止め炭 最後に亭主が口を開く
「今宵のはじめごろにな、ものにも極楽があるだろうかと千猫さんが言っただろう。おれは小結のことを思ったよ。魂が宿ったならば、やはりどこぞへ行くのだろうと。それが良い場所であれと願われれば、きっと極楽なのだろうと。おれはぞっと小結のために、そうあって欲しいと思っていたから、咄嗟に言ったのかもしれんなあ」
つるりと頭を撫でて、処心さまは口を閉じられました。旧友の訃報を聞いたかのような労りの表情を浮かべて、天蜘蛛さまと千猫さまは、処心さまを見つめておられます。
「おれはそうして古巣の筒に戻り、『初心』にも戻ったわけだが、なんぞ思うところがあったのか、その後早々にその家から手放された。ありがたいことに、こうしてその先々でも大切にしてもらっているわけだが、それもあやつが命を縮めたが故と思うと、なんとも言えぬ気持ちになることがある。そのたびに、小結が最後に口にした、よかったという言葉をまざまざと思い返すのだ」
「そういう処心さんの行く先のことも含めて、よかったと、小結さんはそうおっしゃったのかもしれませんね」
「わたしもそんな風に、感じましたわ」
天蜘蛛さまと千猫さまの御言葉に、処心さまは意表を突かれたように息を呑まれ、それからその息を長々と静かに吐かれました。
「そうか、そうか。そうかもしれんなあ。なにせ、気のいいやつだったから」
「極楽って、どんなところかしらと思うけれど。小結さんの極楽は分かりやすいわ。自分を好んだ主人と、喫茶三昧ね」
「楽しげですねえ。きっと、そうなすってますよ」
「うん。きっと、そうだなあ。いや、はなせてよかった」
屈託なく処心さまが笑みを浮かべられ、辺りは穏やかな空気に満ちました。みなさまが薄茶を十分に召し上がられたのを確認して、道具をしまっていきます。途中で拝見の御申し出がありましたので、棗と茶杓を、手燭といっしょにお出ししました。その他の道具は、清めて水屋へ下げていきます。
今日使っていたのは、黒の棗。大きな宝尽くしの文様が踊っています。漆の黒と蒔絵の金が、灯りのもとでつややかに光っていました。そして、少し細身の茶杓。いまおはなしにあった小結とはまったく違うであろう姿の茶杓を御手元に引きながら、天蜘蛛さまが、人を恨めたならば、と呟かれたようです。
「今までの主人も、その周りの人々も、そんなことを考えずともよいくらいに大切にしてくれる人ばかりでよかったです」
「してもらった以上のことを返すのは、難しいものね。私もありがたいことにずっと大切にしてもらったから、まわりを大切に思えますけれど、はて悪い気持ちをもって粗雑に扱われたらどう感じて、どうなるのやら。自分では想像もつかないわ」
「その想像を続けるよりも、それが杞憂であることを祈るのがいいのさ、きっと」
みなさまが拝見を終えられた道具を、点前座に戻していただいたのを見計らって、茶席に戻ります。道具についてのお尋ねがあり、それにお答えしてから拝見に出していた道具を持って下がりました。無事に炭から懐石、濃茶、薄茶までを過ごしていただけたという安堵と、もうすぐ茶席が終わることへの寂しさを少し感じつつ、深々と礼をいたしました。
切り離されていた時間が、茶室に戻ってきたようです。
夜が深くなっております。
いつもは水屋で準備に使う炭と炭道具をいれた箱炭斗を、茶室へ持ち出します。こちらも夜咄ならではの作法。釜を炉からあげると、今まで湯を沸かし茶室を暖めていた炭たちは、良い塩梅に燃え崩れておりました。
胴炭は自身の燃え尽きた白い尉に身を覆われています。その尉を落とせば、元の黒い身を現します。燃えていくうちにすっかり細くなっていたので、二つに割って立てました。その他の炭も片づけてゆき、開けた部分に新しい炭を足していきます。再び香を焚き、釜をかけなおせば、途切れていたふつふつと湯の沸く音がまた始まりました。
