Epi7:精神的リザレクション
それは戦いとそれに準ずる戦後処理の完了した2日後のこと。
吹雪が窓を叩く執務室で、バリンダの領主ライゼンは、絞り出すような声で千紘に告げた。
「……千紘。頼みがある。イリアを……あいつを、治してやってくれないか。国中の聖職者も治癒術師も匙を投げた病だ。だが、お前なら……」
ライゼンの瞳には、猛将らしからぬ悲痛な色が混じっていた。千紘は眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な投資家の目で、部屋の隅で虚空を見つめる少女——イリアをスキャンした。
「ライゼン、勘違いしないでください。僕は慈善事業家ではありません。彼女を治すことで、僕にどのような『利回り』があるか……それが全てだ。」
千紘とライゼンは手術室に向かい歩きドアを開く。そこには横たわったイリアがいた。
そして千紘は指先にマゼンタの線を走らせ、イリアの周囲に展開する。彼にだけ見えるUIには、彼女の脳構造がノイズ混じりの3Dモデルとして投影されていた。
「……ふむ。魔力伝導系の重篤なエラー。放置すれば数年で廃人ですね。ですが、彼女の潜在的な演算能力…。……いいでしょう、この案件、引き受けます」
そしてライゼンを部屋から出させた後、千紘はイリアの項へと手を伸ばした。
マゼンタのUI越しに見える彼女の横顔が、かつて元の世界で仲直りすらできずに引き裂かれた**「あの女」**の面影を、執拗にフラッシュバックさせる。
「……チッ。似ているな。クソ食らえだ」
合理性という杖なしでは立っていられない今の自分にとって、この「過去の残像」は計算を狂わせる致命的なノイズだ。
千紘は苛立ちを隠すように、シアンの線を彼女の神経系へ深く潜り込ませた。
「いいですか、動かないでくださいね。0.1ミリのズレで、君の言語野が消し飛ぶ。」
外科免許を持つ彼の手捌きは、迷いがない。量子重ね合わせ状態にある異世界のニューロンを、現物合わせで強引に最適化していく。だが、その一瞬、面影への苛立ちが指先に微かな焦りを生んだ。
「……? 確率の波が『執着』の側に収束したか。……くそ、オキシトシン類似物質が規定値の1.1倍……過剰分泌だ」
治療の最終段階。千紘は内分泌系の反応を物理的に確認するため、イリアの唇に指を近づけた。
本来なら拒絶するはずの距離。だが、イリアは微動だにせず、むしろ千紘の指を受け入れるように、熱を帯びた吐息を漏らしている。イリアの舌が指に触れる。
「……確定ですね。瞳孔の散大、拒絶反応の消失。この未知の物質は、僕の知るオキシトシンとほぼ同等の強力な『絆』を形成している。」
千紘は指を離し、何事もなかったかのようにマゼンタのUIを閉じた。
「この物質をいちいち正式名称で呼ぶのは非効率だ。便宜上、これからは**『オキシトシン』**と呼びましょう。おめでとうイリアさん。君は僕という観測者に、文字通り脳をハック(支配)されたわけだ」
イリアは何も言えない。霧が晴れた視界の中で、自分を「モノ」として査定する千紘の瞳だけが、逃れられない「世界の正解」として焼き付いていた。
「さて。20時間ほど眠りなさい。目覚めた時、君の脳は僕に最適化されている。……僕のように、手遅れになる前にね」
2 hours later...
眠りについたイリアをニナに預け、千紘は一人、王室高速船が眠る地下ドックへと向かった。
外は猛吹雪だが、彼の頭は冷徹な数字で埋め尽くされている。
「……オキシトシンの過剰分泌は想定外のコストですが、忠誠心の向上と考えれば資産価値はプラスだ。……さて、次は高速船の解体に取り掛かるとしましょう」
指先に残る唇の感触を、マゼンタの光で塗りつぶす。
かつての自分が愛した面影を、今の自分が「パーツ」として再利用していく。それが、この理不尽な世界で生き残るための、彼なりの**「誠実さ」**だった。




