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第11話 デパコス

 学習机にシングルベッド、そしておとぎ話に出てきそうなほど大きな全身鏡が、部屋のほとんどを占めていた。

 全体的に落ち着いたトーンの部屋だが、帽子やカバンのかかったスタンドに一つだけ、異様な雰囲気を醸し出すお面が垂れている。少し気になって近づいてみるが、どこが目でどこが口なのかよく分からない。


「……なにこれ?」

「それは俺の世を忍ぶ仮の姿だ」

「そうなんだすごいね」

「その仮面はかっこ――」

「メイク始めようか!」


 追及すると長くなりそうだったので、簡単に終わらせる。

 歩鳥は離れて、大地の向かいに座った。


「それもそうだな。少しでも時間が惜しい。それでだ、この通り準備はしたのだがどうだろうか」


 大地が紙袋を逆さにすると、大量のコスメが滝のように落ちてきた。


「ちょちょちょちょ、これ全部成島くんのなの? てか、全部新品じゃない? 買ったの!?」

「もちろんだ」

「もちろんって……、デパコスまであるじゃん! すごく高かったんじゃない?」

 プチプラのブランドから、デパコスまで、金額にしてざっと三万近くはするだろうか。もしこれがプレゼントだったなら、全女子が喜ぶに違いない。

 未だに自室にある大地のサインを思い出して、歩鳥は唇を噛みしめた。


「金額などどうでもいい。自分がかっこよくなるためなら俺は何だってする。」


 大地はテーブルに勢いよく手をついて身を乗り出すと、真っ直ぐな瞳で歩鳥を見つめる。歩鳥も自然と背筋が伸びる。

 ここまで揃っていれば大概のことはできる。あとは歩鳥の手にかかっていた。

 気合いを入れるかの如く、歩鳥は袖をまくった。


「じゃあ、始めるよ」

「よろしく頼む!」

「まずは全部私がやるから、成島くんはじっとしてて」

「わ、わかった」


 大地は少し緊張しているのか、正座に座り直した。

 まずはファンデで頰を中心に下地を作っていく。

 大地の肌が、意外にもきれいなことに驚いた。きっと美琴の入れ知恵だろう。帰りにどの化粧水を使っているのか聞いてみよう。そんなことを思いながらメイクを続ける。


「ひゃふ」

「変な声出さないで」

「すまん、こういうのは初めてだから」

「……もう喋らないで」


 白くなり過ぎると不自然なので、ファンデはこのくらいで終了。

 あとは眉ブロウで目元を彩っていく。眉と目の間、そして涙袋を作ってあげる。

 そして、眉ブロウの茶色を使って、ノーズシャドウを作っていく。これによって綺麗な鼻筋ができ、全体的にスッキリとした印象を与えることができる。

 最後はリップ。

 大地が買ってきた三種類の中から、落ち着いた赤色のリップを選んだ。

 歩鳥が丁寧に塗ると、大地の色のなかった唇が、上品ながら色気のある赤色に彩られた。


「うん、いい感じ!」

「み、見てもいいのか……?」

「鏡の前に立ってみて」


 大地は一度頷くと目をつむったまま立ち上がり忍びのような足取りで鏡に向かう。


「見るぞ」

「うん」


 大地が恐る恐る瞼を開く。思わず歩鳥も息をのんだ。


「はっ……!」


 自分の姿を目の当たりにした大地が、両手で口元を塞いだ。


「ど、どう?」

「……師よ」


 歩鳥の名前を呼びながら振り返った大地の頰に、薄茶色の雫が伝った。


「な、何で泣いてるの!?」

「俺は……、俺はこんなにもかっこよくなれるのか。師よ! 師よおおおおおおお! ぶふぉ」


 大粒の涙を流しながら、大地が両手を広げて歩鳥の元にダイブすると、彼女の拳が反射的に大地の頰を捉えた。


「なぜ殴る?」


 涙をにじませた大地が、頰を抑えながら訴える。


「きゅ、急に成島くんが抱きつこうとするからでしょ! ちょっとは考えてよ!」

「……それもそうか。にしてもだ! 俺はこの感動を抑えることができない。泉、心の底から感謝する! 俺は今、最高にかっこいい!」


