王都
騎乗を選んだのは正解だった。
馬を奪ってからぼくら前衛の速度は飛躍的に上がった。黒脚の後続から何度か速度を落とせと怒られるほどだ。
王国軍の鎧を身に着けてはいるものの、次に遭遇するのが王国軍とは限らない。目立つ馬に乗っている以上、接敵時には良い的だが、そこは腹をくくるしかない。
そもそも連合の斥候は発見され犠牲になることで的を炙り出すという思想だったのだ。誰何の可能性があるだけマシだろう。
「間に合いそうか?」
「余裕。日の出は明け三時、あと一時半はある」
道中ぼくは馬上で、カーラからこの世界での時間概念を教わった。一日が明け/暮れ、それぞれ六時。一日の長さは体感で元いた世界との差異を感じなかったので、一時が二時間と考えておく。江戸時代みたいだ。
「待てよ、ぼくが前に“二時間”って伝えたのは、通じてなかったってこと?」
「……え? 首都まで二時というのは遅過ぎるから、急げって答えたでしょ?」
ともあれ、現在は午前3時を回ったあたり。まあ、時計に近い物は各国の首都やそれに順ずる大都市にしかないそうなので、皆の体感による大まかなものでしかない。
草木も眠る丑三つ時、というのは午前2時台を指すはずだが、その言葉通りに静まり返った山道のなかで敵影を発見することなく、ぼくらは王都への道を進み続けた。
衝突のときが近いことを知っているためか、獣人連合の軍勢が発する音や地響きや押し殺した気配が、ぼくらの背後数キロで高まり始めている。
王都まで2ソーウィル(キロ)弱を残し、長く緩い傾斜を登り切ったぼくらの前で、呆気なく視界が開けた。
「……あれ?」
稜線から目立たないよう身を隠し、木陰に身を潜める。周囲に気配はない。そんな筈はないのだが。
固まったままのぼくを、カーラが怪訝そうな顔で見る。
「どうしたの、シン?」
「……敵がいない」
「何いってるの。いるでしょ、ほら」
彼女の指す先、闇の奥に浮かび上がる王都では、静かな熱気が空気を震わせていた。
篝火が王城の周囲を取り巻き、動き回る松明で城下は複雑に彩られている。王城から北西部にかけての明かりは少なく疎らで動きが速い。これは占領した帝国軍のものだと思われる。
それに対して、南東側の離れた位置にある光は数が多く密集して動かない。こちらは恐らく共和国の軍勢だろう。
「いや、そうではなく……こちらに対処する兵も少しくらいいると思ってたんだけど」
「無理じゃない? 王国軍は逃げたか殺されたか武装解除されてる。帝国は星の連中とやり合ってて手が離せない。第一こっちは、それを見込んで来たんだし」
どこか違和感があったが、その正体が何なのか、ぼくはまだわからずにいた。
王都は直径50ソーウィル(キロ)ほどの円形をした平野にあり、周囲は大小の低山に囲まれている。ぼくらが立っているのもそのひとつ。南西側にある山とも呼べない丘の上だ。
王城は平野のほぼ中央。南東から北西に平野を分断する川の中州に城壁が築かれ、そこから橋を経て放射線状に街が広がっている。
城壁の間際は跳ね橋になっている。そこだけ見れば敵の侵入を防ぐ方策として間違ってはいないのかもしれないが、橋を上げる事態になったときには王都の中心で城だけが孤立しているということになる。それは既に詰んでいるのではないだろうか。
何を考えているのかわからないのが、もうひとつ。
ぼくらの前にある、下生えと潅木が点在するだけの緩い勾配だ。それは1ソーウィル(キロ)ほど先にある王都の外周部まで続いていた。遮蔽物もろくになく、接近する敵は王都側から丸見えになる。無論、こちらからも同じだ。
――意図して外郭防衛を省略しているのか? 変わった発想だな。
敗れた王国軍にも占領する帝国軍にも、ここに割く兵員がないというだけかとも思ったが、目に入る限り周囲の稜線上に門や砦や物見台などの防衛施設はない。もし仮に“見通しの良い緩衝地帯を挟んで警戒する”という発想なのであれば、せめてその内側、都市の外周部には砲台なり障壁なりを築くべきなのではないだろうか。
初めて見る王都が予想していたより広く、どこか閑散とした印象を受けたのはどこにも高い建物がないないせいだろう。中心部はいくらか整然と並んでいる――少なくとも、そうしようとはしている――が、外側に行くにつれて雑然とし始め、平野の端を取り巻いているのはほとんど廃材が折り重なったようなスラムだ。当然のことながら、侵攻を受けたと思われる城への動線上は一面の焼け跡になっている。
