クレア
ようやく彼らの名前が出てきました。
クレアちゃん。可愛がってください。
少女の名はクレア・ローレンス。没落貴族ローレンス家の末娘である。クレアの上に四人の姉 妹が居るが、彼女たちは家計を支えるために出稼ぎに出ており、ほとんど家には帰ってこな い。
彼女たちは大事なお仕事をしているんだよ、と父母に何度も聞かされたが、具体的に姉た ちが何をしているか、クレアは知らない。
ローレンス家は小高い丘の屋敷に住んでおり、何人 かの使用人と父母、クレアで慎ましい生活を送っていた。
屋敷は一番近い村までも馬車で半日 かかる。食料や入り用のものはいつも村からまとめて届けてもらっていた。屋敷の中と丘のま わりにある森、近くの村、柔らかな歌声や勉強の先生、綺麗な噴水とネコのシンディ。それが 今年で6才になるクレアのすべてだった。
突然身に降りかかった出来事は本当に現実であるの か、クレアには夢であって欲しかった。目を開ければいつものように母がいて、寝坊した自分 を優しく叱り、階下では父の朝食を催促する声が聞こえるのではないか。暗い意識の中でクレ アはひたすら祈り続けた。これが夢でありますように、と。
深い水面の底から、ぷくぷくと泡が浮かぶように、暗い意識の底からクレアの意識は浮上し た。無造作に寝返りを打つと、なじんだシーツとは違う感触がする。昔、森の中で昼寝をした ときの感触。手の平にくしゃりと掴んだものが少し伸びた草であることを確認し、クレアは大 きく息を吐くとゆっくりと瞳を開けた。陽光のあまりの眩しさに一瞬うめき、目線の先に草を 握りしめる自分の手を見つけ、涙が頬を伝った。
あぁ、昨日のことは夢ではなかった。
現実を 受け止めなくては。
クレアはゆっくりと上体を起こす。膝の上にはネコのシンディがいる。起 きあがった主を気遣うように小さくニャァと鳴き、首の鈴をチリリと鳴らした。
クレアはシン ディに軽く微笑み、視線を上げて息をのんだ。
「・・・」
そこには昨日、無造作に、軽々と敵の首を跳ねた黒衣の男が片膝を立て、木の幹に背を預けた まま座り込み、クレアを凝視していた。
黒い切れ長な瞳は感情が無く、少し長めの前髪と顔を 縁取る黒く、所々に白が混じる髪が彼の表情を読み取りにくくしていた。
クレアの脳裏に昨日 の兵士が甦る。自分もまたここで殺されるのではないかと言う不安が恐怖へと変わり、クレア は叫び声を上げた。
「きゃぁーーーっ!!!!!」
叫んでどうなるわけではないと自分でも分かっていたが叫ばずにはいられなかった。その声に 男性は少し眉をひそめ、腰元の大剣を引き寄せ、クレアの元へと歩く。
クレアは近づいてくる 男性から逃げることも出来ず、ただそこに座り込んでいた。
シンディは毛を逆立てて威嚇して いる。クレアが大きな青い瞳を閉じようとしたその時、明るい場違いな声が聞こえた。
「あーーー!ヒューが女の子を泣かせてるーっ!!」
クレアは驚き、声のした方を振り返ると、明るい赤毛を左右で高く結った少女が籠を片手に 走ってきた。
ヒューと呼ばれた男性は先ほどよりも眉間の皺を増やし、無言で先ほどまで座り 込んでいた場所まで戻っていった。
「どうしたの?どっか痛い?」
少女に問われ、クレアは慌てて首を振った。
「どーした、エディ?なんかあったかぁ?」
目の前の赤毛の少女はエディと言うらしい。
振り返れば昨日、二本の短刀を見事に扱って敵を 殺した男が居た。
白い短髪に日焼けした肌、黒い瞳はきらきらしている。
「まさか怪我ですか?」
「ヒューに何かされたのかな~?」
その男性に続いて二人の男性が大きな鹿を担いで現れた。
一人は黒い髪に紫の瞳で、昨日短槍 を扱っていた青年。
もう一人は長剣を操っていた男性。よく見ると髪は青で瞳は緑という珍し い取り合わせだが、それほど目立った容姿ではなかった。
「アーヴィン!リヴェル!!怪我はしてないみたい!あれ?ティアは?一緒じゃないの?」
黒い髪の人はアーヴィン、青い髪の人はリヴェルと呼ばれた。
「私はここよ。みんなそろった?」
最後に水を満たした鍋を抱えた女性が現れた。会話の筋からこの女性がティアというのだろ う。銀の髪に黒い瞳が印象的な女性だった。
「じゃぁみんなは食事の準備に取りかかって!」
ティアの一声で他の人たちは各自作業に取りかかった。
エディは籠の中のキノコ類を切り分 け、アーヴィン、リヴェルに白い髪の男性が加わり、てきぱきと鹿を解体していく。
