湯煙と傷
結局アーヴィンは医者に異常はないと一応痛み止めをもらい、3人で決められた宿屋へと向 かった。
「無事に入れて良かったね!」
シンディを胸に抱き、クレアがニコニコと笑う。
「上手な演技だったよ、クレアちゃん。」
アーヴィンも笑う。ヒューは窓際のベッドに腰掛け軽く瞳を閉じている。
傭兵が身分を隠す手段として出来るだけ嘘をつかないと言うことがある。嘘というものは塗り重ねれば塗り重ねるだけ無理が生じる。
肝心なところだけを嘘にすり替えることがもっとも効果的なのだ。
実際、街にはいるために使ったヒューの身分証明書は本物である。
ならばアー ヴィンもクレアも使えばいいではないかと思うところだが、クレアのものはローレンス家に置いてきてしまっているし、アーヴィンに関してはそもそも、そういった書類が無い。生まれた届けどころか生まれた事実すら闇に葬られたのだから。
”コンコン”
「ヒューいる?」
扉が控えめにノックされ、聞き知った声が聞こえるとクレアの顔がパッと輝いた。
「今鍵を開けます。」
そう言ってアーヴィンが鍵を開けると現れたのはさっきの農夫達である。汚い身なりはさすが 着替えたようだが、汚れた体はそのままだった。しかしそれだけでも別人のようになる。それはクレアのよく知った残りの『牙のない獅子』達であった。
「ティアー!カーツ!」
クレアはぽてぽてと二人に駆け寄り、ぽふっと音がしそうな勢いで飛びついた。危なげなく受け止めたカーツはそのままわしゃわしゃとクレアの髪を混ぜる。
「どーだ?俺の変装見事だっただろー!」
「うん!!ティアもカーツも別人だったよ!!」
「…私たちは冷や汗ものだったけどね…。」
扉をそっと閉めて最後に入ってきたリヴェルとエディは顔を見合わせて苦笑した。この二人も正式な身分証明書など持ち合わせていない。そもそもエディはすでに死んだことになっている。
実はこの二人は例の台車に乗っていたのだ。ただし、台車の下に。台車の下の取っ手にしがみついていたのだ。そのままだとばれてしまうため上の藁を少しばらけさせ、台車の下に落 ちそうな状態にしておいたのだ。 窓際のヒューが眉をひそめてぼそりと言った。
「…農夫組、匂いがきつい。クレアを連れて浴場にでも行ってこい。」
「浴場ってなに?!」
クレアの目が輝いた。
「この街の外れには温かいお湯が沸いてる池があるの。それを溜めてみんなで入るのよ。」
へぇと相づちを打ちつつクレアは好奇心に後押しされ今にも部屋を飛び出しそうだ。
「じゃぁ行きますか!」
「うん!!」
カーツの声にクレアが飛び上がって喜ぶ。クレアの腕の中のシンディだけはお湯と言う言葉に反応したのか嫌そうにクレアの腕から脱出し、ヒューの肩へと逃げた。
「ん〜じゃぁみんな行っておいでよ〜。行きがけに宿の人にお湯頼んどいてね〜。」
楽しそうなカーツに抱えられたクレアがリヴェルとヒューを振り返る。
「え〜?リヴェルとヒューは行かないの?」
ヒューとリヴェルは顔を見合わせる。
「ん〜とね〜…僕、大きなお風呂にはいると溺れちゃうんだよね〜。行っておいで〜。」
そう言ってリヴェルがひらひらと手を振ると、まだ不満げではあったがクレアは渋々頷き ヒューとリヴェルを残し、牙のない獅子は浴場へと向かった。
「ひっろーい!!あったかーい!!」
はじめて見る大きな天然の風呂場にクレアの大歓声が響き渡った。自然石の大きなくぼみを利 用した大きな池に薄緑に色づいた湯がわき上がり、ゆるゆると煙が立ち上っている。
「足を滑らさないようにね。」
後ろからティアとエディがゆっくりと湯に入ってきた。
「ふわぁ〜やっぱり気持ちいいわぁ〜…。」
「ティア…年寄り臭いわよ。」
