使徒
ぼくは欠伸を漏らしながら、朝靄に煙る山道を下る。
手には、ドラゴンからもらった青銅の刀。どこぞの勇者が龍に挑んだ証しかと思ったら、ただの拾い物らしい。重く分厚く頑丈そうだが、長く転がされていたせいか腐食がひどい。緑青を吹いているというレベルではない。これでは緑青の塊だ。
刀身には大きく反りが入って、形は古い中国の刀に似ている。
「ドラゴンだけに青龍刀ですか」
受け取ったときに訊いてみたが、ドラゴンには通じなかった。当たり前か。
聞いた限りでは、魔力も加護も由緒も曰くも何もない、正真正銘ただの青銅刀だ。
あのドラゴンには、夢もロマンもない。
この山を住処にして100年近く経つというのに、挑んできた者も崇め奉る者もなく、逸話も伝説も特にない。金銀財宝を集める趣味もなく、若い処女を要求するような性癖もなく、縄張りを荒らさない限り害を成すこともないのだから、退治しに来る理由もメリットもないわけだ。来るのは野生動物と行き倒れ、あとは頼みもしないのに生贄を持ってくる被り物集団くらい。それもここ何年かのことらしく、要はそれまで存在が知られてすらいなかったのだろう。
「じゃあ、ちょっと行って来ます。何がいいですかね、肉。そもそも、この辺にどんな動物がいるのか知らないんですけど」
「何でも構わん。不満なら、お前を食うだけだ」
気付くと夜は明けていて、猶予は半日。
ふんどしに裸足で青銅刀を振り回したところで大した獲物は仕留められない。獣道を辿って目的地を目指す。
当然、あの被り物集団の村だ。
◇◇
「……なんで、生きてる」
ぼくを見た村人たちは恐怖と驚愕に凍った。長老の葬式でもしていたのか、キャンプファイヤーのようなものを村人総出で囲んでいたのだ。
よりによってそんなところに、供えたはずの生贄がノコノコと現れたのだから驚きもするだろう、が。
「さすがに、そんな言い方はないんじゃないのか?」
手にした刀を向けると、村人たちはいっせいに悲鳴を上げてバラバラの方向に逃げようとした。しょせん山と川に囲まれた寒村だ。どこにも逃げ場などない。彼らもそれに気付いて立ち止まり、諦めの表情に変わる。
頭が悪いのか、右へ倣えの社会なのか、急な事態に対処できない集合なのか、現実を直視しない人生を送ってきたコミュニティなのか。あるいはその全てか。
いまも互いに顔を見合わせるだけで、ぼくの方を見ようとはしない。
対応に困るのはわかるけど、感じ悪い。
彼らがアイコンタクトで責任のなすりつけあいをしている間、ぼくは彼らの村を観察する。
小高い丘の上に藁葺き屋根の家が7軒と家畜小屋がふたつ。低地側に整備された畑が広がっている。思ったほど文明程度は低くない。
当然ながら、みんな被り物は脱いでいて、簡素な洋服風のものを纏っている。足元は布靴。鉄製農具も転がっているが、どれも手作りのようではない。どこかに流通を支える市場が、つまり、ここより開けた町があるのだろう。
やがて、村長か新しい長老か、代表者と思われる初老の男がぼくの前に進み出てきた。
「奪われたものを取り戻しに来たのか……」
「まあ、そうね」
「……冥府から」
「いや、死んでないし。死ぬような目には遭ったけどな。ぼくの要求はふたつだ。服と持ち物を返してくれ。そして、ドラゴンの食事を用意するのを手伝え」
またいっせいに悲鳴が上がる。男たちは浮き足立ち、女子供は座り込んで泣き叫ぶ。うっとうしい。
「人間は不味いから嫌いだそうだ」
「…………なに?」
「ドラゴンは生贄を望んではいない。少なくとも人間の肉はね」
「龍の怒りを鎮めるために必要な儀式だぞ!? 今度も長老が犠牲になったじゃないか」
「怒ってるのは、縄張りに入り込んでくるからだよ。爺さんが殺されたのは……たぶん、あんたたちがそうして欲しいとでも思ったんだろう。健康な者を殺したことはないというようなことをいってたけど……」
「我らのしたことは、無駄だったと?」
「さあ、ぼくに訊かれても」
それが本当に誤解なのか判断はできない。この村に間引きが必要なのかどうかは知らない。ドラゴンの見る目が正しかったのかもわからない。でも、是非はともかく判断基準としては自然の摂理に近いものだったのではないかと、個人的には感じた。
村長が合図をすると、女性がぼくの服とスニーカーを運んできた。どれもきちんと洗って乾かしてある。まさか戻ってくると考えていたわけでもないだろうから、これは生贄を供養するためか。
弓矢と投げナイフの他、背嚢や水筒など身に着けていた装備のほとんどが揃っていた。戦場で拾った剣は水に落ちたとき流されていたが、帯剣用の吊り革には代わりに青銅剣を差す。これで少しは身を護れるようになった。
「昼までに獣を狩って山まで運ぶ。手伝ってもらえないか」
「断れば災いが起きるのだろう?」
「……ああ、そうだ」
ぼく個人に、だけど。
しばらく考えていた村長は、何かを決心したように顔を上げた。
「村から勢子は出す。だが殺すのは、“龍の使い”が行え」
「わかった、助かる……ん?」
ぼくは、何か微妙な二つ名を得たようだ。