SeLica 番外編「永遠のクリスマス」
穏やかな秋の夜に蟲達が唄うように。
私の聞けない唄を娘は聞いているという。
ファンタジー&スチームパンク。『SeLica』番外。
涼しげな秋の夜。蟲どもは歌を歌う。
それを聞きながら彼は寝台に伏せて物思いにふける。
だが、意図して蟲の歌を聞いているわけでは無い。聞こえるだけだ。
聴覚が常に戦場で何度も何度も彼を救ってきたのは事実だが、同時に興味の無い低俗なジョークや音楽、雑音や断末魔、呪いの声も拾ってきた。
理由らしい理由はない。目を閉じる様に。鼻をつまみ、口を閉じる様に。 それらを容易に遮断する方法はなかったからだ。
『お父さん♪』
この声もそうだ。
寝台の端から伸びるつややかな黒髪。
ちいさな“て”。ちいさな“ゆび”。
寝台のシーツを掴む。
「えいっ」
わずかにシーツがずれる。
白いシーツに上ってくる小さな黒い影。
子犬の様に近寄り、子猫の様に彼の傍らに擦り寄る。
彼の『娘』だ。
もっとも。血の繋がりは無い。
将来的な危険度から見れば殺すべきだったが、殺しそびれて今はこうやって育てる羽目になっている。
その『娘』は勝手に彼の寝台の上に登ると彼を抱きしめる。
『おとうさん♪ いっしょにねよ♪』
だから、このような親子の真似事を行うようになったのは結果でしかない。
闇の中。白い目が彼に向いた。
その中の宝石のごとき深淵が彼を映す。
「とうさん。機嫌わるいね。『せりかのこと嫌い』?」
ごくっ。のどが鳴る。汗。脂汗。
「人の心を読むのはやめなさい」
「なんで?」
「品性下劣だ」
そうとしか言えない。其の表現が適切かは。彼は知らない。
彼には『娘』が言うように、匂いや肌の反応だけで相手の感情を知ることはできない。『あとは精霊が教える』などは与太だろう。妻は騒いだが。
「“ひんせいげれつ”??」
「そうだ」
「じゃ、こわがってる“におい”かいでも気にしない。
精霊さんが教えてくれても“きかなかった”ことにするね」
「そうしてくれ」
脅えも恐怖も混乱も。表面で抑えて見せても娘には伝わってしまう。それは老人にとって恐ろしい事であり、娘にとっては悲しいことだろう。
「うん!」
娘にとって、彼女の魔法は手足と変わらず、彼女自身の魔力は筋力とさほど違いは無い。隣の山の頂上まで素手で遊びに行ったりする。
娘の近くの風が、炎が、闇が、影が。不可解で有り得ない動きを行なうことをたしなめるのは手や脚を使わず生活しろと強要するようなものだ。妻も自分も娘の『能力』の数々には畏怖を覚えざるを得ないし、『娘』もまたそれを感じ取っているのを知っている。
不意に、娘がシーツ越しに彼を抱きしめた。
「そういうのは、なくすね。全部“もうそう”なんでしょ?」
読んでいる!
「そうだ」
干からびた喉に空唾を送ろうとするもうまくいかない。
窓の外、夜月の明かりが部屋を照らす。
どこかで蟲どもが歌っている。
生殖の唄を。
「今日はいきなりどうしたんだ?」
シーツ越しに肌が合う。直接は触れていない。
が。娘の躰に秘めた魔力が。彼の性欲を喚起させる。
娘は闇の一族独特の房中術の訓練を受けていないゆえ、逆にあらゆる欲望。物欲、名誉欲、食欲や睡眠欲、排泄欲。
すべてが。うずく。
抱くはずも無い。殺傷欲、陵辱、屍食……欲。
総毛が立つ。
皮肉なことに、老いがそれを克服させた。気を落ち着かせる。
「だってね」
『娘』の話は続いていた。
「なんだい」
自らを抑え、幼い『娘』の言葉に耳を注ぐ。
「いい子にしてないとサンタさん来ないんでしょ?」
「????」
「いい子っておとなに素直で言うコト聞いて、優しい子なんでしょ?」
絶句。
星明りが娘の瞳を揺らしている。
其の瞳が潤んでいるのは、悪魔の魔力のためではない。
泣き出しそうな子供の瞳。
軍人であった老人は何度も見た瞳。
そして幾度も見捨てたその輝き。
自らが放った次の言葉。
それは自分でも他人が発したかの錯覚を抱くほど意外なものだった。
老いが新しい見解を生み出すことはある。
「そうは思わない」
「?」
娘は不思議そうに彼の顔を覗きこむ。
「それは。都合が良いだけだ。
