手紙を出して
唇にその便箋を当てて、私はまだ見ぬあなたを思う。
不格好だけど丁寧に書かれた文字。
時々入っている綺麗な異国の絵葉書。
鉛筆で何度も書き直した下書きの痕。
そのすべてがあなたの人柄を表していて。
……好きです。
月が替わる少し前くらいにあの方の手紙は私の元に届きます。不格好だけど私が見ることを意識して丁寧に書いてあるあの方の文字。
時々入っている綺麗な異国の絵葉書や彼が葉書に描いた小さな水彩画。鉛筆で何度も下書きをした跡。
下書き用の用紙を使えばよいのに。少しほほえましい。
彼はどんな顔をしているのでしょうか。
彼はどんな微笑みを見せるのでしょうか。
彼はどんな声をしているのでしょうか。
彼がペンを握る指先を握ると、どんな感触がするのでしょうか。
便箋に唇を近づけ、彼を想います。
きっと魅力的な殿方なのでしょうと。
若者ならば血気盛んながらも人を思いやる心がある育ちのいい子。
御年輩ならば苦労を重ねつつ円熟のカガヤキを持つ大人の男性。
その手のひらはきっと柔らかくて暖かくて、素敵なのでしょうね。
彼の手のひらに抱かれる娘は、きっと幸せそうな笑みを浮かべているのでしょう。
春が来ました。
桜が咲くのが好きだそうですね。
私は桜が散ってからの葉桜が好きです。
だって命の光を一番感じるから。
梅雨になりました。
アジサイの花が色づくころですね。
私は時々見かける蛞蝓の背の輝きに驚いてしまいます。
傘とかについているナメクジさん。どこからあなたはやってきたのかしらと。
夏になりました。
入道雲と不意の夕立が恨めしい季節ですか。
私は好きです。白くて大きくて。ふっと酷暑が消えて一気にざぁっと世界を潤していくのです。
秋になりました。
色気より食い気ですか。
あはは。その通りですね。私もそうなのです。
冬になりました。
雪かきが大変な季節ですか。
あなたはどこに住んでいらっしゃるのですか。
え? 逢いたい?
いえいえ。
私はあなたの思うほど素敵な女性じゃありませんので。
その。嫌われるのを覚悟で言います。
私は男性なのです。歳ももうすぐ不惑になろうとしています。
幻滅したでしょう。
もうしわけございません。
最初はただの病の暇に任せた悪戯でございました。
ですが、こうして手紙を交わしているうちに、手紙の中に住む私たちの中の『香織』さんの気持ちに近づいていたのです。
香織さんならどう思うでしょうか。
香織さんなら喜ぶのではないかと。
気が付けば私は私であることを忘れ、『香織』になっていたのです。
今更謝罪の言葉もありません。申し訳ありません。
ため息をつき、彼から来た手紙を破り捨てる私の前に同い年の看護婦が立つ。
「どうされました? 吉良さん」
「なんでもない。なんでもないんだ。藤田さん」
彼女は私の手を引く。
「治る病気もそんな涙目では治りませんよ。来年の葉桜はきっときらきらと光を放っていて美しいと思います」
そうだな。その通りだ。
「梅雨が来れば蛞蝓に驚いて、夏になれば夕立を眺めながらお茶を院内で呑んで」
「ははは。君の淹れるお茶は絶品だ」
「秋になる前に色気を出してくれるとうれしいのですが」
僕はじっと藤田さんの顔を見た。
「まだ気が付きません? 吉良さん」
「君の笑顔に見覚えがある」
「高校の時にクラスメイトでした」
「そう。なのか。知らなかった」
当時の僕は陰気で、クラスメイトに興味など持っていなかった。友達もいなかった。
「体育祭のダンスの時、相手がいなかった私の手を引いてくれた少年がいたんですよ」
「そうか」
「いまでこそこんな剛毅な看護婦ですが、当時は引っ込み思案で」
「意外だね」
「失礼ですよ?」
そうして彼女は続ける。私はその言葉を待つ。
まるで手紙を待つ乙女のように。
「うそをついていたのはあなただけではないのです」
私もそうですよ。
彼女は苦笑いしてぺこりと謝ってみせた。
次の年。僕は退院した。
歳はとった。
だが、僕らの心は学生時代と変わらない。
不惑の結婚でどうかと思うが、この年で子供を授かった。かわいらしい娘だった。
『香織』と名付けよう。
そうしましょう。あなた。




