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戦場にて

「……冗談、だよな?」


 信じていた人たちに裏切られて全てを喪ったぼくは、将来を絶望し、世界を呪い、こんなやつらなどみんな消えてしまえばいいと何度も思った、が。

 まさか本当に世界が丸ごと消えてしまうなどと本気で信じていたわけではない。実際その状況になると初めて気付いたのだ。簡単な事実。それはつまり、


 ……あの世界から消えたのは、ぼくの方だと。


 目の前に広がる草原の風景は、ぼくを怯ませるのに十分だった。

 死屍累々。それは実際に目の当たりにするとこんなものなのだな、と不自然に落ち着いた声が頭のなかでつぶやく。

 折り重なり切り刻まれ散らばり潰れて汚泥に埋まる、甲冑を着た――いや、着ていた(過去形)――騎士と雑兵の死体は既に原形を留めていない。

 分厚い鉄製の甲冑や鋼の剣が折れ曲がりひしゃげているのは恐らく、騎兵に踏み潰されたのだろう。近付くと案の定、凹型になったそこには馬蹄の跡がくっきりと残っていた。

 数キロ先まで見渡せる平野で、動くものはなく戦闘の音も聞こえない。死体から流れる血は一部がまだ凝固していない。戦いが終わってから、まだ小一時間といったところか。


 つまり、まだ戻ってくる可能性が……。


「動くな」


 遅かった。

 女の声がして、ぼくの耳元に何かが差し出される。横目で見ると、鈍く光る槍の穂先。尖端から血が滴り、ぼくの肩に落ちる。安物のTシャツに染み込むそれは、ぞっとするほど冷たい。


「手を上げろ」


 おとなしく上げる。他にどうしようもない。さらに馬の足音が近付いてくる。最低でも二騎。つまり、後ろには三騎以上の騎兵がいる。走って逃げられる筈もない。森に入れば馬の脚は鈍るが、ここからでは距離がありすぎる。

 戦場を蹂躙した蹄の跡を思い出して、ぼくは静かに震え上がる。


「どうしました、少尉?」


 野太い男の声。少尉と呼ばれた女が答える。


「怪しいヒト型を見つけた。帝国の懲役夫かと思ったが、違うようだな。労役を経験した手じゃない」


「貴族か皇族ということですか? そうは見えませんがね」


「そんな者を薄布一枚で戦場に置き去りにするものか。おおかた死体漁りの類だろう」


「ま、待った! 違いますよ、ぼくは……」


 振り返ったところで、ポカンと口を開けたまま固まる。

 甲冑を着込んだ男女の騎兵。間違ってはいなかったが、予想していたものとも違っていた。彼ら彼女らの腰から下は……


 馬の胴体に繋がっていたのだ。


「け、ケンタウロウス……?」


「軍曹、下がってろ。処分する」


「……ああ、ダメですよ少尉、戦時協定違反は絞首刑と聞いたでしょうが」


「やってみるがいい、連合司令部のヒト型もどき(サル)どもが。我らを吊るせる縄があるならな。拘束して護送して管理して捕虜交換だと。時間も人員も無駄に、大量に割かれるんだぞ。どこにそんな余裕がある」


「それでも規則は規則です。……おいお前、さっさと所属をいえ。王国か帝国か共和国、どこの者だ」


 部下らしき男の方が何かを目で訴えながらぼくを質す。

 何の話かわからないが、誰何の意味は理解する。要はそのいずれかに所属していれば彼らの敵なのだ。敵は殺すか捕虜にするしかなく、コストは前者が圧倒的に安いと。


「どれでもないです。ぼくは、気付くとここに」


 男の方が首を振り天を仰ぐ。返答を間違ったか。

 言った当人でも馬鹿みたいなセリフだとは思う。言われた側にしてみればなおのこと、はいそうですかと受け入れるわけもない。


「そうか。やはり敵軍ではないか」


 意外にも、呆気ないほどあっさりと彼女はぼくの言葉を受け入れる。槍の穂先が下され、騎兵たちが遠ざかる。助かったと安堵するには“少尉”の眼は冷たすぎ、“軍曹”たちの眼は憐れみに満ち溢れすぎていた。


「ふんッ」


 身構えていなかったらひとたまりもなかっただろう。飛び退けたぼくの影を彼女の槍が刺し貫く。


「危なッ! 何をするんだ!」


「知れたことを!」


 恐怖と絶望で萎えそうになる手足を必死に動かす。座り込んで泣き叫びたかったが、生きる意欲がそれを拒絶した。どんなに絶望的な状況でも、死にたいと思ったことはない。ぼくにはまだ、やらなければいけないことがある。

