走り出す群れ
「さて、友好関係を確認したところで本題を済ませよう。こっちだ。……ああ、武器も忘れるな」
後ろを振り返りもせず部屋を出て行く中尉。
立ち上がってはみたものの、ぼくはそのまま困惑する。部外者が武器を持ったまま軍事施設のなかを歩いて問題にならないのか。
戸惑ってケイル軍曹を見ると、困った顔で同行を求められる。
「急いでくれ、シン」
廊下の先から、中尉の弾んだ声が響いてくる。
嫌な予感が……というか、もはや確信があった。中尉の進む先、廊下の突き当たりにあるドアから伝わってくるざわめきが、近付くにつれてどんどん大きくなる。
「ちょっと、マイヤー中尉。ぼくは部外者なんですよ、いいんですか、こんな……」
「ファナだ」
「え?」
「ファナと呼べ、シン。仮初の契約であろうと利益の共有であろうと、友好関係の第一歩は形式から始まる。これは建前、必要な儀式なのだ。さあファナと!」
ツンデレなのか喧嘩売ってるのか自分自身にいい聞かせているのか知らないがもう少しその正直な心の声をオブラートに包んでくれないだろうか。
「あ……ええ、ファナ。あなたの目的は何なんです」
「お前と好誼を得ようとした目的は、他でもない。籠絡のためだ」
「え」
ぼくは一瞬、白目を剥いて固まる。
人馬族の性質なのか中尉個人の性格なのかは知らないが、このひとは裏表がない。存在しないのだ。
動きを止めたぼくを気にも留めず、ファナはずんずんと廊下を進んでゆく。
「腑抜けた世間話を装い、お前がどういう人物かを見抜こうとした。結果、お前の言葉に嘘偽りはなく、現地での報告とも一致した。誠意と呼べるのかどうかは疑問だが、まあ龍への強い思いは伝わった。作戦は成功、そしていまに至る」
「なんでまたそんな回りくどいことを」
「確認のためだ。お前の愛する龍は、王国軍の手に落ちた。山裾まで降りたところで意識を失っていたのを捕獲されてな」
「……!」
「そういう目をするな。救出こそ叶わなかったが、いまも我らの手の者が張り付いている。やつらはまだ彼女の真の価値を知らん。お前の報告と誤認したか、龍の眷属だとでも思われているようだ。厳重な監視の上で王城の尖塔に軟禁されているが、危害を加えられた様子はない」
……いまはまだ、な。ぼくは心のなかでつぶやく。
「治療は、されてるんでしょうね」
「投薬と軟膏と祈祷の重ね掛け。手当たり次第、というところだな。外傷は問題ない。龍なら自己治癒能力も高いしな。医者によれば、血を失っているくらいで命に別状はないそうだ。まだ安静が必要とはいえ、意識は数日中に取り戻すだろう」
「筒抜けですね。“我らの手の者”というのはその医者ですか」
見立ても処置も経過観察も読み取れる環境など他にない。が、王宮の出入り医師が身元調査も受けないなどありえない。拷問や脅迫でもしたんじゃなきゃいいが。
「おかしな想像をするなよ、シン。医師の助手が部下の係累だ。ヒト型ながら信用できる」
「なッ……何の話かワカりませンが、ともかく良かった。彼女は動けるようになるんですよね?」
昼間はともかく、夜になれば龍の力が使える。それをもってすれば、脱出することなど容易い。
「ああ、問題は、そこだ。動けるようになった龍を、王城の兵力では押さえきれん」
「王都が陥落したからですか」
「そうだ。開城の状況は不明だが、兵は殺されていないとしても、武装解除されているだろう。まともに動ける兵は帝国だけだが、遠征軍ではろくな武器もなかろう。支援はあっても搬送可能な攻城兵器程度、最大三百程度の軽歩兵など、龍の前では焼け石に水だ。我らが奪還しなければ王都どころか王国が焦土と化すぞ」
「つまり、彼女を救いに行くというよりも……」
「止めて欲しいのだ。龍の虐殺を許せば、ヒトの心は離れ、いずれまた龍の国を襲う。そして何より、こんどまた傷を負えば龍とて命はない」
……無茶振りにも程がある。
ぼくにそんな能力はない。ドラゴンから信頼されているわけでもない。中尉も知っての通り、メイフェン(本名不明)のことを一方的に慕っているに過ぎない。
「ぼくを何だと思っているんです」
「お前が決めるんだ、シン。この地でそれは惨めな受難者の名だった。だが、いまから変わる」
ドアが開く。ざわめきが揃い、ふたつ拍子を打ってピタリと止む。それは足踏みの音だった。
等間隔に並んだ篝火。それに照らし出される獣人たちの隊列。自信に満ちたふてぶてしい顔も、伸びた背筋も隙なく纏われた装備も、練度の高さを示している。
中尉が振り上げた拳に、数千の兵たちが鬨の声を上げる。
「奔れ。お前は、“龍神にしがみつく者”だ」