「煩いわね。」
ティアとエディは気持ちよさそうに手足を目一杯伸ばして天を仰ぐ。クレアが煙の中、目をこらすと二人の体が湯越しに見えた。よく見るとティアの体には沢山の傷跡がある。皮膚が引き つったまま筋になっているものが多く、見た目にも痛々しかった。
エディの体にも傷はいくつもあったが、それよりも目を引いたのは皮膚のただれだった。肘や肩などの曲がる関節部分の皮膚が伸びたまま戻らなかったような不自然なたるみ。そんな二人の体はクレアが今まで見てきた母や乳母の体とはあまりにも違った。
その姿にまわりの客も3人に距離を置いて入っていた。
「…痛い…?」
急に尋ねたクレアに二人は首を傾げ、しばし後で問いの意味に気が付いた。自分たちはすでに 慣れ親しんだ傷だから気が付かなかった。
「今は痛くないわよ?跡があるだけでもう平気。」
ティアは優しく笑って湯の中のクレアを引き寄せ膝に乗せた。
「私のこれは傷じゃなくて薬のせい。でもしょうがないし、痛くないから平気だよ。…ちょっと気持ち悪いけど。」
最後は自嘲気味に言ったエディの皮膚をクレアがそっとなぞる。
「クレアは平気だもん!エディが好きだから気持ち悪いなんて思わないもん!」
クレアの言葉にエディも笑う。
「ありがと、クレアちゃん。」
そう言って組み合わせた両手の間から水を飛ばして見せた。水をかけられ数回まばたきしたク レアはきらきらとした目でエディに言った。
「すごーい!!ねぇ!それどーやったの?!私も出来る?!教えてエディ〜!!」
こうして女湯ではにぎやかな時が過ぎた。
少し離れた男湯ではティアやエディに負けないほど全身に傷のあるカーツがのほほんと湯に浸 かっていた。
カーツは傭兵歴が長い。それに伴って体に刻まれた傷も多い。
だが女とは違い男 にとって傷は勲章の意味もあってか、他の客に与える印象は少ない。
カーツにとって傷が勲章 と言うのは馬鹿馬鹿しいことこの上ない。傷を負うというのは馬鹿か実力のないヤツだとカー ツは思っている。彼に残る傷跡はほとんど若い頃におったものだ。
「隣、失礼します。」
そう言ってアーヴィンが湯に滑り込み、満足げに一つため息を吐いた。
カーツに比べアーヴィ ンには傷があまりない。それは使う武器が短槍であり間合いが遠いと言うこともあるが、彼の 場合慎重な性格の方が理由としてはもっともだ。
すらりと伸びたあまり筋肉質に見えない柔軟 性のある体つきはこうしていれば傭兵には見えない。
「なぁ、アーヴィン。お前ホントにヒューの息子か?」
何を聞くのかというようにアーヴィンが眉をひそめる。
「だってほら、お前細いし。ヒューはがっちりだし。お前愛想いいし、よく笑うし。」
ふーと大きく息を吐いてアーヴィンは肩まで浸かる。
「私は父さんの息子ですよ。そりゃぁ生まれたときの記憶なんか無いですけど。でも…」
そう 言って意味ありげにカーツに笑う。
「父さんの笑顔見たことありますか?」
カーツも顎まで浸かり思案する。
「……かれこれ長い付き合いだが……ない。」
「父さんの笑顔。僕にそっくりですよ。」
その話にカーツは思わずぶくぶくと顔を半分湯に浸す。
「僕は母似だそうです。父さんがよくそう言います。でも父さんの笑顔は僕に似てる…逆か な?僕の笑顔は父さんに似てるんですよ。」
「…あいつが笑ってるとこなんざ想像出来ねぇ……。」
顔を覆ったカーツが呟き
「まぁ僕もここ数年見てないですけど。」
とアーヴィンがしれっと言い放ち、男湯には沈黙が落ちた。
女湯は分かるのですが、男湯ではどんな会話をみなさんしているのでしょうか…。
次回はリヴェルとヒューの入浴シーンです(笑)
(ヒューは脱ぎません(笑))




