暗雲
「……うぇ」
ぼくは死体の間を歩き回り、剣や装備を拾い集めていた。
どれも無茶苦茶に歪んで血と肉片にまみれ、刃は欠けて脂を巻いている。どれだけの戦闘があったのかはわからないが、見るも無惨な死体ばかりで負傷者はひとりもいなかった。
ヒト型と呼ばれた人間だけではなく、いくつかは動物のような死体も混ざっている。猿、山羊、猪、兎、犬、種類のわからないその他いくつかの残骸。
獣人とでもいうのか、動物とヒトとの中間といった感じの体に粗末で原始的な甲冑を纏っている。
「干支が揃いそうな勢いだな」
ドラゴンはいなかったが、存在しないのか殺されるほど弱くないだけかはわからない。正直、あまり知りたいとも思わない。
三十分ほど探し回って、何とか使えそうな武器を集めた。刃渡り1メートルほどの剣と投げナイフ、携帯用の短弓と矢筒に入った十数本の矢。武器携行用の吊り革や布製の背嚢。どれも、網状の武器に絡まって死んでいた兎の群れからもらった。獣人のなかでは小柄なためか、使えそうなサイズの武器は大概、兎が持っていた。
甲冑の類はどれも汚れがひどい上に、ぼくには重すぎる。戦場に立つわけではないだろうし、移動能力が落ちる方がまずい。これから逃げ隠れしながら人里を目指すのだ。
胴を分断された猪の死体から竹製の水筒を二本。
空腹を覚えてはいるのだが、家畜に近い種類とはいっても獣人の肉を食べるのは憚られた。血の臭いがきつくてそんな気にもなれない。狼の縄張りらしいこんなところからは、早く移動するべきなのだろう。
猿の首無し死体から皮袋に入った携行食らしい団子と干した果物をもらい、移動を開始する。日が傾き始めている。人里を発見できなければ、野宿するしかない。どこにどんな獣(あるいは獣人)がいるのか知らない以上、それは避けたかった。
狼の声がした方角と逆側に向かう。森を抜けて川に出ると、下流に進む。
どんな文明であれ集落は川沿いか河口付近に出来るものではないかという読みだ。山で迷ったときと同じだ。上流に向かって滝や崖に阻まれたらそこで詰む。
「……と、思ったんだけどな」
高まる水音に嫌な予感がしていたのだが、薮を抜けたぼくの目の前に現れたのは断崖絶壁から流れ落ちる滝壺だった。
滝口から見下ろした限りでは、壁面はほぼ垂直で降りられそうな手掛かりはない。落差は二十メートルといったところか。これだけの滝なら滝壺も深い。上手く飛び込めば死にはしないだろうが、この状況で試す気にはなれない。
周囲はU字型の巨大な溝状になっていて、いちど上流に戻って、左右どちらかから迂回するしかなさそうだ。
「絶景かな……」
困ったときには笑え、という祖父の言葉に従う。沈んだ心で、良い考えは出ない。
崖下には森が広がっている。川はいくつかの支流に分かれてうねりながら遥か彼方の巨大な水面――海か湖――に注いでいる。集落らしきものは見当たらない。
嫌な予感は消えない。いや、予感ではない。何かを見落としているのだ。だが、何を?
さっきから、どこかで地鳴りのような音が聞こえている。戦闘音だとしても、まだ遠い。森まで戻れば隠れるところもある。胸騒ぎは止まらない。正体がわからないまま危機感だけが高まってゆく。過去に祖父から聞いた何か。記憶が閃く。
軍曹の言葉。
『ほっときましょう少尉、夕刻からは雨になる』
それか? しかし、まだ雨は降っていない。森に入れば雨宿りくらい出来る。気温も高いし、低体温症になるほどでもないだろう。上空の雲が厚いのもここではなく元来た山側の……
気付くと、ぼくは全力で上流に向かって走り出す。
そうだ。子供の頃から、祖父は警告してくれてた。何度も。無視したのはぼくだ。忘れていたのも。川から森に上がろうとするが、斜面がほとんどオーバーハングになっていて登れそうにない。それはつまり。それだけの力で削られてきたということ。
地鳴は急速に近付いてくる。さっき通り過ぎた薮を抜けた先に登れそうな斜面を見つけるが、薮の端まで来たところで間に合わないのがわかった。そもそも、それは薮ではなかったのだ。流れに押し倒された低木の残骸。祖父の声が聞こえた。
『山に雨雲が掛かってるときは、川遊びをするんじゃないぞ。下流で降ってなくとも……』
壁のような黒い塊。
川幅いっぱいに暴れながら突進してくるそれは、まるで怒り狂った竜のように見えた。
『……鉄砲水が来る』
身構える間もなく濁流がぼくを呑み込み、断崖絶壁から中空に放り投げた。