第23話 かっこ仮面
自分の完璧なまでの采配に、舞衣は笑みをこぼしそうになる。
無神経に歩鳥を逆なでる大地と見事に崩れていく歩鳥。まさに自分が思い描いた展開。
人間なんて所詮こんなものだと再確認し、舞衣は安心する。
「すまん舞衣、俺行ってくる」
「大丈夫だよ。すぐに戻ってくるから」
舞衣は大地の手を撫でる様に握りしめた。
「あんな飛び出し方してたんだぞ? 戻ってくるのかわからない」
心配そうに駆け出そうとする大地に、舞衣はスマホを手に取って見せつける。
「これ、泉さん忘れて行っちゃったみたい。さすがに携帯がないのは困るでしょ? だからすぐ戻ってくるよ。その時謝ろう」
「そうだったのか。それなら行き違いになるよりはいいか」
「うん。じゃあ続きしようか」
テーブルに座った大地の背中を舞衣は悪魔さながらの笑顔で見下ろした。
歩鳥のスマホは、舞衣があらかじめ気づかれないようにそっと奪い取って隠していた。
これも、すべてはクライマックスのため。歩鳥と大地の関係を壊す、とどめのための演出だ。
スマホを忘れたとなれば、比較的すぐに戻ってくるはず。
それまでに、大地を墜とすには。
舞衣は教科書を見つめる大地の背後で、シャツを一枚脱ぎ、ゆっくりとスカートを下ろす。
下着姿になった舞衣は、大地の背中を包み込むようにそっと抱きしめる。
「なにをやってるんだ舞衣」
舞衣に抱き疲れた大地の声は、意外にも冷静だった。
一瞬驚いたが、舞衣は構わずに続ける。
「私ね……成島くんのこと、好きなの」
長い沈黙だった。
時計の針が、一音一音丁寧に響くように、舞衣の鼓動も大地の背中にしみこんでいく。
だが、その沈黙も大地は重い岩を押しのけるように静かに破る。
「お前からは、愛情が伝わってこない」
「え?」
正常だった舞衣の鼓動が、大地の言葉で早くなっていく。まるで、図星を突かれて焦燥感に襲われているような感覚。
「な、なに言ってるの? 私は本気だよ?」
「じゃあ、俺の顔を見ていってみろ」
大地が振り返り、肌が露になった舞衣の肩を優しく掴む。
「言えないのか?」
「い、言えるよ! 私は、成島くんが好き。だから――」
「嘘だな」
大地がふっと笑って人差し指で舞衣の額をはねた。
「う、嘘じゃないって! 何で信じてくれないの!?」
「知ってるか? お前は嘘をつくとき、なぜか右耳がぴくりと動くんだよ。昔から変わってない、お前の癖だ」
「……耳?」
舞衣は自分の耳を触るも、大地が何を言ってるかわからない。
「昔からってなに!? 私は好きって言ってるじゃん! いいから、私を見てよ!!」
――ドン。
どうすればいいかわからなかった。
とにかく、体を許せば大地も他の男みたいに飛びついてくると思った。だから、強引に大地を押し倒した。
「お前は、何が欲しいんだ? お前の本当に欲しいものを教えてくれ。そしたら、また昔みたいに一緒に探しに行こう」
「さっきかから昔昔って、何言ってるの!? バカにしてるの!?」
大地に向かって叫ぶ舞衣の顔に、ひらひらと何かが落ちてきていた。さっきの衝撃で緩んでしまったのだろう。
ゆっくりと回転しながら落ちてくる仮面。
見覚えのあるその仮面が落ちるころには、舞衣の目からは滝のように涙が溢れ出していた。
「なんでこんなところに……かっこ仮面が……」
「やっぱり忘れていたのか。久しぶりだな、舞衣」
大地は床に落ちた仮面を拾って、丁寧に被り、かっこ仮面となって舞衣に語り掛けた。
舞衣は赤子のように泣きながら、かつて自分が憧れ、そのようになりたいと願い、そして諦めてしまった「かっこ仮面」を強く抱きしめた。
その瞬間、扉が勢いよく開いた。
大地が扉のほうを向くと同時に、スクールバッグが直撃する。
「この変態うぬぼれ野郎!!」
泣いている舞衣とそれを襲う大地の構図になっていたところに出くわしたせいだろう。
全女子の責任を全うせんと仁王立ちする歩鳥が、鬼の形相を浮かべていた。
「ち、違うんだ泉……」
大地の声は誰にも届くことはなかった。
かっこ仮面は、突然私の前に現れた。
7歳の誕生日。お父さんとお母さんは、私の誕生日のことも忘れていつもみたいに喧嘩していた。
私を育てるにはお金がかかるらしくて、いつもそれが喧嘩の原因だった。
だったら、私がいなくなればいいと思って、家を飛び出した。
まだ7歳だった私が行けるところなんて、少しだけ遠い公園だった。
そこで一人でただ時間が過ぎるのを待っていた時、変な仮面をかぶった彼は現れた。
「お前、なんでそんなかっこよくない顔をしているんだ?」
すごい失礼な奴だと思った。それに私は女の子だからかっこいいは目指してないし、何より仮面が気持ち悪かった。
「別にかっこよくなりたいわけじゃないけど」
「なんだと? お前変わってるな?」
「君に言われたくないんだけど」
私が言うと、彼は不思議そうに小首を傾げた。不審者にしては年は同じくらいだし、レンジャーごっこをしている男の子だと思った。
