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会のはじまり

夜咄におあつらえの、寒い夜で御座います。宵の口より、軒先には半月にも満月にもなれぬ月がどろりと掛かっておりました。火鉢で温もった寄付きの六畳間の灯りは行燈ひとつのみで薄暗く、畳の目ひとつひとつに陰影が宿っています。

お迎えの準備が整ったのを確認して廊下に出てしばらく、定刻少し前、部屋の隅の影がじわり濃くなり、人のかたちをとりました。障子に大きく、影が踊ります。

ひぃ、ふぅ、み。

みなさま、おそろいのようで御座います。

耳をそばだてていれば、お互いに言葉少なに、しかし穏やかにごあいさつを交わされたあと、みなさま黙々と身支度をしておられるようでした。部屋には火鉢の炭が小さく爆ぜる合間に、衣擦れの音が鳴るのみです。

「少し無骨ではありますが、盆に湯呑を乗せて御座います。本日は、甘酒をご用意いたしました。御熱いですので、御気をつけて」

障子を開かぬまま頃合いを見て廊下からそう申し上げますと、あら、嬉しい、と華やかな御声がひとつ、すぐにお返事をくださいました。ほかの御二方も御礼を口にされて、湯呑を取り回してくださいます。

「さて、御席順はどのようにしましょうねえ?」

「例年通り、くじ引きにてと思ったが、よろしいかな」

渋い声でそうお答えになったのは、処心さま。

「もちろんですよ」

すぐに同意されたのは千猫さま。

「僕も異存ありません」

天蜘蛛さまも、続きます。生真面目な方ですので、しっかりと頷かれているのでしょう。

「みなさま、そうおっしゃるかと思いまして、床の間に札をご用意して御座います。どうぞご随意に御使いくださいませ」

「や、これはご用意の良い。ありがたく使わせていただこう」

床の間に置いた赤い丸盆には、小さな木の札をみっつ、ご用意致しました。爪の先のように細い三日月が描かれたものと、一と二の漢数字がかかれたものと。処心さまが節の目立つ指でむぞうさに、盆を床の間から中央にお出しになります。

「正客は月の札、それに続いて一、二と席入りだな。よろしいか」

「ええ、それでよろしいですよ」

「承知しました」

天蜘蛛さまが札を裏に向けたので、みっつの札はすべておなじ松葉の絵となりました。くるくるとそれを混ぜ、盆自体もまわして、すっかりどれがどれだか分からなくしてから、盆を囲んだそれぞれの御手が札を御選びになりました。

「さ、ごいっしょに開けましょうね。よろしくて? はい、せぇの」

楽し気な千猫さまの掛け声で、札の表が開けられました。月を引かれましたのは、天蜘蛛さまだったようで御座います。

「おや、しまったな」

御正客は、御客様方の中心となられる役。天蜘蛛さまは狼狽されたようで、札を持った手を右へ左へと彷徨わせておられます。

「いいぞ、天蜘蛛くんが当たりじゃ」

「すてきすてき」

「お二方を差し置いて僕が正客だなんて、こいつはまずいですよ」

はやし立てる御二方に向けて、拝まんばかりに天蜘蛛さまが頼みこまれます。

「新参者の僕なんぞが正客じゃ、席がしまらない。どうぞ、処心さん、千猫さん、どちらかなすってください」

「古い方がお正客ならば、処心さんね。この家へ来た順でいうのなら、古いのは処心さんよ。私は先代、処心さんはその前だもの」

「なに、産まれた順で言うたのなら、千猫さんが間違いなしじゃ」

てのひらでお互いを指されてから、わははっと処心さまが御笑いになり、ふふふっと千猫さまが御笑いになりました。

「ね、こういうことになるから、くじ引きなのよ。一晩かけてお席に入る順番を決めるわけにもいかないでしょう。わかって?」

「左様さ。くじの声は天の声。ささ、腹を決めなされ」

「いや、まいったなあ」

頬を掻き掻き、それでも観念したようにふところから扇子を出してご自身の前に置き、天蜘蛛さまが頭を下げられました。ほかの御二方も揃って御辞儀を返されます。

「至らぬ正客ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」

このようにして、今宵の御正客は、黒楽御茶碗の天蜘蛛さま。ご連客は真形釜の千猫さま、御詰めは御茶杓の処心さまと、相成りましたようで御座います。呈主はわたくし、古びた喚鐘が務めさせていただきます。

『付喪神絵巻』に曰く。「陰陽雑記にいう、器物百年を経て化して精霊を得てより人の心を誑かす。これを付喪神と号すといへり」。

いやいや、いやいや、とんでもない、人の心を誑かすなどは致しませぬ。もちろん人もいろいろ器物もいろいろ、そのようなものがまったくおらぬとも断言はできませんが、わたくし共のことだけでいわせていただきますと、ひと様の心をどうこうしようなどとは、思いもよらないことで御座います。器物は、美しさや長い時をその体に見せるだけ。それを見て心が右往左往されたというのであれば、良い動きも悪い動きも、その人のご自身のなかに、もともとあったものが出てきただけでございましょう。

百年を経て、我々はただ、気ままに動く自らの心を得るだけで御座います。

本日御集りのみなさまはそれぞれ、丹精を込めて作られ幾代も人々の手を渡り大切に愛でられて数々の心を注がれ、日の光月の影を幾度も過ぎて年経て付喪神となられた、ご立派な方々。本日御客さまとしてお迎えできましたこと、光栄の至り、呈主冥利につきまして御座います。

夜咄の茶事は、夕まぐれよりはじまり、手元足元を照らす朧な灯りとたくさんの闇といっしょに進む、人ではないものにあつらえむけの茶の湯。どうぞ今宵、ともに良い時間を過ごされますよう。


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