処心の語る「とりかへじや」、四
小結は、おれの筒に押し込められたこの日からずっと、べそべそと泣き続けた。そして主人でも粗忽ものでも弟子たちでも、倉庫に誰かがやってくれば、とにかく訴えた。
「戻してくだされ、戻してくだされ。私を元に、戻してくだされ」
時折不思議そうにあたりを見回すものがおらんでもなかったが、たいていは何も気づかずに去っていく。何かを感じたところで、ああそうか間違えて筒に入れられた哀れな茶杓がいるのだな、などとは人が思いいたるわけもない。
「お前のやるせなさはわかるがな、考え込んでつらいつらいと思い詰め、それを言い続けるのは、良くないぞ」
「しかし、このようなところには、とても居られませぬ」
「このようなところとはずいぶんな言い方だ。こちらはずぅっとそこに収まって、うつらうつらしておったというに」
「それは、処心さまがそう生まれつかれたからでございましょう。私はそういう生まれではないのです」
「生まれとは異なことを言う。我らみなおなじ、竹から生まれた同胞だろう。まあこれも運命、住めば都ぞ」
「いけませぬ、いけませぬ」
慰めても諭しても、小結は受け入れて気持ちを切り替えるということができなかった。ぴぃぴぃと、無理だだめだと繰り返すばかり。
無理やりに押し込まれたことも良くなかった。妙にぴたりとはまってしまい、身じろぎひとつ叶わず大変に辛いらしい。小結の背丈がおれよりちょいと低いせいで、ぐっと入れられた時に筒の蓋に近い広い部分に櫂先がおさまってしまったそうなのだが、おかげで頭は締め付けられ、蓋にも押され、足は宙ぶらりんのような状態だと言う。
「気持ちを切り替えようにも、体の痛みでそうはいかぬのです。筒からもずっと、ここはお前の居場所ではないぞと言われているようなものでございます」
「それはさすがに、お前の被害妄想というやつだ。筒にも罪はないのだもの、あまり嫌ってやらないでくれ」
「それはもちろん、理不尽な八つ当たりなのでしょう。ですが、痛い、辛い、やはりここは私の場所では、ないのです。ああ、早く出してもらわねば」
今までのびのびと引き出しに寝っ転がっておったものが、ぎゅうぎゅうと責められているのだから辛さもひとしおだったろうよ。ただ、かわいそうだが、こちらもあちらもしがない付喪神。人のかたちをとれるとて、人の目にはそうそう映らぬし、声も届かぬ。ましては何かに触れるようになるには相当の年月と修業が必要だろうから、自分たちで筒の中身を入れ替えるなんて仕業もできぬ。なにも出来ぬままに、日々が過ぎていった。
小結は、そのうちだんだんと、仲間の前にも姿を現さなくなった。ただ、人が近寄れば出してくれという懇願だけが聞こえてくる。仲間たちも気をもんで、あれやこれやと声をかけるが一向に出てこない。庭の紫陽花が色を変えたと教えても、茶室にホタルが迷い込んできたと騒ぎになっても、月がちょうど良い角度にあがったから見ようと誘っても、なしのつぶてだ。
「こんな狭いところからは出られません」
そう、暗い声で返事がくるだけだった。
その反面、おれの方はといえば、それなりに楽しくやっていた。なにせ出番が多い。それまでのおれは、だいたいの時間は大事にしまい込まれていて、茶会や茶事に年に一度出るか出ないかだった。それがどうだ、出ずっぱりだ。若者の割稽古に付き合うのも、急な来客の一服の準備をするのも、家人だけの気晴らしの点前に出るのも、この長い年月のなかで初めてであった。これがまあ、新鮮な日々でなあ。いや勘違いしないでほしいのだが、別にどちらが良いというはなしではない。ただただ、今までとはまるで違うことが面白かったのだよ。
それがまた、後ろめたいような申し訳ないような気持ちになる。小結は筒から姿も見せぬというのに、こちらは伸び伸びと過ごしている。もちろんおれのせいではないのだが、さっきの千猫さんじゃないが、なかなか割りきるのも難しいものさ。
そういう思いも手伝って、ほかのものが小結への声かけを諦めはじめ、あまり寄り付かなくなるなかで、おれだけは小結に声を掛け続けるように気を付けていた。何を言っても、結局、痛い、辛い、出してもらわねば、という泣き言に繋がってしまうのだが。
そういう、行き先をなくした朝顔のつるのようにこんがらがりそうな泣き言をずるずると言うなかで、小結はゆっくりと、おかしくなっていった。
おれたちはなるべく、今の状況を思いつめるようなことにならないように、関係のない四方山ばなしをするようにしていたのだが、まずそういうはなしに、返事がないことが増えた。最初はこちらの声がうまく聞こえなかったかな、と思う程度だったのだが。そこから、返事が返ってきてもはなしがつながらなくなったり、言葉が不明瞭だったり、支離滅裂なことを言ったり、こちらのことなどお構いなしに低く何かを呟いていることが多くなった。
呟いている言葉は、どんどん悪くなっていった。言葉遣いのことではない。言葉遣いは相変わらず丁寧だし、誰かを傷つけることをいうわけではない。ただ、なんと言えばよいのか……言葉じたいが、暗く、黒く、重くなっていった。陰の気を持ちはじめ、じめじめ、じわじわ、と腐臭のようなものが漏れてくるような。人でも人でなくとも、良い思いで良い言葉を紡げば祝いになるし、悪い思いで悪い言葉を編めば呪いになる。呪いの先が、どこへ向かうのか。向かってしまえば、小結はどうなるのか。おれはだんだんと空恐ろしくなっていた。