「俺の名前はかっこ仮面。この世の至るものをかっこいいに変えるスーパーヒーローだ。ただし、俺よりかっこよくなれるものは存在しない。わかったか?」
「はあ、そうなんだね」
「それでだ、お前はどうしてそんなにかっこよくない顔をしてるんだ?」
「かっこよくない顔って何? 私がぶさいくって言いたいの?」
さすがに苛ついたから私が聞くと、かっこ仮面はまた不思議そうに首をかしげる。
「お前はぶさいくじゃないだろう。可愛い顔をしてる」
「か、可愛い!? そんなの会ったばかりの子に言わないでしょ普通!」
初めてそんなこと言われたから、私はどうすればいいかわからなかった。そんな真っ直ぐな感情を向けられたのは、記憶にある中では初めてだったから。
「本当のことを言ってるだけだ。俺がかっこよくないというのは、どうしてそんなに悲しそうな顔をしているんだということだ。こんなことも分からんのか」
「絶対それみんな分かんないからね!」
「いいから言ってみろ。言うだけでかっこよくなれるかも知れんぞ」
初めて会う人に言うことでもないと思ったけど、へんてこな仮面だから人形に話すのと同じような感覚になって、私は話してしまった。
今日が誕生日であること、親が喧嘩してしまったこと、そして――
「私なんかいないほうがいいんじゃないかって」
自虐的に笑うと、かっこ仮面は勢いよくその場から駆け出していった。
まあさすがに小学生が人生相談されても、困るのは当たり前だ。
特に気にせず、何もせず時間が過ぎるのを待った。
遠くから照らす夕日は広い世界を照らしているのに、陰になっている私には届かなかった。まるで私だけが世界にいないような気がしていた。
「また、一人になっちゃったな……」
そうつぶやいた時、前からまた気持ち悪い仮面が飛び出してきた。
「誕生日おめでとう!」
かっこ仮面の手には、綺麗に包まれた赤いチューリップが咲いていた。
「え? なにこれ?」
「お前、今日誕生日なんだろ? だから誕生日プレゼントだ」
「初めて会ったのに? 友達でもないのに?」
「今日からなればいい。俺とお前は今日から友達、いや相棒だ!!」
かっこ仮面はそう言いながら、私にチューリップを持たせ、腕を引っ張った。
まるで日の当たる世界へと導いてくれるようだった。
「私なんかいないほうがいいなんて思うな! 私が生まれてきて良かっただろと周りに教えてやるんだ!」
へんてこな仮面が、すごくかっこいいヒーローに見えた。
私も、こんなふうに誰かを引っ張れるような人になりいと強く思った。
そこから、私とかっこ仮面はよく一緒に遊ぶようになった。
特に何かをするわけじゃないけど、ただ一緒にいるだけで楽しかった。
「ハンサムビーム!!!!」
「え、なにそれ?」
「これを受けたものは100倍かっこよくなる必殺技だ!」
「必殺技なのに相手がかっこよくなるんだ。すごいね!」
当時はかっこ仮面がやることはすべてかっこよく見えたから、矛盾なんてどうでもよかった。
それぐらい彼といるのは楽しくて、愛おしくて、かけがえのない時間だったの。
でも、それも長くは続かなかった。
父親が浮気して、別の家族を作った。
当時の家はその家族の家になるらしく、私とお母さんは引越しを余儀なくされた。
だから、かっこ仮面ともここでさよならしなくちゃいけなかった。
「かっこ仮面。今日でバイバイだね……」
「ああ、そうだな」
そう言って、かっこ仮面が初めて仮面を外した。
仮面の下は、涙でぐちゃぐちゃであんまりよくわからなかった。それに私も大泣きしてたからよく見えなかった。
「お前には何回もハンサムビームを打ってるから心配するな。これからもお前はずっとかっこいい!!」
「うん!」
それが、私とかっこ仮面の最後の言葉だった。
私はそれから、かっこ仮面みたいに真っ直ぐにかっこよく生きようと頑張った。
でも、私のやるかっこいいは、みんなには受け入れられなかった。
そして中学の時、クラスの男子の中でいじめがあった。
担任の男の先生に報告すると「ただじゃれ合ってるだけだろ」と取り合ってくれなかった。
私がやるしかなかったんだ。
かっこ仮面なら、きっとそうすると思ったから。
でもそれが、逆に彼を追い詰めてしまっていたらしい。男子たちはターゲットの子を「女に守られる弱いやつ」と認識し、いじめはエスカレートしていった。
そして、彼は学校からいなくなった。
私が余計なことをしたせいで、彼の居場所を奪ってしまった。その罪悪感で、私に打たれたハンサムビームは効力がなくなってしまった。
それから私は怒りの矛先を男に向けるようになった。私たちを捨てた父親、話を聞かなかった担任、彼をいじめた奴ら。すべて男だったから。
彼らを支配することで、私は復讐しているつもりだったんだと思う。
いつの日か、かっこ仮面のことも忘れて、私は男を手玉に取ることに夢中になっていた。
私はもう、何回ハンサムビームを打たれてもかっこよくなれない。
ごめんね、かっこ仮面。私、かっこいいを貫けなかったよ。ごめんね。