 大地は、一片の悔いもなさそうな表情で叫びながら拳を突き上げた。


「メイクって、すごいでしょ?」

「すごい! すごい! すごいぞメイク!」


 語彙力の低下が著しい大地は、一人で叫び続ける。

 初めてメイクが思い通りになった日、歩鳥も今の大地みたいに涙を流した。鏡に映る自分がまるで別人のように見えて、素直に可愛いと思えた。

 自分で自分のことを可愛いと思える日が来るなんて思ってなかった歩鳥は、つい調子に乗って自撮りなんかもした。

 今に比べたら、当時のメイクは人に見せられるほどのものじゃないか、今でもあの日を忘れることはない。

 懐かしさにふけっていると、不思議そうに歩鳥を見つめる大地と目があった。


「な、なに?」

「いや、お前のそういう笑顔は初めて見たと思ってな。まあいい。とにかくメイクはすごい! 俺はすごい! すごい!」


 それだけ言うと、大地は再びベッドの上で飛び跳ね始めた。

 外から、ドヴォルザークの『家路』が流れてくる。

 歩鳥はスマホで時間を確認する。カバンを手に持って帰ろうと立ち上がったところで、ようやく本来の目的を思い出し、座り直して咳払いをした。


「成島くん、メイクが凄いってことはわかったと思う。でもね、私は二年近くかけて、今の技術を手に入れたの。成島くんに残された時間はあと二週間。とてもじゃないけど、この期間で成島くんが納得できるメイクを教えることはできないよ」


 はしゃいでいた大地が動きを止める。

 歩鳥が申し訳なさそうに俯いたのが効果的だったのか、大地はゆっくりと腰かけた。


「そうだな。普通に考えれば残された期間でこの技術を習得するのは無理だろう」


 大地のその言葉に、期待感が増していく。


「わかってくれた?」

「ああ、俺が普通であればな。だが俺は世界一かっこいい男だ! 必ずや二週間で完璧なメイクを手に入れてみせよう!」

「……そうなるかあ」


 歩鳥の期待は、塵と化した。

 だが、ここまでやれば、歩鳥の目的は達成したも同然だ。

 諦める時が今日なのか、二週間後なのか、違いはそれだけ。そう言い切れるほどに今日の大地へのメイクは完璧に仕上げたつもりだ。

 ここで高い基準を設定することによって、大地がいくら頑張ろうと納得のいくメイクはできないだろう。


「安心しろ。二週間後、お前の期待を超えて見せる」

「うん、応援してるよ。それじゃあ私は帰るね」

「駅まで送っていくぞ」

「ううん、大丈夫。まだ明るいし一人で帰るよ」

「そうか、じゃあ玄関まで見送ろう」


 大地なら強引にもついてきそうな気がしていたので、歩鳥は胸を撫で下ろした。

 この時間に終わる部活も多いため、万が一誰かに遭遇してしまったらと考えるだけで恐ろしかった。

 帰り際、リビングを除くと、美琴がソファーでぐっすり寝ていた。


「おい、み――」

「起こしちゃうと悪いから大丈夫だよ」


 歩鳥が大地の袖を引っ張って制した。

 きっと、今後美琴に会うこともない。もし学校のイベントに来るようなことがあれば、可能性はあるかもしれない。

 だが、大地とのこの奇妙な関係もすぐに終わる。

 歩鳥はすでに美琴に対して愛着すら湧いていた。だからこそ、ここで見送りをされてしまうと余計に悲しみが増すような気がしていた。

 外に出るとちょうど太陽と役割を交代するかのように、うっすらと月が姿を現していた。


「本当に送らなくていいのか?」

「大丈夫だって。道は覚えているからすぐに帰れるよ」

「分かった。じゃあ、また学校で」

「うん、また」


 そう言って、歩鳥は成島城を後にする。


「泉! 本当にありがとう!! この恩は一生忘れない!!」


 振り返ると、すでに小さくなっていてよく見えない大地が、大手を振って叫んでいた。

 本当に送ってもらわなくてよかったと自分の英断を褒めたたえた歩鳥は、少し早歩きで駅に向かった。


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