埒外の馬
――気に食わん。
人兎族黒脚部隊を送り出した後、人馬騎兵を率いる獣人連合士官ファナ・マイヤー中尉は小さく溜息を吐く。
小柄で小利口そうな顔をした小娘の存在も、背を丸めてひと所に固まりオドオドと目を泳がすだけの兵士たちと対照的に不自然なほど胆の据わった彼女の態度も、四勢力が王城で衝突するこのタイミングでそんなやつが投降したことも、その前にあったらしい面倒な内紛も。
まったくもって気に食わんが、そんなことは後でも良い。問題は目の前にあるこの砲をどうするべきか。鹵獲兵器の運用などという以前の問題として、砲が火を噴くまでもなく横の荷車に火が回っただけで市街地一区画を粉微塵に吹き飛ばすだけの威力がある。この捕虜どもがここで事を起こせば我々は馬猫兎の合挽き肉になって周辺に降り撒かれる羽目になる。
かといって、手放すのは惜しい。絶大な威力を誇るこの最新兵器。喉から手が出るほど欲しい。しかも情報ではなく現物だ。凄まじい破壊力を目の当たりにした以上、可能な限り現状保存状態で自軍まで後送したい。
こんなとき、数人の護衛を付けて後方に下げるのが常道だろう。
「軍曹、本隊に動きは」
「来るのは連絡兵だけです。南部の橋が落とされ分断、半数は迂回、半数は落とされた橋の再架橋、司令部は外延部に留まったまま、こっちには“龍の奪還に努めろ”といってきています」
「薄汚い腰抜けどもが。 敵の砲が城に向いてるいまなら好きに動けるだろうに」
小さく吐き捨てるファナの声に、副官のケイル軍曹が怪訝そうな顔で振り返る。
「もし彼らが臆病なら、ここまで来ることもなかったはずです。なぜ、いまになって……」
「足を止めた理由か? 知れたことだ、見せしめだろう」
我々は、突出しすぎた。
前衛として孤立したいまの状況のことだけではない。緒戦で連携の拙さから失態を重ねた獣人連合のなかで、目に見える戦果を挙げたのは速度と打撃力に勝る人馬族騎兵と、膂力と蛮勇を誇る人虎族重装歩兵だった。一部の部隊だけが戦果を上げ脚光を浴びることに、連合の本隊は種族を問わず一様に渋面を示した。その辺りは人間も獣人も大きくは変わらない。むしろ兵科の転換が出来ないだけに、拒絶感はより大きい。
責任と義務だけが過大な野戦指揮官にファナが任命されたのはそのひとつだ。大柄な人馬族や人虎族が目立つ市街戦で、捨て駒に近い前衛として投入されたのもそう。敵の新兵器はイレギュラーな存在だったとしても、その後の孤立した状態で支援も増援も指示もなしに放置されたいまの状況も。だが、ここで優勢な部隊が数を減らせば“獣人連合全体としてどうなるか”、そこまで考えが及ばない。
――しょせんケダモノなのだ。
「ここにいる連中は信用できます」
「知ってる。だが人虎はともかく、人兎の連中はできるだけ死なせたくない。やつらは私怨の巻き添えにされただけだ。ただでさえ損耗が激しい威力偵察部隊だっていうのに」
「だからシンを付けたんですね。慧眼です」
「やめろ。そんなんじゃない」
賽は振られてしまった。振ったのは自分だとファナは自覚している。ベットした以上、もうチップは下げられない。
「装填、用意」
共和国砲兵たちが一斉に動き出す。整然とした効率的な動きは、何千何万と繰り返された訓練の錬度を示す。弱兵で知られる共和国軍の意外な一面に、見ていた獣人たちの目の色が変わる。
「装填、開始」
准尉の言葉からほんの数秒で、兵たちは動きを止め、耳を押さえた姿勢でうずくまる。発砲の有無を問わず、そこまでが一連の流れなのだろう。
「装填、完了」
伍長の報告に、准尉が奇妙な棒を持ってこちらを見る。棒の先には着火用の火種があり、それを砲尾の接点に着けることで発射が可能になるようだ。
駆け寄ってきた人馬騎兵の部下が、ファナに短く状況を報告する。
「帝国軍騎兵全滅、共和国軍の被害は軽微」
当然の結果だ。共和国軍は軽歩兵が主戦力とはいえ、ヒト型の騎兵がたかが20で2000の敵など相手に出来るものではない。爆発が起きなかったということは、砲を潰すことにも失敗したようだ。騎兵を生かせる指揮官は少ないと思い知ってはいるが、無駄死にした同業者にわずかながら哀れみを覚える。
ファナは小さく息を吐き、准尉に向き直った。
「目標、東側城門。発砲と同時に再装填、その後の移動に備えろ」
ファナからの指示に、准尉は怪訝そうに首を傾げる。
「砲兵ではなく?」
「砲口が敵に向いている以上は、生かしておく。いま“敵の敵”の戦力を殺ぐのは得策じゃない」
それに、初手から同族殺しでは何かと後に尾を引く。あちこちに禍根を残し、精神的負担にもなるだろう。シンのような例外なのだ。あいつはどこかヒト型を同族と思っていないようなところがある。
いずれ共和国軍に砲口を向けるときも来るだろうが、それは彼らの性根を見極めてからでも遅くない。
「角度合わせ、左旋回12度、仰角3」
「左12度よし」
「仰角3よし」
獣人にはどこか芝居掛かった様に見えるやりとりとともに、砲兵の照準修正が完了した。後は人兎の潜入部隊が北側の城壁を越え次第、合図を送ってくることになっている。
何か胸騒ぎがした。彼らに何かが起こるという不安ではない。嫌な予感の正体は、恐らくさっきこの准尉がいっていた、帝国軍の増援だ。王都に接近する大部隊があるとは聞いていない。王都近郊に放った斥候から発見の報告が入っていないのなら、数日中に到着する大部隊はないはずなのだが。
「中尉、北西方向、雲の形がおかしいと兵から報告が」
「雲?」
「あら、天馬ですね」
崩れ始めた天候を嘆くような軽い口調で、准尉が告げた。
「何だそれは」
「帝国軍の空飛ぶ船です。こんな辺境に送り出すほど安い物ではないのですが」
「戦力としては高いものなのか」
「高度2ソーウィル近い高空を飛ぶため地上からの攻撃は届きませんが、向こうも攻撃能力は投石程度ですから、さほど大きな脅威ではありません」
人間の考えることはどれも獣人にとっては理解の範疇を越える。だが、王城に立て籠もる少数の帝国軍部隊にとって、それが文字通り天の助けになるだろうことは想像に難くない。
状況を考えると、攻撃というより脱出用だろう。“龍”を塔から運び出すつもりか。
「黒脚から連絡、裏門の部隊を排除して城内に潜入成功」
「行くぞ准尉。発射用意……」
発射を命じようとしたそのとき、おかしな位置で爆発が起こった。