兎の価値
修正および追加描写のため前に短く一話分挿入
「……というわけだ。この男は役に立つ上に腕も立つぞ。お前のところで使ってやってほしい。ではな」
「え? ちょっと待ッ……」
ファナに連れられ種族長と軍団長に次々引き合わされたぼくは、気付けば殺気立った雌ウサギの群れに囲まれていた。
威力偵察を得意とする人兎族のなかでも最精鋭の特殊部隊、“黒脚”。
ぼくを睨みながら恐ろしい笑みを浮かべているのは、部隊長のレイライン曹長だ。
長い耳に、つんと突き出した鼻。パッチリした勝気そうなつり目に長い睫毛が美しい麗人だ。スラリと伸びやかな肢体を黒装束に包み、武器も黒く染められ、顔も黒く塗られている。
歴戦の猛者らしく、余計なことはいわない。一瞥しただけで覚悟を読まれ、肩と腹に触れられただけで力量を測られた。
評価に関しては不明。
「龍の使いのシンだ。この遠征ではうちで預かることになった。見ての通り、我ら人兎族とは縁があるようだ。お前ら、仲良くしろ」
部下たちの視線が刺さる。“仲間の死体から装備を盗んだヒト型のガキ”、と殺意に満ちた目が語っている。
あながち誤解でもないあたり対処に困るのだが、それでも曹長の威厳と作戦前の緊張感からか、部下に文句などいわれることはなかった。
「ファナに感謝するんだな、お前ら。こいつは“龍の加護持ち”だ」
曹長はぼくを振り返り、親しげに笑う。
「前衛に困ってたんで助かる。欠員が多くてな」
ええ、囮役ですね。よく分かります。
出発前のわずかな時間で、ぼくは最低限のハンドサインを叩き込まれる。
教えてくれたのは隻腕のサナ伍長。右耳が立ち左耳が倒れているのが片眉を上げた貌を思わせ、ニヒルな彼女の雰囲気に合っている。伍長は義手の鋭い鉤爪でぼくをつつきながら笑う。
「ちょ、伍長それ地味に痛ッ……」
「細かいことは、気にしなくて大丈夫ダ。お前の役割は、的になることだからナ。お前がやられたら後続が仇を討つサ」
「そのひとがやられたら?」
「その後ろがやるサ」
ウサギが固まって死んでた理由がわかった気がした。
◇ ◇
獣人連合の主力部隊から先発したぼくらは、味方の重装歩兵と弓兵が守る国境の防御陣地を越えて王国領に入る。
黒脚部隊の前衛は、ぼくと人兎族のカーラ上等兵。細く小さく顔色も肉付きも悪い彼女は神経質そうな表情で周囲を警戒している。ピクピクと痙攣する耳とまぶたが、可愛いというよりも痛々しい印象を受ける。
もしかしたら、とぼくは横目でカーラを観察する。彼女は戦争神経症になりかけているのではないだろうか。
「早く、急げヒト型。夜明けまでに本隊を通過させないと囲まれちまうだろうが!」
「落ち着いて。まだ深夜を回ったばかりです。ここから王都までは二時間も掛かりません。ただしルートの安全が確保されたら、ですが」
ぼくは遮蔽物から遮蔽物への移動を心掛け、物音や気配を探りながら進む。待ち伏せのいないことが確認されると、黒脚の後続が仕掛け罠の有無をチェックしながら続く。
王国領に入って一時間。全行程約15ソーウィル(≒キロ)の1/4を過ぎたあたりだ。
「遅すぎる。そんなに死ぬのが怖いのか」
「そりゃそうでしょ。ちゃんと見てくださいよ、ぼくはあなた方ほど夜目は利かないんですから」
「わたしは怖くない」
「え?」
「怖く、ないんだ……」
異変に気付いた。
苛立っていたカーラが澱んだ表情に変わっている。目が泳ぎ、耳が垂れている。あまり、良い兆候ではない。
「誰でも怖い筈ですよ。それが当然なんです。あなたは勇敢ですが、怖がることを止めてはいけない。心の警報機を止めてしまうと、危険に気付けない」
「ヒト型は臆病だ」
「……ええ、そうです。そして、あなたにもそうなってもらう」
「誰が……いィッ!?」
ぼくはカーラの手を引き、茂みの陰に押し倒す。柔らかく温かな感触が手の平に伝わる。
「なッ、何すん……触るッな」
暴れる彼女の口を手で塞ぎ、耳元に囁く。
「前方左右に伏兵、倒木の陰です」
カーラの動きが止まり、目がスッと細く据わる。彼女もまた歴戦の戦士だ。耳が立ち、油断なく前方を探る。
「わかりますか。枝の偽装、たぶん身体に縛ってるんです。垂直に立ってるでしょう?」
「……え? ああ、ホントだ。あれは王国軍だね。左2、右3、いや4か。ひとりは騎兵かな。馬は……四半ソーウィル、茂みの向こう」
「すごい、そこまで……」
思わず感心すると、カーラは不貞腐れたような表情でぼくを無視したまま後続を呼ぶ。鼻がスピスピ動いているので嬉しいのは丸わかりだ。
