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第9話 俺の城

「それでだ! 次は俺は何をすればいい?」

「あー、んー」


 何もかもがどうでもよくなった歩鳥は、空を駆ける飛行機を見ながら、足をぷらぷらとさせていた。


「泉でも簡単にこの状況を打破できる案は思いつかないか……」

「あー、んー、そうだねー、んー、どうしようかねー、今日は帰ろうかねー」

「一旦頭をフレッシュな状態にして戦略を練る、ということか」


 自分がないがしろにされていることなど考える余地もなく、大地は次々と都合良く解釈していく。

 このビックウェーブに乗り遅れまいと、歩鳥がぴたりと足を止めた。


「そういうこと! 今日は解散しよう!」

「うむ」


 ぱんっと手を叩き、ベンチから立ち上がる。

 勢いが余り過ぎたのか、歩鳥のポケットからリップが落ちた。


「おい、落としたぞ。リップか? おい、学校に化粧は――」

「い、いいでしょ、メイクの一つや二つぐらい! これも社会勉強の一つなんだよ? 大人になると女の子はしてないほうがだらしないと思われちゃんだから」


 大地の手からリップを奪い返した歩鳥が、のべつ幕なしにしゃべりたてる。


「……うん、悪くない」

「でしょ? わかってくれたらならいいんだよ。ほら、帰ろう」

「悪くないぞ、泉!」

「もうわかったって! それに別に怒ってないし」


 大地がぎゅっと拳を握る。

 もうやめてほしい。今日二回目の嫌な予感に、歩鳥は体がこわばるのを感じた。


「泉、俺にメイクを教えてくれ」

「なんでそうなった!?」


 たじろぐ歩鳥を、大地は手で制す。


「まあ待て、お前の言いたいことはわかる」

「分かってないよね?」

「俺はすでにかっこいいのだから、メイクなんかしなくてもいい。そういうことだろっ?」

「分かってないよ!」


 フルスロットルの大地は、歩鳥の訴えを気にすることなく続ける。


「俺は何もしなくてもかっこいい。それは紛れもない事実だ。しかーし! メイクをすることでさらにかっこよくなり、人気者により近づけるかもしれない。その可能性があるのに、やらない理由はあるのか? 師よ」

