『記憶の回廊』第4章 幸を求め 【2】広がる世界
人生の節目に立つ伸介。婚約の報告とともに、両親と暮らす決意を語り、仕事と家庭をどう両立させるかを模索します。本章では、その選択に向けた第一歩が描かれます。
第4章 幸を求め 【2】広がる世界
「桑崎教授、国際特許は申請いたしました。もうご心配はありません」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
その場には恵子も同席していた。
「教授、私の婚約者をご紹介します」
「金沢恵子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「おめでとうございます、鈴木君!」
颯太は少し間をおき、静かに口を開いた。
「教授、私の生い立ちをお話ししたいと思います。
中学の頃、向学心に燃えていましたが、実母は卒業後すぐ働けと言いました。
そこで鈴木のおじさんの養子となり、高校から大学まで進ませていただき、今の私があります。
けれども留萌の両親は年を取り、寂しい思いをしています。帰って親孝行をしなければと考えています」
「なるほど……」教授は深くうなずいた。
「今の仕事は非常に楽しく、やりがいもあります。ですが鈴木の両親に恩返しすることを思えば、実の両親ともしばらく生活を共にしてあげたいのです」
「鈴木さん、それは良い考えですね。私も賛成します」
「柳社長に相談すれば、妙案が出るかもしれませんよ」
「ありがとうございます。この後、柳宗助氏のお宅を訪問し、奥様にも婚約をご報告するつもりです」
――翌日。
出社した颯太は秘書の森に声をかけた。
「柳社長にお会いしたいのですが、都合の良い時間を教えてください」
「本日、午後三時から三十分ほどお時間があります」
「ありがとうございます。お願いします」
午後三時半、社長室の扉をノックした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
「鈴木君、婚約おめでとう」
「ありがとうございます」
颯太は深く息をつき、大事な用件を切り出した。
「社長、私は両親に十分な恩返しができていません。高齢の彼らと一緒に暮らしたいのです」
柳社長は腕を組み、しばし考え込んだ。
「……今のプロジェクトも完成させねばならないし、次の計画でも君は必要だ」
「どこにいても仕事は続けられると思います」
「留萌はJRが廃線になる予定みたいですね、 営業所の立て直しを考えていたところです」「営業所の現状の調べ、提案など無いか調査して、その後決めたらどうかね」
「わが社にとって君は必要な人材だ、留萌を見てきてください」
「ありがとうございます、恵子と二人で伺いたいのですが」
「もちろんだ。まずは自分の目で確かめてきなさい」
ありがたい言葉を胸に、伸介は勝どきのマンションへ戻った。
郵便受けを開けると、留萌の父から手紙が届いていた。
――【颯太様 先日の温かい気持ちを知り、とても嬉しく思いました。愚痴をこぼし、心配をかけたことを反省しています。どうかこちらのことは心配せず、仕事を続けてください。まだまだ颯太のやるべきことがあるはずです。楽しい思い出も辛い思い出も仕事の中で作りなさい。私も同じように歩んできました。成長する姿をこれからも楽しみにしています。迷惑をかけてしまうと、これまで支えてきたことまで無駄にしてしまう気がします。心配しないでください、今でも応援しています】――
手紙を読み終えた伸介の気持ちは変わらなかった。
ガラス窓に映る鈴木の母の優しい顔。その寂しそうな表情を、どうしても笑顔に変えてあげたいと願った。
その夜、両親へ手紙をしたためた。
――『突然の報告で申し訳ありません。私は結婚を考えています。金沢恵子さん、28歳、函館の出身です。写真を同封いたします。どうかご了解いただきたいと思います』
『二人で社の留萌営業所を見学に参ります。お会いできるのを楽しみにしています』――
仕事の使命と親孝行、その両立を模索する颯太に、留萌への転勤という新たな舞台が開けました。結婚準備とともに、次なる生活と挑戦が始まろうとしています。