投降者
事前に見付けておいた集合地点の建物は教会というより修道院に近いものだった。なかは意外に広く、簡素ながら清潔に保たれ規律正しい集団生活の様子がうかがえる。 ひとの気配はなく、礼拝堂のような場所に大量の血痕と濃い血の臭いが残っていた。
平野部の南東端に陣取る連合の本隊までは1ソーウィル半。そこに向かえというぼくの指示は全員から一蹴された。
共和国軍を相手にするぼくの意図にファナが気付き、自分たちもその作戦に加わるといい張ったのだ。
戦力差は20倍近いが、怖れる者はいない。有り体にいって、第一陣に参加した彼らは全員が脳筋の戦闘狂である。
特に人兎族のはしゃぎっぷりが尋常ではない。なにせ自分たちの弓でも“例の爆発”が出来るとわかったのだ。カーラの説明を聞くやいなや、すべての矢を着火可能に加工し、早い者勝ちだとばかりにウズウズと出撃のときを待ち構えている。
攻撃開始は、王国軍と共和国軍が衝突した後と決まった。急いで決着をつけたいのは山々だが、寡兵であるこちらがわざわざ漁夫の利を放棄する必要はない。
その前に、やるべきこともある。
「全部を壊すんじゃないぞ」
辛うじて冷静さを残したレイライン曹長が、浮かれた部下たちに釘を刺す。砲のひとつは鹵獲する。そのために、実物を見たことのあるカーラが索敵を買って出たのだ。発見しだい連絡を受け人兎黒脚部隊が急襲する。
「城門前のハ、いいんだよナ? ナ!?」
「じゃ、右のはあたしの獲物っしょ。ホラ、“龍の加護”付きの弓! ドカーンとイッてやるっしょ♪」」
「……ケーベル、それただの兎弓だぞ? おかしいの弓じゃなくシンの身体能力だから。……聞いとるかオイ?」
栗毛のヒルト伍長がブンブンと揺らすが、夢見る瞳のケーベル伍長の耳には届いていない。花火大会の前の男子中学生みたいだ。出撃の合図を待つ獣人連合の将兵たちは、みな異様なほどにリラックスしている。
ぼくには、この世界に来てずっと疑問に思っていたことがあった。思ったほど、戦に華がないということだ。獣人連合軍には女性が多く、そのほとんどが美形なのだが、そういう意味ではなく。
「ファナ、ちょっと聞いていいかな」
鼻歌交じりに装備を点検していたファナが、ぼくの言葉に顔を上げる。
「何だシン、怖くなったのなら慰めてやらんでもないぞ?」
「この世界では魔法は存在するのかな、って……」
ファナの表情が怪訝そうなものに変わった。“この世界”という表現がまずかったか。まるで自分が他の世界から来た人間だといっているように聞こえる。どうしようかと思っていると、彼女はフッと呆れたような笑みを浮かべた。
「お前がそれをいうか?」
「え?」
「龍の加護を得て人ならざる力を持ち獣人の軍を率いて王城に攻め入る。そんなデタラメが魔法でなくて何だというのだ?」
「あ、いや……それはそうかもしれないけど、聞きたかったのはそういうことじゃないんだ。つまり、炎や雷やらを自在に生み出して敵を倒すような技は存在するのかって」
「ある。というより、お前たちが破壊した“あれ”がそうだろう?」
共和国の臼砲のことか。
「あれは魔法ではなく、単なる化学と工学の結果だよ。原理を知れば誰でも……無論、君らでも作れるし、使える」
「そういうものに詳しくはないんだが、魔法も同じなのではないか? 度を越して高度な道理は、非常織に見えるものだ。見る者が愚かであれば、尚更だろう。真名を知らぬ者が偉大なる理を呼ぶ仮初の名が、魔法というのではないか?」
一瞬ポカンとしてしまったようだ。ファナがムッとした顔でぼくに詰め寄る。
「何だ、その顔は。まるで昆虫に説教でもされたような。まさか、わたしたちが加持祈祷やら呪いを有り難がるような未開人だとでも思ったか」
ぼくは返答に迷う。ファナは嘘をつかない(つけない)だけに、こちらもそうしなければいけないような気持ちにさせるのだ。あるかなしかの逡巡よりも先に、口が勝手に本音を漏らした。
「獣人族をそんな風に思ったことはないけど……ファナが急に賢そうなこと言い出したんで驚いてる」
「喧嘩売ってんのか貴様!」
ぼくは襟首をつかんで吊り上げられる。背の高い人馬騎兵が相手なだけに、ぼくの足は完全に宙に浮く。こめかみを引き攣らせつつも、ファナの眼は辛うじて笑っていた。
「ごめんごめん、でもそれを聞いて安心した。個人的な関心もあったんだけど、それより人智の及ばないものを目にしたとき、みんながどういう反応をするかと思って」
「どうもこうもあるか。何ができるのかを見出し、やるべきことをやるだけだ。良い兵士とはそういうものだ」
彼女は背筋を伸ばし男前に胸を張る。変な話だが、人馬族は日本の武士に似ている気がする。妙な親近感の正体はそれか。彼女にそれを伝えてみたが、不思議そうな顔をされた。
「武人の支配階級? 知的階級も兼任? というのは、そもそも可能なのか? ……まあ、それはいいとして皇帝は非武装で君臨? どうやって? 何故わざわざそんな自殺行為を?」
引っ掛かったのはそっちか。歴史は詳しくないので、何百年も前の話だと適当にごまかす。武人の支配階級は解体され平民の軍に再編成されたが帝は健在、というと感心された。
「シンがいたのは、良い国だったのだな」
穏やかに細められた彼女の瞳がふと鋭く瞬く。
異変。外に多数の気配がある。ゆっくりと近付いてくる。ぼくらは武器を手に、揃って戸口に向かう。
「曹長、シン早く! カーラが!」
真っ先に察知したのはやはり人兎族だったらしく、外からケーベル伍長の声が響いた。
緊迫したその声に彼女の受傷を予想していたぼくらは、扉を開いたままポカンと口を開いて固まる。
近付いてくる一団。
カーラが先頭を歩いてくる。その後ろには草色の服を着た八名の共和国軍兵士。両手を上げて立つ彼らは武装していない。その代わりその中心には……
砲尾をこちらに向けた青銅砲が鎮座していた。