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千猫の語る「あの子の声」

彼女がここへやってきたのは、さあ、どれほど前だったかしら。先代ではなくて、今の主人が求めてきた香合だったのは確かです。だから改めて考えてみると、そう長くいたわけでもないのね。

先ほどもおはなししましたけれど、姿は色紙重ねという、正方形をふたつずらしたかたちでした。厚みはそれほどなくって、蓋と身はきちんと合う。地の白に、すぅっと溶けていきそうな青で、縁に線が引かれ、蓋のうちとそとにはいくつか伝統紋が散らして描かれていました。腕の良い者たちによって誠実に丁寧に作られたことが良く分かる、そんなお品よ。

彼女は私に比べるとだいぶんに若かったけれど、そういう風にもともとの出来が良いし、ここに来る前にとても大切にされていたとかで付喪神と成っていて、水九喜と、名乗っていました。

あの子も私も、炉の使われる冬の時期にむいた道具ですもので、なにかと茶室でいっしょになることが多かった。さっきも言いました通り、お炭点前でもごいっしょですしね。それにお互いおしゃべりが好きなものだから、あの子がこの家にやってきてすぐ仲良くなったわ。

彼女、「姉さん姉さん」なんて私のことを呼んで慕ってくれるから、かわいくて。私も「みっちゃんみっちゃん」となにかにつけて、ついついはなしかけてねえ。鋳物と陶器じゃずいぶん生い立ちもすがたも違いますけれど、ほんとうの姉妹みたいな気持ちでした。

おはなしの種なんて、そこらじゅうに落ちていて、私たちのあいだにひとつ落ちれば、すぐに芽吹きます。芽吹くどころか、にょきにょきと茎や葉を伸ばして色とりどりの花を咲かせるみたいにはなし続けてしまって。いっしょに出た茶会のあとなんかにみっちゃんが、姉さん聞いてくださいな、なんて口を切れば、そこからずっと夜明けまででも、ころころと笑いながらいくらでもしゃべっていたわ。

「今日のお客さま、床の間のあたしを見て、ずっと首を捻ってらしたの」

「それは、みっちゃんはとてもきれいですもの。あなたが飾ってあれば、みなさん嬉し気にずっと見てらっしゃるでしょう」

「まあ嬉しい、でもね、そういう見方ではなかったのよ。おかしいなあ、おかしいなあという感じ。だからこちらは、いやだわ、蓋でもずれてるかしらん、ともう居心地が悪くって。主人も気付いて、どうかされましたか?って聞いたのよ。そうしたら、これは先ほどお香を入れる道具とおっしゃっていましたが、ここに火を着けた香を置くのですか? って」

「あら、あなた、香炉と間違えられたの」

「そうなの! あたし、びっくり仰天して、それこそ蓋がかたかた鳴りそうになっちゃった。火をつけられたことなんて、焼かれたときの一度きりよ」

「そこは、私とみっちゃんの違うところのひとつね」

「姉さんは火に掛けられるのがお役目だものね」

「そうそう。まあとにかく、今日のお客さまはお茶は初めてとおっしゃっていたからそういうこともあるでしょうよ。許してあげなさいな」

「別に怒っちゃいないわ。ただ、びっくりしたのと、どうやら茶の湯に踏み込まない人にとっては、あたしはなかなか縁遠い道具になっちゃったのねって、ちょっと寂しくも思ったの」

「確かに日常のなかにはないかもしれないけれど、今日のお客さまだって、こうして香合を知って、ほかの茶道具にも触れて、とても楽しそうに過ごされていたじゃない? だから今日のみっちゃんをきれいだと感じたのをきっかけに、いつかみっちゃんみたいな香合を、どこかでお求めになるかもしれないわよ」

「あら、それはいいわ。姉さん、すてきなことを言ってくださるのね」

とまあ、お客さまの様子ひとつとってもこんな具合。その時近くにいた信楽の水指なんて、あんたらは前世じゃ坂道の鈴か、嵐の日の風鈴の付喪神だったんじゃないかね、なんて呆れていましたっけ……。とにかく、一事が万事、こんな調子で、ぴたりと気があって、人でいう妹がいたらこんな感じなのかしらとよく思ったものです。

それでね、水九喜は、私とおしゃべりするのとおなじくらい、私が歌うのを聞いているのが大好きでした。自分で言うのは少し面映ゆいですけれど、私たち茶釜は、声が美しいと言われることが良くあります。

私も、歌うのは好きよ。

炭があかあかと燃えて、なかの水が温度を高めていくと、る、るると声が出るのです。釜の底から小さな水泡が水面に現れ、ひとつふたつと数を数えるようだったそれが無数の波をつくるようになって、湯気が上がれば、それは歌になる。その過程は雅やかに「釜の六音」なんてそれぞれ名付けられていたりもします。空気の泡が現れては消えていくときは「魚眼」、その後に微かな「蚯音」、引いては返す「岸波」「遠浪」、そして茶を沸かすのにちょうどよいのは「松風」のころを経て、「無音」に至る、なんて。人は、私たちのうえに色々な景色を映しますね。

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