「その理屈はわかるけど、ぶっ飛び過ぎじゃない?」

「ノーメイク、ノーライフ……ノー大地だ」

「意味わかんないよ……、わからなすぎるよ」


 ゆらゆらと揺れながらしゃがみ込む歩鳥に大地が駆け寄る。


「す、すまん。勝手に突っ走ってしまった。そうだよな、泉にもできないことはあるよな。メイクがあまり得意でない可能性を考慮できていなかった」


 歩鳥のこめかみにしわが寄った。

 世間一般からすれば、こんなのは安い挑発だ。だが、大地にはそんな器用なマネはできない。

 歩鳥はそれを分かっているからこそ、本気ではらわたが煮えくり返っていた。


「メイクが苦手? 私が?」


 立ち上がった歩鳥は笑顔ながらも、その目の奥は敵意に満ちていた。

 中学三年生のころから、血眼になって朝から晩まで研究しメイクの腕を上げた。

 派手過ぎず、それでいてほんのりと色気も漂わせる技術。

 メイクは、歩鳥にとってプライドだ。

 こんなぽっと出のメイクの『メ』の字も知らないうぬぼれ野郎に踏みにじられるわけにはいかない。


「いいでしょう成島くん。私が本物のメイクというものを教えてあげる」

「ふはっ、師よ。いい顔になってきたじゃないか」

「それ弟子が言うことじゃないから」


 これまでの結晶をすべてぶつければ、大地もレベルの違いに愕然とし、たった二週間でメイクをして人気者になろうなどという浅はかな考えはなくすだろう。

 そんな浅はかな考えをする歩鳥が、空に向かって胸を張っていた。



 翌日の放課後。

 歩鳥と大地は学校の最寄り駅ではなく、少し先の駅で待ち合わせをした。

 二人は学校では関わらないという、厳かなルールのもと師弟関係を続けている。

 メイクの講習となると、学校以外の場所になるのだが、近すぎると他の生徒に出くわす可能性がある。

 たまたま電車の方面が一緒ということもあり、最寄りから三つ先の駅で落ち合うことにした。

 歩鳥が乗る電車には、いつものように同じ高校の生徒でひしめき合っていたが、その駅で降りる生徒はいない。

 階段を上って改札まで歩くと、大地が仁王立ちで待っていた。


「来たな、泉」


 まるでラスボスかのように構える大地の隣を、歩鳥がすうっと通り過ぎようとする。大地はそれを引き留めるように優しく歩鳥の肩に手を置いた。


「おい、バカ。俺は幻じゃないぞ」

「……こんな目立つところ、誰かに見られるかもしれないでしょ」


 幻ならばどれほどよかっただろう。歩鳥が唇を噛みしめる。


「それで、今日はどこでするの? ぴったりの場所があるとか言ってたけど」

「そう焦るな。今から行くのは俺の城だ。ついてこい」


 大地はそう言って、歩き出した。

 距離感を保ちながら、歩鳥も後ろをついて行く。

 公園や路地裏、商品棚がガラガラのコンビニなどで、大地は時折足を止め、歩鳥にそこでの思い出話を披露した。もちろん歩鳥はほとんど聞いていない。

 大地の歴史よりも、明日の日本史の小テストのほうが大事なため、スマホで一問一答を続ける。

 ちょうど全問正解したころだっただろうか。

 大地が歩くのをやめ、振り向いた。


「ついたぞ」


 歩鳥は目を疑った。

 そこは木造二階建ての一軒家。表札には、『成島』の文字が記載されていたのだ。


「な、成島くん、ここって……」

「俺の城だ」

「家だよね? お城じゃないよね? ねえ!?」

「そうとも言う」

「そうとしか言わないよ!」


 歩鳥はひどく動揺していた。

 まさか、初・男の子の家をこんな形で迎えてしまうとは思っていなかった。そして何より、学園のマドンナを簡単に家に連れ込もうとしているこの男への恐怖。

 帰るべきだとわかっていても、体が硬直して動かない。


「おい、どうした。入らないのか?」

「えっと、いや、てっきりどこかお店とか行くのかと思ってて……」

「お店で化粧など失礼だろ」

「こんな時に正論言わないでよ。わかってる? 私、女の子だよ?」

「なにを言っているんだ? お前はどう見ても女だろう」


 至極当然のごとく答える大地。

 自分だけが取り乱している現状に、歩鳥は限りなくゼロに近い仮説を立ててしまった。


「結構慣れてるんだね……、もしかして、こういうことってよくあるの?」

「こういうこととはなんだ?」

「その、女の子が家に来る、とか?」


 聞かれて、大地は少し考える。


「ああ、そうだな。女の子と言えば、俺の家には毎日いるぞ」

「ま、毎日!? へえ、成島くんって意外とそういう感じ?」


 突然、大地がにやりと笑い、歩鳥に近づいてきた。

 恐怖で体が動かない。

 頭の中で警察への通報番号110番だけを反芻する。


「ちょうどよかった」


 低く地面を這うような声が、歩鳥の体を凍らせる。


「な、成島くん、こんなこと――」


 精一杯の勇気を振り絞って出した声。

 それでも大地は止まらずに、そのまま通り過ぎて行った。


「え?」


 振り返ると、そこには歩鳥と同じように硬直する女の子が一人立ち竦んでいた。

 大地はその子の肩を掴み、誇らしげに声を上げる。


「紹介しよう。妹の美琴だ。俺の家に毎日いる女の子だ」


 さっきまで、何倍もの負荷がかかっていた歩鳥の体が、一気に軽くなる。

 歩鳥はそのまま右足を踏み出し、走り出す。

 そして――。


「紛らわしい……、言い方するなーーーー!!」


 遠心力を伴った歩鳥のスクールバッグが、どこまでも不快な大地の笑顔をつぶした。


「……お兄ちゃんが、お兄ちゃんが、可愛い女の人といる」


 美琴は、自分の兄が隣から消えていったことなど気にも留めず、ただ茫然と立ち尽くすだけだった。


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