そこで、ようやく気付いた。
王国軍が侵略に対する緩衝材にしていたのは、自国の平民たち(・・・・・・・)だったのだ。
◇ ◇
「よくやったな、お前ら。予定より四半時は早く到着できた」
ようやく追いついてきたレイライン曹長が、前衛を勤めたぼくとカーラを労う。斬新な王国の都市設計にゲンナリしているぼくを尻目に、彼女はテキパキと部下たちに指示を出し周囲の警戒に当てる。
「日の出までに全軍の集結が叶いそうだ。……問題は、その後か」
「問題というのは?」
「すぐわかる」
密かな気配が目の前の斜面を登ってくる。獣道の脇にある下草を掻き分けて1メートルほどの影が現れると、曹長に短く声を掛けて姿を消した。
「人鼠族の諜報部隊だ。司令部への報告から意思決定、下命まで四半時といったところか……お前らが命懸けで詰めた時間は、奴らに浪費される」
曹長の声には味方である筈の連合幹部に対する苛立ちが籠められていた。
「どけ、雌ウサギども! ウロチョロしてると踏み殺すぞ!」
不満げな唸り声に振り返ると、人虎族の重装歩兵が到着したところだった。
よほど急いできたのか、甲冑の背から湯気が吹き上がり、血走った黄色の目がギラギラと光っている。先頭を進んでくるのは鼻が傷だらけの巨漢。周囲を睥睨しながら、強引に場所を抉じ開けようとする。重装歩兵部隊の隊長マーカスは紹介を受けたが、あの男には見覚えがない。
「カーラ、あれは?」
「ロダよ。マーカスの副官。あいつの祖父は人虎族の長老で、獣人族を救った伝説的英雄。でも、あいつにその器はないわ」
獣人の仕官にもコネ採用というのはあるのか。ぼくの質問に答えたカーラの声には、明らかな棘がある。
「力はありそうだけど」
「頭が悪いの。マーカスはもちろん、他の人虎族重装歩兵のなかでも、評価は格段に落ちるわ」
道の脇で移動ルートを検討中だったサナ伍長が、ロダの跳ね上げた泥を被って罵声を上げた。
「なんだよ、汚ねぇナ、このクソ猫どモッ!」
「あ? なんだ貴様、いま何ていった」
「えらそうにしてんじゃないヨ、この若造ガ! 誰のおかげで無事にここまで来れたと思ってるんダ?」
「露払いくらいしか能のない腰抜けどもが、目障りだ!」
ロダは憤怒の表情でサナ伍長を睨み付ける。
「……ふン。もうそんなに息が上がってるんじゃ、城壁まで行き着くのはまた(・・)半分ってとこカ?」
短く息を吐いたロダが、手にした長剣でサナ伍長の首を狙って薙ぎ払う。刃先が到達する頃には、彼女はロダの背後を回って反対側にまで移動していた。
「ああ、坊やに謝っておかなくちゃナ。わたしは、どうやら読み誤った(・・・・・)みたいだネ。副官がその程度じゃ、お前ら2割も戻れば上出来だヨ?」
ロダは憤怒の表情でサナ伍長を睨み付ける。
「その辺にしておけ」
低く静かな声が割って入らなければ、殺し合いにまで発展していたかもしれない。
それは、人虎族の部隊長マーカスだった。ぼくが夜半に紹介を受けたときも、彼は他者に関心を示さなかった。いまもロダのように誰かを押し退けるようなこともなく、隙間をスルリと抜けて丘の稜線まで進んできた。
物音ひとつ立てず敏捷に動く、しなやかで強靭な筋肉の塊。肉食獣の力を具現化したようなその佇まいは、むしろ優美にさえ思える。
両部隊は険悪な空気を残したまま、大きく左右に分かれる。どうするべきかと両者を見るぼくに、サナ伍長が笑いながらひらひらと手を振る。
「ああシン、気にすんナ。いつものことだヨ。あいつがバカなのモ、ヤツらが死に急ぐのもナ。……それよりホラ、もう出番みたいダ」
重く揃った足音に振り返ると、伍長の義手が指す先で人馬族の騎兵部隊が払暁の突撃に備えて東側に回り込むところだった。朝日を背にして敵陣に突っ込んでいく気なのだろう。壮観な光景が目に浮かぶようだが、ぼくら人兎の斥候部隊も支援のために同行するらしい。
ぼくの頭に描かれた勇壮な戦場絵のなかに、斥候の姿はどこにも見当たらなかった。
◇ ◇
「なんだか、そうしてるとお前までウサギになったようだな、シン」
笑みを含んだ声に振り返ると、甲冑に身を包んだファナが森の奥から進み出てきた。何の気配もなく、物音ひとつ立てず。兜を傍らに抱えた彼女は、戦場の殺伐とした空気のなかで凛とした静けさを保っている。
ぼくはといえば、朝靄のなかで逃げられないよう馬の手綱を握ったまま、待機時間を利用して手早く食事を貪っているところだ。
歴戦の将校と新米雑兵の違いがあるとはいえ、絵になる要素は微塵もない。
