微睡の終わり
真っ白になった視界が暗転し、ゆっくりと回復してくる。なぜか円く並んでぼくを見る男女の顔があった。どこかで見たひとがいる。カーラと、ファナ。ぽたりと雫が当たる。ハッと我に返ると地面に転がったぼくを見下ろしているのだと気付く。何か伝えようと口を開くが、痺れたように顎の感覚がなく言葉が出てこない。起き上がろうとしてもがく。人馬騎兵の麗人がぼくの手を取り、憤怒の表情で(それでも手付きは優しく)引き起こしてくれた。
「……フぁナ、みんな無事か。怪我、は?」
「こっちの台詞だ、阿呆ッ!」
彼女が顎をしゃくった方を見ると、通りの先にちょっとした空き地が出来ていた。首を傾げて思い出そうとする。そこには共和国軍の臼砲部隊と、その左右を囲む二階建ての建物があった筈なのだ。
「あれ……」
「ごめんなさいッ!」
目の前でうずくまっていたカーラが顔を上げ、真っ赤になった目でぼくを見た。兎の耳はペタリと伏せられている。
「わたしが射掛けた火矢で、あの“火薬”が……」
「炎と煙が四半ソーウィル四方にも膨れ上がって、それが消えたらあの様だ。正直、よく生きていたものだと思うぞ? お前はともかく、人兎の娘は“龍の加護”もない生身なのだろうが」
「いや、ぼくも生身ですけど……?」
耳鳴りが去って周囲の音が聞こえるようになっても、戦場の喧騒は戻ってこなかった。静まり返っているのが却って不気味だ。
「ファナ、戦況は?」
「あの爆発の後で、赤星の連中は兵を城側に寄せた。南東側と南西側、それぞれの跳ね橋前に1000の兵を連ねている。ほとんどが弓兵と軽歩兵だが、お前のいった“砲”とやらも両側に一門ずつ置かれているそうだ」
「やる気があるのは共和国だけか」
「ああ。帝国軍は城に閉じ籠ったままだし、連合の阿呆どもは町に踏み込もうともしない。わたしたちも兵を集めてはみたが、騎兵120と重装歩兵20」
「あと斥候がシン入れて6」
「6?」
「ああ。心配して見に来てみれば、面白そうなことやってるじゃないか」
「わたしたち抜きとハ、連れないやつだネ」
声の方を向くと、レイライン曹長の後ろに隻腕の猛者サナ伍長。赤目の射手ケーベル伍長と、栗毛のマッチョ兎……確かヒルト伍長。何だか伍長ばっかりだ。みんな無事で何よりだが、曹長の部下はもっといた筈だ。
「曹長、“黒脚”に被害は」
「ないよ」
不思議なことを訊く、とでもいうように、曹長はぼくの問いをあっさりと返す。ファナの方を見るが、こちらも当然というように首を振る。
「我ら人馬族も、先刻の不意打ちで軽症者が数名出ただけだ。飛んでくるものが見えてさえいれば、避けることは容易いからな」
「音と煙でビックリはしたけどナ。あんなノロいもん、わざわざ当たるノなんて間抜けなネコくらいのもんダ」
「しょうがないさ、サナ。あいつら動体視力にも体力にも自信あり過ぎて、つい見ちゃうんだよ」
曹長のコメントにも表れている彼らの身体感覚の違いも、火薬兵器に対する印象をずいぶん変えているようだ。
どこの国でもそうだが、強力な――そして多くの場合、歪で不完全な――新兵器というのは、得てして弱兵を抱える国ほど早くにその価値を理解し、その運用に心を砕く。そのことが結果的に、戦場の地図を大きく書き換えることになるだが、それぞれが一騎当千の獣人族にはなかなか理解しにくいかもしれない。神使として絶大な力を誇り、群れることを好まない希少種のドラゴンなどはその最たるものだ。
どういう経緯を辿ったにせよ、火薬の発見から一足飛びに臼砲を作り出すということは考えにくい。この戦場には持ち込まれていないとしても、共和国で既に小銃は作られている筈だ。それも、恐らく大量に。
弱兵を以って歴戦の猛者を屠れる火力。銃はすぐ砲になり雷になる。大量殺戮兵器の登場まで二世代も掛からない。脆弱なヒト型が戦争を変え、数と物量の奔流が強靭だが汎用性のない獣人を押し流してゆくだろう。
そして、ドラゴンを。
おそらく新しい時代の戦場に――そしてその後のどこにも――彼女の居場所はない。
「なあ、シン。赤星の新兵器、あれは何かの呪いナのカ?」
ぼくは、彼女と生きようと決めた。発作的に、一方的に、本人になんの断りもなく。
だったら、彼女と行こう。流されるとしても滅びるとしても、最後まで一緒にいるんだ。
彼女が囚われている王城までは、もう半ソーウィルもない。その間に立ち塞がるものは、たった2000と300の軍勢だけだ。
頭の中で、何かが囁く。ぼくはサナ伍長に笑顔を向けた。
「……ええ、サナ伍長。あなたたちも、あいつらも、ぼくも、誰もが蝕まれずにはいられない……あれは、“文明の”呪いなんです」