第17話 攻防
昼休みのチャイムが鳴ると、舞衣は颯爽と教室を飛び出した。
向かった先は2年A組。教室を覗いてターゲットを確認。忍び足で近づき、大地の背後に回り両手で大地の目を隠した。
「だーれだ!」
「っは!」
舞衣の腕が瞬時に掴まれた。
大地はそのまま、よどみのない所作で舞衣の腕をひねり背を向かせる。
現行犯逮捕の瞬間だった。
「いてててててっ」
「なんだ、舞衣じゃないか。すまない、不審者かと思ってしまった」
「ふ、不審者? 私が?」
腕を抑えながら、涙目の舞衣が訴える。
「背後を狙うなど、そうとしか考えられんからな。それに、俺は常に学校が不審者に襲われたときに、みんなを助けられるようにイメージトレーニングをしている。だから思わず体が動いてしまった。すまん」
「そんなトレーニングしてるんだ。はは、すごいね」
顔をひきつらせた舞衣が、無理やり笑顔を作る。
だが、舞衣は知らない。これは大地がうぬぼれ野郎だからなのではないことを。
男というものは、非常にバカな生き物で、授業中にぼーっとしている時に、一度はみんな大地と同じイメージトレーニングをしているものなのだ。
「大地、お待たせ。えっと、君は誰?」
サンドイッチをぶら下げたレイが、舞衣を見下ろす。
にこやかな笑顔の奥に潜む敵意に、舞衣の背筋が伸びた。
「C組の篠崎舞衣だよ。1年の時同じクラスだったじゃん。忘れないでよね」
舞衣はわざとらしく頬を膨らませて、レイの肩にぽこぽこと拳を当てる。
「ああ、全然覚えてないや。俺、大地にしか興味ないから。それで、何の用?」
レイはぶっきらぼう言いながら、あろうことか、舞衣の拳が触れた部分が汚れたとでも言わんばかりに、埃を払う仕草を見せた。
目の前で起きた光景に、舞衣は金切り声を上げそうになるが何とか喉元で堪えた。
ここで感情的になっては意味がない。
舞衣の目的は、レイの攻略ではなく、大地の堕落。目的を見失ってはいけないと、瞳を閉じて心を静めた。だが、成島大地の次のターゲットはもう決定した。
「よかったら成島くんとお昼一緒に食べようと思って。いいかな? 成島くん」
「篠崎さん友達いないの?」
「私は成島くんに聞いてるの」
2人の間に静かな火花が飛び散る。
大地はっと思いついたように目を開き、2人の間に割って入った。
「やめろ! 俺を取り合って喧嘩をするな! 落ち着け、俺は誰のものでもないぞ」
大地はウインクをしながら、それぞれの額にデコピンをした。
いくら大地がクラスに受け入れられ始めていようと、こればかりは観衆も耐えられず、顔を真っ青に染めている。
舞衣はぽかんと口を開けたまま固まっていた。
本物の恐怖を前にすると一歩たりとも動けないというのは、あながち間違っていないようだ。
「それじゃあ、3人で昼を食べよう。おい舞衣、ここに座れ」
「大地は優しいなあ」
近くの椅子を引きすりながら、大地は舞衣を促す。それでも動かない舞衣の肩を掴み、「俺の魅力にやられたか」と小言を言いながら、強引に座らせた。
「あ、ああ、ありがとう」
「お前昼はそれだけか?」
舞衣の手にぶら下がっているコンビニ袋を指さす大地。
「え? あ、そうなの。今ダイエットしてて」
ようやく舞衣が我に返ってきた。
もちろん今でも寒気は収まっていない。きっと今後、舞衣が見る悪夢は左目を閉じて人差し指をやんわりと曲げた大地だろう。
だが、このまま大地のペースに飲まれるわけにはいかない。
「自分を高めようとすることは素晴らしいが、しっかりバランスのとれた食事を心がけるんだぞ。レイ、もちろんお前もだ」
言われたレイは、「はーい」と流しながら、サンドイッチをかじる。
「心配してくれるんだ。嬉しいなあ」
舞衣は、攻撃力の高いもじもじ+上目遣いを発動する。
「もちろんだ。お前は相棒だからな」
トラップカード発動。
大地の『相棒への昇格』カウンターによって、舞衣の飲んでいた10秒ゼリーに最大の負荷がかかる。
口の中でゼリーが弾け、舞衣は思わずむせ返った。顔が真っ赤になり、喉を押さえながら、なんとか咳をこらえる。
「おい、大丈夫か」
「だ、大丈夫大丈夫。いつの間に相棒になってたんだ」
動揺しながら笑う舞衣を、大地は不思議そうに見つめた。
このままでは、また大地のペースに飲み込まれてしまう。
危機感を募らせる舞衣は、強引に椅子を動かし、肩と肩が触れ合いそうな距離まで詰める。
「成島くんお弁当なんだ。美味しそうだね」
弁当を覗き込むふりをして、顔を近づける舞衣。
「ああ、美味しいぞ。なんといっても俺の手作りだからな」
「ええ? 成島くん、料理までできるの!? すごいね!」
「まで」のところを強調して、大地に尊敬を眼差しを向ける。まんまと舞衣に乗せられた大地は、大変満足そうに腕を組んだ。
待っていたと言わんばかりに、舞衣の目が光る。
「私も自分で作っちゃおうかな。成島くんも食べてみたい? 私の手料理」
家庭的な女アピールで、大地の胃袋を掴んでいく作戦にシフトチェンジ。
「いや、大丈夫だ。自分で作ったほうが美味いからな」
舞衣の拳に力が入った。
なぜこうも自分の口車に乗ってこないのかと焦りが募っていく。
ただ、準備しているルートは、何も一つだけではない。
「ま、またそんなことって、私に負けるのが怖いんだ?」
大地のプライドを刺激するように、意地悪な含み笑いを浮かべた。
たいていの男子は根拠のないプライドを持ち、少しでもそれを刺激すれば威厳を保とうと躍起になる。
舞衣のデータによれば、大地のような男には効果的な手法だった。
――だが、次の瞬間。
「まあ食べてみてわかるだろう。ほれ」
「え、ちょ、んむっ……な……」
突然、口に押し込まれた卵焼き。甘さと塩加減の絶妙なバランスに、思わず感動する。
口の中で奏でられる壮大なオーケストラのようなハーモニー。
母親が亡くなってから5年間、愛する美琴のために培ってきた料理の腕は伊達ではない。
彼女はすぐに悟った。こんなの、勝てるわけがない。
「うまひ……」
「だろ? まあお前がこれよりも上手に作れるというのなら……っは!」
不覚にも、頬がとろけてしまいそうな表情を浮かべてしまった舞衣。それを見ていた大地が、頭に稲妻が走ったかのように目を丸めた。
「これなら、あいつも超えられるかもしれん……」
「どうしたの?」
「舞衣! ありがとう! お前は素晴らしいヒントをくれた」
大地が舞衣の肩をがっしりと掴む。この男の思考回路が全く読めない舞衣は、ただ頷くだけしかできなった。
とりあえず、自分に感謝をしてきたということは、ポジティブな印象は与えられたのだろう。ここからじわじわと大地を堕落させればいい。
そんな悠長な考えが翌日ひっくり返されることも知らず、舞衣はこっそり大地の弁当からウインナーを盗んで食べた。