処心の語る「とりかへじや」、三
「入るわけがない、入るわけがなかろう。すぐ分かることだろうに」
おれがあと少し育ちが悪ければ、舌打ちをしていたところだ。なぜか、粗忽ものは諦めなかった。しつこく筒をまわし、小結を捻り、あっちこっちと動かした末に、とうとう小結を、無理やりおれの筒へ押し込んでしまったのだ! そのうえ、さらに無理やりを重ねて、粗忽ものは筒の蓋を押し込んでいく。
茶杓の筒の蓋は、酒瓶なんかと同じく、かぶせるのではなく栓をするかたちだ。竹の筒は真円ではないから、それぞれにかたちを合わせて削られている。だから本当なら、印を合わせてまっすぐ閉めればぴたりとくる。ただし当然、中のものがしっかり奥に引っ込んでいないと、ぶつかる。小結は上の方に引っかかっているから、もちろんぶつかって完全には閉まらなかった。だというのに、それもそのままに、粗忽ものは満足そうにほかの片づけをはじめてしまった。
「そんな」
小結が、呆然と呟く。「初心」と書かれた筒、それはたしかにおれの名であったはずなのだが、もうこうなっては、おれがそうなのだと気付いてくれる人がどれほどいるだろうか。おれの居場所に小結が納まってしまえば、それはもう、小結が「初心」となったのとおんなじだ。
「なんともはや」
長く在るとこういうこともあるものかと、おれはため息ひとつで諦めた。そうするしかないだろう。人の動きには、我らは逆らいようがないものなあ。だが、小結の方は、そう簡単に落ち着くことができなかった。
「ああ、なんということ、どうしましょう、どうしましょう」
うろたえて、悲鳴のようなうわ言のようなことを繰り返し、かたかたと身を震わせている。もともとふっくらとした輪郭のためか新雪のような白さを感じさせる顔が、それはもう日陰の溶け残りの雪のようなみじめな色になっていた。おれはおれで、ずっとあった銘をなくしているが、小結は小結でいきなり他人の銘を押し付けられて、狭い筒に押し込められてしまったのだから、それもまた哀れで動転するのもやむを得ないことだ。その様子を見ていると、おれも諦めた、お前も諦めろとはとても言えない。
「なあに、主人が気付くかもしれぬ」
気休めだろうと思いつつ、半ばは、そうあってくれと思いつつ。肩を叩いてそう慰めれば、少し血の気の戻った様子で、小結はいくつも頷きを返してきた。
「左様、そう、そうですね。そうですともね。主人は、処心さまのことを、たいへんに気に入られていますから。いま点前で手に取られていたわけですし。こうしてここに出ていたら、きっと、おやとお気づきになるでしょう」
小結は水屋をうろうろしながら、手を組み合わせたりほどいたり、まことに落ち着かない様子で、茶席の状態を伺っていた。茶席でいっしょだった伊賀の茶碗と、螺鈿の入った塗の菓子器が、こちらのただならぬ雰囲気に気付いて声を掛けてきた。簡単に事情を説明すると、ふたりとも驚いて絶句したあと、深々とため息をついた。
「なんということ。我ら陶器の類がいつか粉々に割られるものと思っていたが、まさかに茶杓のおふたりに、そのような災いが起きるとは」
「おそろしや、おいたわしや。欠かす、折る、曲げる、歪む、壊すだけではなくて、そんなことまで起こるとは、思いもよらないことでございます」
「いやはやそれよ。粗忽の種類というのは、限りがないものなのかと、おれも呆れかえってまだ何も考えられぬ」
「壊されるよりは幾分かましではある、のでしょうか」
絞りだすような伊賀茶碗の慰めに、小結は大きく反発した。むっくりとした指の両手を握りしめ、握ったり緩めたりしながら、首を大きく横に振る。いつもの甲高いような声が、さらに上ずってたいへんな剣幕だった。
「とんでもない、とんでもない。まし、などということがございますでしょうか。まったくもって、とんでもないことが起きているのでございますよ。私はこうして茶杓として作られてからこのかたずっと、筒のあったことなどございません。普段使いで重宝されてきた、小結として在るのでございます。とんでもない、筒に入った『初心』ではないのです。ああ、筒に入った私は、私ではないのでございます」
