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天蜘蛛の語る「弔いの日」

僕ら抹茶茶碗のたいがいは、茶筅というものが好きです。

茶を点てる時に僕らのなかで踊る彼らの美しいこと。彼らの羽ばたきが、湯と抹茶から緑の海を作り、彼らの囀りが、清らかな香気を生みます。僕らは点前をしている人間よりも先に、その香りを受け止めます。

細く割かれた竹はこわく見えて繊細で、僕らよりもよっぽど柔い。ですから、身を僕らにこすりつけるような彼らの動きは、僕らを傷つけることはないけれど、彼ら自身はゆっくりと損なわれていきます。僕らはその様子も、ずっと間近で見ています。

だからか、茶筅供養があると、茶碗の付喪神は陰ながら見守るものが多いのです。付喪神として産まれたばかりでまだ輪郭もぼやぼやとしていていつもはほとんど寝ているようなものも起きてくるし、あまりにも歳の古く力も強く普段は好き勝手出歩いているようなものも帰ってきて顔を出しました。

それから、先ほども申し上げましたが、処心さんとおなじく竹のものたちももちろん、彼らの見送りに多く加わりました。つながりを感じていらしたのでしょう。茶杓、花入、蓋置、炭斗などの竹の籠。そういうものたちです。

その日も僕らは、倉やら水屋やら屋根裏やらいろいろなしまい場所から連れあって、稽古で使われている八畳の和室へ向かいました。数日前から茶筅供養の準備は進められていて、その日の朝は返って静かなようでした。なにか特別な日というのは、そういうものかもしれません。といっても、その稽古場の茶筅供養は、一日がかりの茶事や祝い事なんかとは違って、いつもの稽古の前に少し時間をとって行われる、小さな催しではありましたが。

稽古の時間が近づくと、主人と早くやってきた当番の生徒の手によって、稽古の準備が始まります。主人はいつもまず、窓を開けて稽古に使う和室の空気を入れ替えました。真冬のどんなに寒い時も、夏の茹だるように暑い日も。

縁から縁へ目に沿って、力を込めた雑巾で畳が拭かれていきます。炉の蓋が開けられ、なかの灰がゆるやかな稜線を持ついくつかの山をつくるように、今いちど整えられました。和室の隣の水屋では、今日の稽古で使われる道具たちが取り出されて、あるものは洗われ、あるものは拭かれ、あるものはそのままに、まっさらな布巾を敷いた二月堂に並べられていきます。抹茶が篩われ、茶器に掃かれていき、その緑の美しさに、生徒が目を細めます。絶えず流れていく水のように、さらさらと人とものが動いていく。稽古の前というのは、そういう風でした。

そういう動きは、その日もいつもどおりでした。いつもはないものは、和室の床の間に供えられた三方です。三方には白い奉書紙が敷かれ、そのうえに役目を終えた茶筅が五つ、穂先を上にして乗せられていました。掛け軸は円相が掛けられ、花入れは備前焼の旅枕が釘に掛けられて、今日ほころび始めるであろうぷっくりと膨らんだ庭の白玉椿の蕾が一輪活けられています。

中途半端に開かれた襖のあいだから三角形に差し込んだ日の光が、部屋の奥にある床の間まで届かずに横たわってしまったため、床の間は少し暗く見えました。ただ、静かに身を寄せ合う茶筅たちにはその方が良いようでした。彼らはいかにもぐったりと、疲れ果てた様子です。それはそうでしょう、年に数度、出番があるかないかの僕らに比べて、彼らはここにくる全ての生徒の点茶に付き合ってやっている。入門したばかりの覚束ない茶筅通しにも、力強く練られた濃茶にも、稽古後の師匠の軽い一服にも、彼らはいつも文字通り身を粉にして寄り添ってきたのです。

その奉公に報いるように、その日の彼らはていねいに、穂の一本一本まで清められていました。細い穂はいくつも折れてなくなっていました。つがり糸…柄に結ばれた黒い糸も、少しもよれたりせずに揃えられています。それだけ整えられても、いや、整えられれば整えられるほど、彼らの疲れがありありと見て取れるようでしたが。

準備がひと段落したころ、僕らはぞろぞろと集まって、生徒たちが来る前に、それぞれ床の間の前で手を合わせました。

「ああ、その子」

伊羅保茶碗が、奥のひとつを指さします。

「その子は、私の茶筅だまりに良くあった」

うん、ああ、うむ。相づちにもならない呟きがそれぞれから零れ、ぽとぽとと畳のうえに落ちていきました。

「あの子は去年の茶事でおろされて、勇ましく濃茶を練ったよ」

「ああ、だからかしら。あの子は私と茶を点てたときに、一本穂を折りました」

続いて赤楽の筒茶碗が言い、青い金襴の茶碗が後を継ぎます。堰を切ったように、みんなが、思い出ばなしをあれこれと口にしました。そう、みんなに、彼らとの思い出ばなしがあったのです。

そのさなか、ふと、皺のよった海老茶の袴を履いた御仁が身をこごめました。竹の一重切花入の付喪神でした。

「うぉ、うう、うおう」

節くれだった指で口元を押さえていましたが、嗚咽は抑えきれずに低く辺りに広がり、辺りの人が傷まし気に彼をみやりました。かなりの年を経て、元の造作もさることながら、枯れた竹の様子が美しいと、人々は彼を愛でていました。確かに、細く削げたように骨の浮かんだ顔も首も手も腕も、大変に美しいものです。反対に豊かなさまが美しい大ぶりの宗全籠が、彼の背を撫でました。

「弔いじゃ、今日は弔いの日じゃ」

彼は、嗚咽の合間に、そう繰り返していました。その暗い水面が揺れるような声の響きに、和室に集まったみんなが動きを止め、視線を下げました。祈るように。

準備を一区切り終えた主人が玄関先に水を打ちに行き、当番以外の生徒たちも三々五々とやってきました。彼らのあいだには、特別な日の浮き立つような気持と、はしゃいでよいことなのかしらという微かな戸惑いが漂っていました。玄関先で身支度をした彼ら彼女らは、いつも通り床の間を拝見したあと、思い思いに茶筅たちに手を合わせていました。

僕らは和室の外の板の間から、その様子を見ていました。いくたりかは、燃やされる様子を見るのはしのびないからと、すでに立ち去っていましたが。一重切の竹花入なんかは、最後までいましたね。すっかり涙腺のゆるくなっている様子で、もごもごと口のなかで、どこぞで習ったらしい念仏らしきものを唱え続けていました。

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