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天蜘蛛の語る「弔いの日」、二

やがて生徒たちは全員席入りを終え、師匠と弟子が向き合い、平生通りの稽古前の挨拶が交わされます。

ーごきげんよろしゅうございます。

ーごきげんよろしゅうございます。

ー本日もお稽古どうぞよろしくお願いいたします。

ーはい。よろしくお願いいたします。

挨拶の後にいつもであれば、では最初にだれそれさん、御炭点前を、となるところで、師匠がゆっくりと床の間に視線を送りました。生徒たちもおなじく、茶筅たちを見つめます。

ー今日は、茶筅供養をいたします。

行きましょうか。師匠がゆっくりと立ち上がりました。生徒のひとりが三方を捧げ、師匠を先頭にぞろぞろと和室を出ていきます。僕らもくっついて移動しました。勘のいい若い生徒のひとりは、気配が多いのが気になるのか、きょろきょろとしていましたっけ。

先ほども申し上げたように、茶筅供養というものが、どういう作法が正しいのか、僕はあまり知りません。神社や御寺で行われるときは、儀式をきちんと踏んで、祝詞や念仏やなにかを唱えながらお焚き上げをして送り出すのでしょうか。

繰り返すようですが、その稽古場では、そんな本式なものではなく、とにかく役目を終えた茶筅を燃やして供養する、その部分だけをしているようでした。それでも、使い切った道具に感謝して自分たちで供養しようという気持ちがありましたから、そういうのは、僕らはなにやら嬉しくなってしまうものですよね。

茶筅たちを燃やすのは、稽古場から見える茶花の多く植えられた庭ではなく、玄関先で行われました。門から入ってちょっとある空間で、自転車やら脚立やら子どもが学校から持ち帰った朝顔の鉢やら、そういうものがなんとなく置かれているようなところです。

真んなかに火のついた炭を入れた七輪を置いて、その前に床の間にあった三方を持ってきて据えました。そう広い場所ではないですから、教室の者たちがその周りをぐるりと囲めば、玄関先の空間は、ちょっと窮屈になりました。

その日の空は雲ひとつなく、几帳面な誰かが気を入れて塗ったようなむらのない青空でした。そういう空は、遠くにあるようにも近くにあるようにも見えます。七輪のなかで、炭があかあかと熾っていました。炭だけでは、煙は立ちません。炭はただ、熱を発し、黒から赤へ、そして白へとその身の色を変えていくだけです。

先代のころから数十年稽古場へ通っている者も、去年入門したばかりの者も、生徒たちはそれぞれが目を閉じて手を合わせました。正直に言いまして、なにに祈ればいいのか、なにを祈ればいいのか、彼らが明確に分かっていたとは思えません。ただ、これから彼らの手によって、ゆっくりと古びて役目を終えた道具が燃やされるというときに、人は自然に手を合わせていました。そして、そんな人々を見ながら、僕らも手を合わせました。

しゃがみこんだ主人が、火箸でひとつ茶筅をとって、炭のうえへ置きました。しばらくして、ぱちんぱちんと、竹の爆ぜる音がしました。もうひとつ、それから、もうひとつ。あの子もその子も、みんないっしょに燃えていくのです。

「おや」

初めにそうつぶやいたのは、誰だったか。

七輪の火のなかで、燃えて消えていくなにかのなかで、なにかが産まれようと、身動きをしていました。目を凝らして見ていると、それはどうやら、鳥のかたちに成っていくようでした。

「おや、おやおや」

「なんとまあ」

「おいで、おいで」

「出ておいで」

「ここにおいで」

「産まれておいで」

僕らのあいだから、さざめくような歌うような声が、水面の泡のように小さく次々に上がりました。ぱちん、ぱちん。火が彼らを焼き音が鳴るたびに、鳥の輪郭がはっきりとしていきます。楕円形の茶色の塊が、首を伸ばし、くちばしを開け閉めし、目をまたたき、羽を震わせ、尾を揺らし、細い脚で立ち上がります。

そうして、彼らは産まれました。

五羽の茶色い鳥でした。一羽また一羽と羽ばたき、七輪のふちに止まりました。彼らは薄茶の羽を震わせ、震えは羽ばたきになり、翼が空気を掴み、風を生みました。

「成った」

その一重切花入の呟きは、泣き笑いのようなささやき声でした。

一拍置いて、成りました、成りましたなあ。あちこちから声があがり、僕らは揃って柏手をひとつ、打ちました。そうした方が良いとみんな思ったのです。今わの際に付喪神として産まれた同胞を、寿ぐために。

「シッシッシッ」

「シャシャシャ」

「シュッシュッシュッ」

茶筅たちが、応えるような音を立てました。囀る声か、羽ばたきかは、よく分かりません。ただ、手を合わせ頭を垂れる人々にも聞かせてやれたら良いと思うほど、それは美しいものでした。もちろん彼らは茶を点てるたびに、おなじものを聞いてはいるのですけれど。

自らを全うしたものを、全うさせたものが見送る。人は道具を、生み出し、育み、終えさせる。器物百年を経て付喪神となる、と言いますけれど、数年であっても誰かに心を託されれば、僕らは僕らとして在るのでしょう。

それは人のかたちだったり、ものに目鼻がついて手足の生えたようなものだったり、そうして時にはこうして、鳥のようであったり。

しばらくのあいだ鳥たちは、羽の具合を試すかのように、火箸の先や、地面のうえや、人々の肩や頭なんかを跳ねて移っていました。それからやがてなにかの確信を得たかのように、一斉に七輪のふちに戻ってきました。

一声。

鳴いて、それから、五羽の鳥はまっすぐに、迷いなく、冬の空へ舞い上がりました。その日は綺麗に晴れて、冬らしい淡い色をした、高い高い空でした。

「ああ、飛んでいく、飛んでいく」

一重切が合掌したまま、楽し気に、何度も繰り返していました。若い弟子のひとりがふと、空を見上げました。一重切とおなじく手を合わせたまま、まるでおなじ角度で。

とり、と声はなく口が動いたような気がします。

節くれだった浅黒く美しい人の一生よりもずっと年経た手の持ち主と、まだ幼いようなふっくらとした手の持ち主は、もしかしたらほんの須臾のあいだ、おなじものを見送ったのでしょうか。人とものとたくさんの年月の垣根を越えて。

僕らは大切にされればされるほど、人を見送ってばかりですから、見送られるのはどういう気持ちかと思うことがあります。寒空に羽ばたいていった彼らの美しさは、その答えのかたちのひとつかもしれません。

さて、彼らの姿が小さな点になって消え、その時七輪のなかではすべての茶筅が燃え尽き、主人の皺だらけの手が合掌を止めました。いつの間にか前よりずいぶん細くなった声が静かに、それでは今日のお稽古をはじめましょうか、と告げます。弟子のひとりが慎重に、七輪のなかの炭を火起こしに移しました。今日はそれを、炉の種火にするのです。

それがあの家で僕の見た、最後の茶筅供養でした。

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