すぐレイラインたちが到着して敵の配置を確認する。
「ふむ。良くわかったな上等兵」
「ヒト……いえ、シンが、見つけました」
「目立つひとりだけです。カーラさんが教えてくれなければ無駄に突っ込んで伝令に逃げられてました」
「……ふふん? まあいい、左をケーベルとヒルト、残り五人はあたしと来な、右をやる。馬を射るのが合図だ」
「曹長、よろしいでしょうか」
ぼくの意見具申に曹長は笑う。
「ああ、龍の使いは馬が好きなんだったか」
「使い道はあります。殺すことはない」
レイラインたちがぼくを見る。もう敵意はなく、半ば面白そうな顔だ。
「そうだな。お前が騎兵を殺るんなら、馬は残しても……」
ぼくは騎兵を指差すように矢を放つ。皮兜の男が目を貫かれ、後ろの兵とともに倒木の陰へと消えた。他に動く物はない。警戒を続けながら曹長を横目で見ると、目の前で星が散った。
◇ ◇
「曹長、すみませんでしたッ」
「……でした」
あっさり伏兵を全滅させはしたものの、ぼくはレイライン曹長からガッツリ拳骨とお説教を喰らっていた。連帯責任として拳骨を喰らったカーラ上等兵もうずくまって頭を押さえている。恨みがましい目で見るカーラに、ぼくは目顔で謝罪の意思を送った。
「話は最後まで聞かんか、阿呆。やるにしてもタイミングってもんがあるんだ。騒がれたら無駄な戦闘が発生するだろうが」
「すみません、つい」
「まあ、その後のフォローは認めてやるがな」
二射目で歩兵をふたり射抜き、三射目ではカーラも捕捉していなかった半ソーウィル先の弓兵を倒した。
自分たちと同じウサギの弓でやったのが信じられないらしく、疑い深いケーベル伍長からは弓の交換を強要された。短射程の半弓では限界に近い距離なのだそうだ。
「届くことはあっても、革鎧の弓兵を倒すのはヘンっしょ。何かあるっしょ、毒?」
赤目の白兎であるケーベル伍長は、ぼくの矢をペタペタと触り、鏃の匂いを嗅ぐ。
毒が塗ってあると思うのなら触ってはいけないのだが……そのあたり、ウサギの短慮な性格が表れている。
「何も塗ってないですよ。いや、同じ物だから取り替えるのは構わないですけど」
「やった、今度はあたしが仕留めてやるっしょ♪」
馬については、しばしの話し合いの末、騎兵の死体から剥いだ革鎧を着てぼくが乗ることになった。
伏兵と罠の炙り出しが目的なので、前衛が敵軍騎兵に化けるのは悪くない手だ。進行速度も上げられるし、いざというときの突破力にもなる。
馬の扱いに慣れないぼくのサポートとして、小柄なカーラが前に座る。誰何を受けたら捕虜とでも誤魔化せばいい。どのみちすぐ戦闘になるのだ。
「ねえ、ちょっとシン!」
「あ、失礼、触ってました? 甲冑なんて着慣れないから前が見えなくて」
「こんな身体、触りたければ好きなだけ触りなよ。そうじゃなくて、さっきの話。あんた、わたしにも臆病になれって……」
「それは、あなただけじゃなく皆にも伝えなきゃいけないとは思ってたんです。でも、まずは自分の役目を果たせるってところを証明しないと、誰も聞く耳を持ってくれないでしょうからね」
「あんたは勇敢よ。シンが臆病なんて誰にもいわせない」
「臆病なことは、悪いことじゃないんですよ。確かに人兎族は勇敢ですけど、斥候はそれじゃダメなんです。生きて情報を持ち帰らなければ無駄死にじゃないですか。ここも下士官しかいないなんてとんでもないエリート部隊かと思ったら……」
「わたし以外の兵は、みんな戦死したってだけだよ。ほら、人兎は多産で成長も早いから」
「だから死んでも良いと? 冗談じゃない。あなたには生き延びてもらいますよ、絶対にね」
「だッ……だから、なんであんたがわたしのことを気に掛けるの?」
カーラは執拗に食い下がる。ウロチョロ落ち着きなく動かれると馬上から転げ落ちそうになる。ぼくは手綱を押さえ込みながら、彼女が納得できる答えを探した。
「カーラ、ヒト型と獣人の人口比率を知ってます?」
「……え? 知らない、けど……」
「マイヤー中尉に聞いたんですが、およそ7倍。出生比率と成長に掛かる時間、寿命や生産性の差もありますけど……ザックリいって、獣人連合は犠牲をヒトの1/10以下に押さえなければ、戦に勝とうが負けようがお終いなんです。あなたも、ぼくも、ぼくが求めるドラゴンもね」
「あ、うん」
カーラの目から輝きが消え、耳がパタリと垂れる。
……どうやら、彼女の望む答えではなかったようだ。