「落ち着け、落ち着け。それはおれもおなじことよ。その筒にいるものが『初心』なのであれば、おれはいったい誰になるのか」
これからおれは、おれではないと人から思われるのだろうか。ものとしてのおれはまったく損なわれてはいないが、初心という筒にいられなくなったというのは、おれの在り方に関係ないとは言いきれなかった。なんとも奇妙な気持ちだった。うまく呑み込めないものが、ずっと口のなかからのどから胸のあたりまで、いっぱいに居座っているような感覚だ。しかし、これにも慣れていかねばならぬ。そんなことを思案していると、おれの腕を小結が揺さぶった。
「きっと、主人が気付いてくれます。ね、処心さま、きっとそうございますね」
「ああ、うむ……うむ」
歯切れの悪いおれを、そして頑なな小結の様子を、伊賀茶碗と菓子器はいたまし気に見ていた。ふたりは、その家でも長くあったものたちで、しかも思慮深い性質だった。だから、おれが呑み込めぬものでも呑み込むしかないと肚を決めて今回のことを受け入れようとしていることも、それを小結には言えていないことも、なんとなく察せられたのかもしれない。
茶席がはけて、客たちが去り、主人が水屋に顔を出したときには、その日の片づけは大きく進んでおった。ふたりともご苦労だったね、ありがとう、と水屋のものに柔らかく声を掛けた主人は、陶器をはじめとした道具はしばらく干してからしまうから、洗いが終わったらしまいにして良い、と若い弟子に言いながら、道具の確認をしていた。
あれはこちらへ、これはあそこへ、といくつか主人が指示を出す合間に、粗忽ものが始末の報告をしていく。うんうんとそれに返事を返しながら、主人は水屋に目を走らせていく。
ー茶杓は?
主人の問いかけに、おれと小結は息を呑んだ。伊賀茶碗と菓子器も、後ろで手を合わせてくれていた。頼む、頼む、こちらですと、筒を渡してくれ。今日おれで点前をした主人ならば、見さえすれば、筒のなかの茶杓がおれではないことに、すぐに気付くはずなのだ。おれはそう願った。
ものたちの訴えや願いは、人に届かないことの方が多い。
粗忽ものが、ちゃんとしまいましたよ、と簡単に答えた。そうかえ、ありがとう、とだけ主人は言った。それで終わりだ。じゃあ私は炭の始末をしてこよう。お前たちも適当に切り上げてよいからね、ご苦労さま。
おれたちを一顧だにせず、主人は立ち上がった。
「な、な、な、なんという嘘っぱち。ちゃんとしまったなどと、嘘も大嘘でございます。主人! ご主人! 筒のなかを、検めてくだされ。もしくはこちらをご覧くだされ、この二月堂のうえを! ほらこのように、処心さまはこちらにまだ出ていらっしゃるのでございます。筒のなかなどではないのです。ああ、どうぞ、どうか、ご覧になってくださいまし。処心さまはこちらに、おられる、そして筒のなかは私、小結なのですよう」
泡を食って主人に向かってわめき、二月堂に置かれたままのおれを小結が指さすが、もちろん主人は足を止めなかった。
どこかでやはりなあ、と諦観しているおれとは違い、小結は水屋から出ていく主人にすがりつくようにして追いかけていく。小結が必死に懇願を続ける声を背に、おれはおれが、粗忽ものにつままれて、普段使い用の茶杓の棚に入れられるのを、そして小結の入った「初心」の筒が水屋の横に備え付けられた倉庫の奥へ持ち去られるのを、ぼんやりと見ていた。
いつの間に迎えに行ってくれたのか、伊賀茶碗と菓子器にはさまれて、左右から背を撫でられながら、悄然とした小結が水屋へ戻ってきた。先ほどまでずっと言い募っていたのがすっかり静かになってしまっている。おれもその肩をゆっくりと撫でた。
「小結、おれたちには、どうしようもない、しかたのないことだ。自分ではどうしようもないことは、人にもものにも、いろいろ起きるものだ。そして、おれたちは道具だ。人のように足掻かず嘆かず、起きたことを受け入れようぞ。辛いけれども、道具には当たり前のことだ」
おれの言葉に左右のふたりは頷き、ただまんなかの小結だけが、何も言わずに視線を落として小さく首を横に振った。何度も、何度も、むずかる子どものように。




