ときには正義の話をしようか
良い機会なので正義を考察してみたい。
1 自分自身
2 男女一名ずつ
3 国家
4 思想
5 宗教
6 イデオロギー
1の段階の悪は何かと言うと『自殺』でしょう。自己の破滅を意味します。
では善はその反対と定義し、ひたすら悦楽を得て繁殖を行い、子孫を残す行為とします。
そんなの善じゃない? 良いのだよ。この思考段階では『自分しかいない』んだから。
『何故人を殺してはいけないのか』
理屈を言うより数発ぶん殴って殺される恐怖を教え込んだほうがマシです。
乱暴? 児童虐待?
獣に『教育』が通じるかよ。この段階では『調教』だ。
2にステージを映しましょう。
では1の善の定義にしたがい異性を犯して優秀な子孫を得る事にしましょう。
な、なんだって~~! ふざけるなっ?!
フェミストさん。申し訳ありませんがあなた達の出番は『思想』のステージ以降です。
あるいは『宗教』『イデオロギー』でしょうか。
ここで異性側から見た正義と対立がおきます。
「お前みたいなキモメンの子供など欲しくない」
当然の意見です。
というか、普通に暴力で解決するバカの子供は要りませぬ。作者だって嫌ですから。
しかし2のステージでは1と2の対立の結果は実力によって決定されます。
この場合男女一名ずつしかいないので事実上選択肢はありません。酷いですね。でも今でもこういう婚姻形態は残っているのです。
戦後でも九州などではそのような習慣がまだ残っていたそうです。レイプされた側が『頼み込む』形で婚姻が成立する世界は結構あります。
では3番目のステージに移動しましょう。
欲望のままに男女共に配偶者を勝手に決められては社会が成り立ちません。
逆にリーダー側は優秀な後継者を求めるでしょう。
ココで親同士があらかじめ配偶者を決めたりする『正義』が生れます。
本能が生み出すものを善悪としていた形からやっとまともになってきました。でも自由恋愛の雲行きが怪しくなってきましたね?!
ここにきて1の『欲望を優先させる』正義は否定されたのでしょうか。
いえいえ。人間が人を愛することは不可避ですからご安心を。いつの世にも自由恋愛をする勇者はいます。
4にステージを移します。
では恋愛とは何でしょうか。
どのように相手を慈しまねばならないでしょうか。
前者はまぁ自由恋愛もありますが、後者は深刻です!! 見合いだろうが自由恋愛での結婚だろうが夫婦喧嘩は犬だって食わないですからっ?! 残念!
思想を統一することで集団の秩序は守られます。
また、思想を持たない集団に優位に立つことが可能になります。善悪とは何か。人間が動物であった段階から持っていたものに社会的見地を加えてあえて考える人間は奇特な人だと思われます。
しかしそれをあえて定義する。
間違っていても皆がそうだと言えばそうなるでしょう。
統一された善悪の基準はその集団に強力な結束力をもたらすでしょう。
思想は人類の生み出した兵器なのです。
5にステージを映しましょう。
基督教が生れた時代も仏教が生れた時代も人間が思想を生み出す時代より『後』で御座います。
神や仏の言葉として国家を超えた秩序を生み出すことが出来ます。
非情(非常というより非情だと思いますが)に凶悪な性能を持つ武器です。
この『武器』は経済などにも有効です。
十分の一税などの元ネタは流通ですしね。
(現金を持たずに為替を持ち歩き、教会が換金してくれる)
ここまで来ると恋愛だの生死だのを超えてきます。
なんせ『神の御言葉』なので人間の生死より偉いのです。
6にステージを映しましょう。
では人間が生み出した『神の言葉』を一旦否定して人間の幸せとは何か、如何にしてそれを達成するかを考えてみましょう。
イデオロギーの類は本来神の言葉に従っていたことから産まれたような……。
おや? 人間に任せると大げんかが始まりました。
右だの左だの思想だの民族だのなんだのとうるさいですな。
これらは本来人間の集団が幸せに生きるために、あるいは生存するために生み出された道具だったはずですが、どーいうわけか偏って重視するようになって破綻を起こすようになっております。
本来の『正しい』とはこれら全てをガッチリ持っていて破綻が無い状態を指すわけです。
死にたくない。相手を思いやりたい。自分より偉大な存在を感じて謙虚に生きる。家族や故郷、国家や民族を大事に思う。自らの信念を持つ。政治的手段を駆使して自己の集団を守る。そして本来の目的は『1』に帰結します。
これがぶれると悪以前の存在になります。
そもそも善悪というものも人間が生み出した概念ですからね。けだものだって自己保存や群れの保存を行いますが人間の場合は全人類で考えたら全体が把握できなくなってしまいワケのわからない集団になっちゃっただけです。
欲望のままに振る舞って良い。
異性を愛していい。他人を愛していい。
家族を、民族を、国家を愛していい。
自らの力の及ばぬ神だの運命だの自然に敬虔になることは重要です。
自分の力の限界からやれることを冷徹に見つめ、取捨選択して一歩ずつ進むことは不可能のような事業すら可能にします。
政治思想にハマらない若者は情熱が足りないと言います。事実、間違いではないでしょう。
ただ、他の人や国家その他も同じ事を考えております。
全ては1である個人に帰結しますが、人類の安寧を俯瞰してみることはとても難しく、どこかに特化した場所に固執してそれを正義と我々は呼んでいます。
もし正義を教育するならば、その人がどの思考段階に居るのか、そういった相手の立場や思想、宗教などを考慮して行うべきでしょう。
小さな子供が相手なら『ダメなものはダメだ』のほうが実際は解りやすいのです。それでも食い下がるなら『オトナになればわかる』でかまいません。
詳しく人類史から正義の概念が生まれた経緯や哲学や宗教や思想やイデオロギーや民族の概念を教えたところで子供はパンクしてしまいます。
大切な事は『ちっぽけな自己を形成する大切なヒトやモノを守る』為にこれらが生れた。
よって、これらにすべて熱中できると共にこれらすべてを道具として俯瞰してみることを覚えること。これだけを理解しておれば物事の間違いはいかばかりか減ることでしょう。
さて。
私が言っている事は洗脳の一種かもしれません。
なんせ根拠となる証拠を私は提示しておりません。
つまり信じるに値しません。
信じるということは現実を見ない事に直結しています。
あなたの視点、現実から見出された正義の話をお待ちしております。