手慣れた 彼らの作業を呆気にとられてクレアは見つめた。彼女は初めて見たのだ。命があった動物たち が食べるための肉となる様を。森に咲いているキノコが鍋にはいるところを。彼女にとって肉 やキノコとは調理され、お皿に盛られたものがすべてだった。
「さて。あなたの名前はなんていうの?」
ティアと呼ばれていた女性が隣に座り込み尋ねてきた。しゃがみ込み自分と同じ視線になった ティアの瞳は黒曜石のようだった。
ここで黙り込んでもしょうがないと思い、クレアは正直に 答えることにした。
「クレア・ローレンスです・・・。」
ティアはふむ、と軽く頷く。
「あの丘の上のローレンス家の末娘・・・。で、この黒猫はシンディ・・・で合ってるかし ら?」
「すえむすめ・・・?って何ですか・・・?」
ティアは苦笑し、言い換える。
「う〜んと、要するに・・・お姉さんが四人いて、弟も妹も居ない?」
ようやく言葉の意味が飲み込めたクレアは大きく頷いた。
「はい。そうです。」
ティアはそれを見て大きく息を吐いた。
「あー・・・遅かったのね・・・。」
クレアは何のことだかさっぱり分からない。だがこの大人達は自分よりも多くのことを知って るのだと思った。
「えっと・・・あの・・・ティアさん達は・・・」
困惑気味のクレアを見てティアはにっこりと笑う。
「私たち?私たちはあなた達を連れ出しに来たの。」
その言葉にクレアの瞳が輝いた。これが本で読んだ救世主様だと思った。
「じゃぁ、ティアさん達は救世主様ですか?」
クレアの言葉を聞いたティアは一瞬首を傾げ、直後に吹き出した。
「はは・・・ごめんね。私たちは救世主様じゃないの。えっと・・・傭兵・・・ってわか る?」
今度はクレアが固まった。クレアの知っている本の中の傭兵とは、お金をもらい人を殺す悪い 人たちの手下である。クレアの体がぴくりと緊張する。
「じゃぁ・・・ティアさん達は・・・悪い人なの?いっぱい人を殺すの?私も殺すの?」
ティアは目を瞬かせこの幼い少女を見つめた。注意深く話しかける。
「う〜ん・・・今は、クレアちゃんにとっては、いい人・・・だと思うわ。あなたを連れてい かなくちゃいけないからね。」
クレアの体から力が抜ける。本で読んだ傭兵とティアさん達は違うのだと思った。クレアの読 んだ本に載っていた傭兵は、伝説の傭兵隊。お金さえもらえば非情になって任務をこなす。血 も涙もない冷徹な伝説の6つの傭兵部隊の話だった。
「えっとね、私はこの傭兵部隊の隊長のティア・アイヴィス。ティアで良いわ。あそこでキノ コを調理してる赤毛の子がレディエラ・ヴィス。みんなエディって呼んでる わ。16才で一番年下よ。」
自分のことが話題に上ったのが聞こえたのかエディが顔を上げ、こっちに向かって手をひらひ らと振った。
「で、あの珍しい緑の瞳なのに顔立ちが普通で損してるのがリヴェル・エレニア。23才で、 ほんわかした人よ。その隣にいる白髪の人がカーツ・ヒル。年は・・・」
そう言ったところでカーツが叫ぶ。
「俺は永遠の16才だからな!」
ティアは苦笑する。クレアは呆気にとられた。まだ6才の彼女にはなぜそんなに年にこだわる のか理解できなかった。
「だそうよ。で、いま鹿をさばいているのがアーヴァイン・グランド。みんなはアーヴィンっ て呼ぶわ。18才のくせに誰よりもしっかりしてるの。」
アーヴィンがこちらを見てニコリと笑った。
「最初にクレアちゃんが見た、怖い無表情のおじさん・・・ほら、あそこで火をおこしている のがヒュー・グランド。アーヴィンの実の父よ。」
ティアはクスクス笑う。無愛想なヒューと愛想の良いアーヴィン。似てもにつかない親子だと 思う。
優しいお姉さんがティア、元気な女の子がエディ、白いのがカーツ、おっとりがリヴェ ル、優しいお兄さんがアーヴィン、怖いおじさんがヒュー、とクレアは頭にたたき込んだ。助 けてくれた人たちの名前を間違えちゃいけないと思い何度か復唱する。横でティアはニコニコ とその光景を眺めていた。
「うん!覚えたよ、ティア!」
無邪気に笑うクレアの髪をくしゃくしゃとなで回し、ティアは慎重に切り出した。
「・・・私たち、6人はね。」
ティアは胸元から何かを引き出す。それを見てクレアは愕然とした。
この世界に住んでいる者 ならば必ずその名を知っている。多くの神話と童話に登場するその部隊。引き受けた任務は確 実にこなす、神出鬼没の6つの部隊。その証として彼らが身につけるもの。
銀の細かい彫刻の成された台座に付いた牙。
奪われた武器を象徴として持つ部隊。牙と爪と翼 と瞳、毒と針。“足りないもの”として“牙”を身につける彼女たちは、すなわち・・・
「そう。私たちは“牙のない獅子”よ。」