当然といえば当然なのだが獣人連合の糧食は種族ごとに分かれていて、“黒脚”預かりのぼくに渡されたのは人兎族用のものだった。
何か香りの良い厚手の大きな葉に巻かれたそれは意外なほど丁寧なもので、メニューは木の実の入った雑穀の団子と、数種類のカラフルな生野菜スティック。色味も栄養バランスも良さそうなどれは、変な話ナチュラル系お洒落カフェのメニューに近い。
ニンジンのような野菜をコリコリと齧っていたぼくを、ファナが微笑みながら見つめる。
「ヒト型が食って美味いのものなのか?」
「ええ。こっち来てから野菜、食べてなかったから。甘くて香りが強くて、歯応えが良い。血が綺麗になる感じ、わかりますか?」
「……わからん。わたしたちはいつも同じようなものしか食わんからな」
ふだん食べてる物が、そのひとの身体を創る。それは一面の真実ではあるだろうが、同時に悠長な綺麗事なのだ。ぼくはこの世界に来てから、何を食べていたかまるで思い出せない。何かの肉。何かの果実。何かの木の根と何かの葉。生き延びるのが精一杯で、通りすがりに目に付く限り、口に入れば何でも良かったのだ。
それと、戦死体から盗んだ携行食。あれは食べたのだったか、滝で流されたのだったか。
「黒脚の連中には、受け入れてもらえたか?」
「ええ。良い人たちです。有能で、勇敢で、責任感が強い。人兎族には……戦死者も含めてですが、ずっと世話になってきましたからね。彼らがいっていたように、何かの縁があったのかもしれない」
彼らの装備がなければ、ぼくはとっくに死んでた。特にあの短弓。あと投げナイフ。まあ、投げたことはないのだが。
「それは良かった。新しい雌も見付けたようだしな」
ファナは傍らのカーラに視線を投げる。彼女は馬の背で器用に身を丸め、イビキをかいて眠っている。肝が据わっているのか、これが新兵と古兵の違いなのだろう。
「彼女は、戦友です。ぼくの……初めての」
そういうとファナは目の前で交尾でも見せられたかのように眉根を寄せ、難しい顔で赤面した。
「ああ、そうだシン。一度、訊いてみたい……いや、そうするべきだと思っていたのだがな。わたしがいうのも何だが、なぜヒト型のお前が、獣人連合との共闘を受け入れたのだ?」
「本当に、巻き込んだ当事者のファナがいうのはどうかと思いますね」
「わかってる。だが、どうせ波風は立つのだから、どこかヒト型の国に潜り込んだ方が楽だし安全だし話も早かっただろうに。行く先々で殺し回った割りには、獣人を手に掛けてはいないのだろう?」
「何故でしょうね。これも縁としかいいようがない。そしてここにいるのは、もちろんドラゴンのためというのもありますが、最も大きいのは初めて会ったときの印象です」
「わたしとのことなら、最悪だっただろうが。事の次第はともかくとして、あのとき殺そうと思ったのは事実なのだ」
「それは、単なる状況です。それをいうなら人間との出会いはもっと酷い。ぼくだって自分が殺されかねない状況でなければ、他人を殺したりはしません」
「第一印象だけで、命懸けの戦いに身を預ける相手を選んだのか。だから、いま獣人と? なんというか、その……消去法で?」
「幸か不幸か、いままでの人生で、直感が間違ってたことはあまりないんです。だったら、懐に入り込めさえしたら、互いの状況は変えることができるかもしれない」
金と欲に目が眩んで豹変したやつらも、結局その変化は第一印象の延長線上にしかなかった。わかっていて身を守れなかったのは、単なるぼくの甘さだ。
「あー……それは、あれだ。なんとなくわかってきたぞ、シン。つまり“逃れられないのであれば、踏み込んで間合いを潰す”ということだな。わたしと出会ったときにお前が見せた技だ。人間関係に例えることで奥義の真意を隠蔽しようなどと他人行儀な」
「……他人ですし純粋に人間関係の話です、ファナ」
「む」
やっぱりわからんと首を傾げながら、彼女はわずかに白み始めた東の空を見上げる。
「軍曹、時間だ」
その声に呼応し、森の奥で巨大な質量が無音のまま立ち上がる。まるで巨龍が目覚めたかのように、消されていた気配が湯気とともに立ち昇り広がってゆく。ほんの数十メートル先に伏せていた人馬族の騎兵隊が、夜明け間際のタイミングを読んで進軍の準備をし始めているのだ。
「シン。正直にいえば、理由などどうでもいいのだ。わたしはな」
ファナが同胞の下へと立ち去りながら、ぼくを振り返り小さく笑みを漏らす。
「お前がここにいてくれて嬉しい」