。

 わずかに点在する遮蔽物を縫うように接近する。枝を踏むわずかな音を立てるたびに、鹿は首を上げて周囲を警戒する。首と頭には歴戦の古強者といった感じで無数の傷跡が残っているのが見えた。一筋縄ではいかない相手だ。

 距離70メートル。もう限界だ。遮蔽物がない。

 見渡しても猟師の姿はない。どこかに隠れながら狙っているのだと信じる。


 第一射。アドバイス通りに背筋を意識して、弓をいっぱいまで引き切る。

 なるほど。全然違う。技術的な上達の壁を越えた、いわゆる“踊り場を抜けた”感じがあった。

 解放された矢は一直線に飛び、鹿の喉に刺さった。サッと首が振り下ろされ、そのまま崩れ落ちるのかと思ったが、青鹿は踏みとどまって顔を上げる。真っ赤な目がぼくを見据えた。

 第二射。眉間に飛んだ矢を鹿は角で弾く。三射目を番える間もなく猛烈な勢いで突進し始めた。枝も茂みも倒木も物ともせず薙ぎ払い、踏み砕く。

 木の陰に隠れるべきか、枝を登るべきか。


「怯むな!」


 猟師の男が叫ぶ。だが自分は木に登っているあたり、どうも説得力に欠ける。横合いから放たれた男の矢は胴に突き立つが、鹿の動きは微塵も変化しない。

 第三射。

 鹿の眼を射抜く。まだ突進は止まらない。第四射。角を振り上げ咆哮を上げた口に飛び込む。棒立ちになった鹿は、轟音を上げて崩れ落ちる。

 腰が抜けたような状態だが、脚が固まって座り込むこともできない。

 あの突進を目の当たりにしながら微動だにしなかったぼくを、村人の何人かが尊敬のまなざしで見つめる。

 誤解を解く必要はないな。何かしゃべったら、声が震えているのがバレてしまう。


「龍の使いよ、森はお前に糧を下された」


 ああ。ぼくの糧ではないんだけどな。

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