水屋へ箱炭斗を戻し、茶席へ戻ると、みなさまがしみじみと、穏やかに湯を沸かしている釜を見つめておられました。
「いやはや、良い茶事でした」
「ぜいたくな時間でしたわね」
それからしばらく、みなさんとのあいだで、茶席で出た道具やしつらえの話題が、とつとつと続きました。
「うむ。良い道具で、良い点前で、良い茶をいただいたなあ」
「それに、たくさんにはなしを伺い、思う存分はなしもしました」
「そうね。天蜘蛛さんの茶筅のおはなし、私のみっちゃんのはなし、そして処心さんの小結さんのおはなし」
ひとつ、ひとつと折られていく千猫さまの細い指を見つめていた天蜘蛛さまが、おやと御声をあげて頬を搔かれました。
「年の瀬とはいえ、別れのはなしばかりでしたね。僕の口切が悪かったかな」
「そんなことはございませんけど、振り返ってみると、たしかにそうですわね」
「そろそろこの夜咄も終わりだが。別れのはなしで別れるのは、なにやら尻が落ち着かぬようにも思うな」
「また次のお招きも楽しみにしている我らとしては、まったく左様ですね。古い年と別れるといえど、新年に巡りあうわけでもありますし」
「なにか、他におはなしはないかしら?」
「そうだ、ご呈主。ご呈主はいかがですか?」
天蜘蛛さまから水を向けていただきまして、ふと胸のうちに浮かんだことが御座いました。
「それでしたら……おあつらえ向きのおはなしがひとつ」
「お、さすがだご呈主」
「それはありがたい」
「何から何までご用意のよいこと」
みなさまの視線がこちらにぱっと集まり、なんとはなしに面映ゆい気持ちになります。それぞれの御顔が興味津々といった具合に輝かれておられます。
「いやいや、御褒めに預かったところ恐縮で御座いますが、これはわたしではなくよそから聞いたはなし。先だって、大通りの方の家にいる銅鑼が、聞かせてくれたものなので御座います」
我ら鳴り物は声も通るし耳もよいものですから、同じ鐘や銅鑼なんかですと、わりに遠くのものとも、はなしができます。道具の役目故に持って生まれた性分から、はなし好きなものも多い。
「その銅鑼は、重手という名です。かたちはごく普通の、円盤のかたち。表面にはいくつか線や模様が鋳込まれているそうです。枠に吊り下げられているもので、十数年前までこの街の商店街に近い家にいて、その頃からお互いときおりはなしをする仲でした。その家から別のところへ売られてしばらく声を聞いていなかったのですが、ちょうど先だって、縁あってまた戻ってきたのだと、声を掛けてくれまして。どのような縁でと尋ねたところ、ちょっと面白いはなしを、聞かせてくれたので御座います。いかがでしょうか」
かいつまんでおはなしすると、気になるぞ気になるぞ、と処心さまがいたずらっぽく御笑いになりました。
「売られた、ということは、おなじ主人の移動に付いて行って戻ってきて、というはなしではないようだな」
「ええ、道具屋を介してまったく別の家へ売られたそうなのです。その先でまた、主人を替えて、戻ってきたとか」
「そういう経緯で近くへ戻ってくるなんて、さいきんのことでは珍しいですね」
そんなことがあるのかな、と首を傾げられた天蜘蛛さまに、ほんとうよねえと千猫さまが相づちを打たれました。
「ともかくも、別れた道具と会えたなんて、縁起が良いわ。ぜひおはなしになって」
「ええ、どんなご縁か。面白そうですね」
「おうおう、聞きたいぞ」
「いやはや、天蜘蛛さんと同じく、私も口下手なのですが」
「あらご謙遜」
「いやもうそこまで言うたなら、最後まではなし切ってもらわねば、納まりがつくまいよ」
天蜘蛛さまの真似をして頬を掻きたい気持ちになりますが。ふつふつと沸いている釜とそのしたにあるであろう暖かな熱を放つ炭を思います。それらはまだ、きちんと熱い。
それでは御言葉に甘えまして。
「呈主がべらべらとおはなしするのも興覚めかとは思いますが、その銅鑼、重手のはなしました通りに、みなさまにもお伝えさせていただきましょう」