そのような者など。生きていようがいまいが同じだ」
娘の声がはずむ。
「じゃ、せりかのトコにもサンタさん来るかも♪」
「サンタクロースだと??」
少し沈黙。
娘はわくわくした表情を浮かべて次の言葉を待つ。
「七十年近く生きてきたが。私を含めて誰も見た事が無い。よって確認しようがない。店頭のアルバイトならともかくな。
所詮耶蘇(作者註訳:キリスト教を指す)の布教活動、もしくは販売戦略だ」
不思議そうな顔をする娘に咳払い。
「耶蘇の聖誕祭と同じ時期に『良い子』にプレゼントを配る、夜空を駆けるトナカイの橇に乗った老人と言う存在が仮にいたとしよう。
装備の不可解さについて議論したいが、まぁ良い。
奴の善悪の判断基準の曖昧さは不可解極まる。
良い行いや悪しき行いなどどうやって、誰が決めることができるのだ。
自分の事を『善人』と言う奴は『善人と呼ばれたい人間』だけだ。
奴らの差別の撤廃だの平和だの様々な『善意』の賜物でいったい何十、何百万の人間が殺された事か、社会主義国家のアカどもがうみだした死体の山を見ればわかる。
他人が決める『善人』も怪しい。
人間は自分にすら嘘がつける。記憶は裏切る。
そして、『自分にとって都合の良い』人間を『良い人』と呼ぶ。
何処でどんな悪事をしていたかわかる筈も無いくせに、他人の事をわかったフリをして善人ぶる輩には私は虫唾が走る。
私の若き日は軍人ゆえ、己が手を血に染めなかった日はなかった。
勿論、任務達成に支障が無いなら殺さずに済ませたが必要あれば容赦なく都市ごと消した。
だが、後悔はしていない。
戦争など政治の一手段に過ぎない。
泣こうが叫ぼうが平和などやってこない。
あるのは政治だけだ。
少なくとも私は国を救い、帝都を守った英雄になった。……セリカ(芹香)。私は善か?悪か?」
セリカ(芹香)には答えられるわけもない。父の話は続く。
「自分は破壊しか知らない。破壊させるかどうか、止めるかどうかは政治屋どもの仕事だ。……もし、そのサンタクロースとやらがいるのなら」
老人の脳裏に幾人の忘れがたき顔が脳裏によぎる。
生の楽しみもままならず銃火で消されて逝く子供たち、自らの食料を分け与えて餓死してゆく聖職者。
友人や家族を護るべく、娼婦に身を墜として、敵に抱かれる人生を選んだうら若き乙女たち。
「彼らに加護を与えないわけが無い。
よってほぼ間違いなくこの世界にはいない」
「……」
娘が涙を流しているのに気がついた。
少し、いや可也、無遠慮だったかもしれない。
「じゃ、プレゼントもないの?」
「ないな。普通ならば、玩具の前に当面の食料だろう。
そうすれば餓死者も少しは減る」
『娘』の嗚咽が漏れ出す。
少々。
いや。かなり。
否。絶対に。
これは。拙い。
彼は本来子供が苦手なのだ。
「中においで。良い夢を見なさい」
それでも不器用なりに今度は娘をしっかり抱いてやる。
やがて嗚咽は安らかな寝息へと変わっていった。
不思議だった。
殺そうとした『敵』を抱いて今抱いてる感情はなんだろう?
娘の魔力がもたらす数々の欲望とはまるで違う感覚だ。
軍務についていた時は意図して捨ててきた。
それは安らぎ。
「とうさん……キライ。でも……大好き……」
娘の寝言に苦笑してしまう。
蟲が鳴き止む。 掛布を娘に掛け直す。
娘の瞼に涙の跡。それを軽くぬぐいながら彼は語りかけた。
「この世界にはいなくとも。君の夢の中にはいるのだろう?」
モノは与えないかもしれないが。物以外のものを君に与えているようだな。
物思いにふけりつつ不器用ながらも娘を優しく抱き天の川を見上げる老人。
「??!!」
その表情がほんの瞬きほどの時間だけ驚きに染まる。
「クリスマスだけではなくて年中無休営業か」
思わず冗談を放ってしまう老人。
その娘は一瞬の奇蹟に気付かず夢の中。
老人の細くなった腕から離れた娘は寝台で寝返りをうつ。
「ゆっくりお休み」
寝台から離れ、ソファへと向かう彼。
「うん。とうさん」
寝ぼけた声。満天の空の下、老人は空を見上げる。
セリカ(芹香)はこの日。
今日も希望の星を袋に詰めて、橇にのって天を駆ける白髭の老人の夢を確かに見た。