 跳ね上がった穂先はぼくを狙って薙ぎ払われ、海老のように避けた腹先を掠める。


「よせって! 話を聞け!」


 尖端がくるりと弧を描き、上空から振り下ろされる。大きく逃れると追撃が来る。避けられるのにも限界がある。半歩だけ躱すと、唯一の安全地帯へとダッシュした。

 彼女の、懐へ。


 掴みかかるとでも思ったのか、槍を水平に構えて女騎兵は一歩退く。

 穂先の可動圏内から外れればそれでいいのだ。掴みかかるには彼らの背は高すぎるし、近付くと強力な足で攻撃される。


「やめろ、ぼくはあんたたちの敵じゃない! 死体漁りでもない、ほら何も持っていないだろう!?」


 手を上げてぼくは訴える。それしか方法はないのだ。


「お前が何者だろうと知ったことか、我らの味方ではない。だったら敵だ」


 ごもっとも。

 友人知人親族から掌を返されたとき、心配する幼馴染にぼくが叫んだセリフと同じだ。


「なるほど、どうしたら信用してもらえる?」


「死ね」


「できればそれ以外で」


「我らがヒト型を信用することはない、絶対にな」


「殺されなければそれでいい。ほっといてくれるだけで十分だ」


 周囲の森で、獣の声が聞こえた。聞き慣れない咆哮。何なのかは分からないにしても大型の肉食獣であることは間違いない。


「ほっときましょう、少尉。夕刻から雨になる。どうせ野垂れ死ぬだけです。“やつら”も我々も、もうそろそろ飯の時間だ」


「敵か味方がわからなければ敵、敵は皆殺しにしなければ後顧の憂いになる。誰の言葉だ?」


「……覚えがないですが、恐らくわたしでしょうな。しかしそれは戦場でのこと」


「ああ。ここがそうだ、軍曹」


 軍曹と呼ばれた男を見る。歴戦の勇士といった風貌の屈強な騎兵。顔と手足に無数の傷跡がある。皮膚を移植したのか火傷の跡か、色の違う部分がいくつもあった。


 ――サッカーボールみたいだ。


 場違いな感想が浮かんで笑いそうになる。いつもそうだ。緊張感が高まり過ぎると、自然に笑みを浮かべているらしく、大概の場合それで問題が悪化する。


「何がおかしい!!」


「ごもっとも。死ぬほど怯えるとこうなるのです、お許しを」


 殊勝に答えたぼくに毒気を抜かれたのか、少尉と呼ばれた女騎兵は舌打ちをして踵を返す。軍曹はぼくをしげしげと眺めた後で、ゆっくり近付いてくる。

 敵意は無さそうだ。警戒を解くには早いかもしれないが、いますぐ殺されはしないだろう。第一、彼は当初あの女の殺意から助けてくれようとしたのだ。


「肝が据わっているな。さっきの動きはどこの格闘術だ?」


「ぼくの国の武道で、空手といいます。祖父から教わりました」


「ご健在か」


「いえ。亡くなりました」


 ぼくが受けた裏切りの巻き添えで、全ての財産を奪われて。彼が遺した最期の言葉が、ぼくの胸を刺す。

『裏切られたのは、お前が悪い。盲目的に人を信じるのは、盲目的に人を憎むのと同じだ。自分が背負うべき責務を他人に委譲したのだからな。それが許されるのは、抗う術も考える頭もない人間だけ。お前は、そうではない』


「そうか」


 軍曹は立ち去った少尉を目で示す。


「彼女も同じだ。ヒト型の軍勢に、家族を皆殺しにされた。それもただ、人馬族であるというだけの理由でな。悪気はないしお前個人には敵意もないのだろうが、ヒト型を信じるのは無理だ」


「ごもっとも。命を助けていただいて感謝しています」


「あれは惜しかったな。どこかの軍属と答えていれば、話は早かったんだ。少尉に殺させない理由付けができた。捕虜として保護しておいて、適当なところでこっそり逃がせば……」


「ええ。でもそれが可能だとしたら、彼女も“適当なところでこっそり”殺せるということです」


「それで、あの返答を?」


「リスクが同じなら、嘘は少ない方が“楽”ですから」


 奇妙な生き物でも見るような顔で、古兵が首を傾げる。


「ぼくは馬場真一郎、よろしければお名前をお聞かせ願えませんか」


 見知らぬ相手に名乗り名乗らせるのは、癖のようになっている。IDの一部を提示させることで敵意を縛り、覚悟の有無を探る。

 軍曹はぼくを見据えた。真意と素性を測っているのだろう。こちらを信用していない相手なら、当然そうする。


「ケイルだ。彼女は……」


「いえ、それは機会があればご本人から」


 彼は、サッカーボールのような顔を歪ませた。怒り出すのかと思ったが、頷いただけで終わる。


「いまのうちに、死体から剣を取っておけ。死体漁りを勧めるわけじゃないが、この辺りは群狼の縄張りだ。三日三晩も騒がせた挙句に、これだけの“餌”が出たからな。さっきも言った通り、もうすぐやつらの“飯の時間”が始まる」


「そうします。ありがとう」


 ツギハギだらけの顔がさっきより大きく歪む。

 笑っていたのだと気付いたのは、彼が立ち去った後だった。

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