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だいひょうのおはなし

我が養成所の代表である大御所声優氏について語ろう、特に名を秘す。声優界に詳しい方なら「ああ、あの人かな」と容易に想像がつくだろうがここはまあ諸事情ありまして伏せ字で語る無礼をご勘弁いただきたい。


代表は小柄な方だった、声はやはりというか当然というか、特に大声を張り上げることもないのにやたらと遠くまでよく響く美声であった。そしてピンクだった。


いや何を言ってるんだお前は?とお怒りの読者様もあろう、だってピンクなんだもん。羽織っているセーターはピンク、トレードマークのようにピンク。正直これほどピンクの似合う男性は世におるまいと思えるくらいにはピンクだった。これは後年の話になるが、代表は生徒たちからお誕生日のお祝いに贈られたスカジャンをいたくお気に召されて、養成所にいる間はずっとそのスカジャンを着ていたものだった。そのスカジャンも当然ピンクだった。ピンクピンクピンク、代表はいつでもどこでもピンクの人。いや実際にはそんな事はなかったはずだが、思い出の中にいる代表のお姿はもうあのピンクのスカジャン姿しか思い浮かばないのでピンクでいいや。そんな代表の象徴ともいうべきピンクのスカジャンは代表の葬儀の時に亡骸とともに棺の中に入れられ共に灰となった。なので今もあの世で代表はピンクのスカジャンを羽織っていると思われる。


そんなピンクの代表だったが、とにかく話が長い。一度話し出すと本当に止まることなく次から次へと話題が飛んで最初の主題はどこへやら、どこまでも好き勝手な方向に話が逸脱していく。養成所では週に一度全生徒が集まる時間があったのだが、その時も代表はとにかく喋る。本当にどこまでも喋り続けるので大抵は進行の講師の方が途中で「代表、そろそろお時間が」と止めに入るのが慣例となっていた。ところがそんなくらいでは代表の話は止まらない。


最初のうちは面食らった生徒たちも。次第にその長話の尺度に慣れてきてむしろその長話を楽しむ風すらあった。実際代表の話す内容は何度聞き返しても面白く新鮮で、何度も耳にした橋なのにその都度初めて聞いたような感覚に陥るほど卓越した魅力的な話術だった。まさかそののち十数年以上もずーっと同じ話を聞き続ける事になるとは夢にも思わなかったが。


そんな代表の長話だが、毎回毎回いつも決まったようにある一定の時間が経つと急に黙りこくってしまう瞬間があった。どれだけ話が長引いても脱線してもその時間になるとピタリとそれまでの勢いが止んで急に静かになるのである。大体はその頃合いを見計らって全校集会はお開きになるのが恒例となっていたが、その謎のおしゃべり停止時間にはちゃんとした理由があったのだ。


代表は声優としての実績はもちろん、舞台演出家、ナレーターとしても幅広い活躍をされていたが、もう一つの有名な顔として「ラジオパーソナリティ」というものがあった。深夜ラジオが全盛期だった七十〜八十年代当時、十六年もの長きに渡って放送されていた超人気深夜番組の人気パーソナリティとして活躍していた代表はその番組の中で二時間全く台本なしでフリートークを繰り広げるコーナーがあった。その中でも代表は持ち前の華麗な話術と豊富な知識と教養で見事に二時間という長丁場をリスナーに飽きさせることなく楽しませ続けてきた。その時のフリートークの習慣がすっかり身に染み付いてしまっていて、どれだけ長い時間喋り続けていてもそのコーナーが終わる時間になるとトークを終了させてしまう癖が残ってしまったのだという。


代表はいつもの豪快な笑いと共にそう説明してくれていた。それが事実かどうかはリアルタイムで番組を聞いた事のない自分らの世代には確かめようもなかったが、あの代表の事だマジであり得るかもしれんと生徒たちは妙に納得していた。


そんなお話大好きな代表だったので、昔の苦労話はたくさん聞かせてもらった。代表はテレビ草創期のそれこそ白黒時代から吹き替えに携わっていた方なので、その苦労話はひいては半世紀に渡る日本のアテレコ史そのものと言っていい貴重な証言である。そのためにもできるだけ当時の代表の言葉を書き留めておきたい。


最初期のアテレコ現場はとにかく暗かった、という。今と違って当初のアテレコはビデオ機材などなくオープンリール映写機を使っての収録だったそうな。映写機なので当然部屋の中は暗い、台本は手書きな事もしばしば、しかもデジタル編集なんてない当時はCMカットまでの二十分弱ほどの長さを一発録りしなければならなかった。誰かがセリフをミスったらフィルムを巻き戻してまた最初からやり直し、周囲の声優さんたちはみんな幾多の大舞台をこなしてきた歴戦の強者然とした舞台俳優揃いである。今は知らないが昔の舞台俳優さんと言ったら一本筋の通ったコワモテさんが多かったものである、若手がちょっとセリフをトチって「すみません」とか言おうものなら「すまねえよ、俺は今のセリフ喋るのに全身全霊かけてたんだぞ、お前のせいでまた一から全身全霊で喋らなきゃなんねえだろうが」と()()()脅しつけるものだから収録現場の緊張感たるや並々ならぬものがあったという。


アニメの現場にしても事情はさほど変わらず、こちらはこちらで収録当日にその場で台本を渡されてロクにチェックもできないままいきなり本番に入って昔気質の音響監督さんから「なんだそのセリフはヘタクソ!!」と怒鳴り散らされるのも日常茶飯事だったという。


それだけ苦労してもとにかくアテレコのギャラは安かった。レギュラーキャラでもちょい役でもとにかく一本三千円、そんな時代が長く続いたという。代表は当時人気だった外画ドラマで主人公の相棒役として最も世間に知られた職業声優となっていた。収録の場にはファンの子がいわゆる「出待ち」をしていて、乗ったタクシーの後を追いかけてくるほどの熱狂ぶりだったという。それでもギャラは三千円。


「すごい、俺スターだ、三千円のスターだ!」


代表は半分皮肉まじりに当時のご自分を振り返ってそう語っていたのをよく覚えている。そんな低迷していた声優の懐事情を改善すべく声優たちが結束して映像制作会社を相手に賃上げ闘争を行なった事もあった。その時にも代表は率先して交渉の矢面に立ち、後進の声優たちの地位向上のために奮闘してくれていた。現在設定されている声優の「ランク制度」と言われるギャラの段階的な設定はこの賃上げ交渉の結果双方の意見を取りまとめて決められたものである。そういった栄光も苦労も飲み込んで先達たちが切り拓いてきてくれた先に今の声優人気がある事を我々後進の人間は決して忘れてはいけない。


ここまで持ち上げるだけ持ち上げておいてから言うのもなんだが、総評としての代表のイメージは「変わり者」という印象が強かったように思える。まあ、才能を持つ者というのはああいうものなのかというぐらいにはちょっと並み外れた感性の持ち主ではあった。


変わり者らしいエピソードとして食事の嗜好について記しておく。代表はとにかく「食」に関して全く関心のない方で、毎日毎日飽きもせず同じメニューを食べていた。例えば昼食に一度中華丼を頼んだらしばらくの間はずっと同じ中華丼を食べ続けていて、事務所に顔を出すときはいつも代表が食べた中華丼の皿が置いてあるのを目にしたものだった。舞台俳優を職としていると地方公演などで日本中を巡業することも多いのだが、そんな時も代表は地方の名物料理などには特に興味も示さずいつもと変わらぬ食生活を送っていたという。


加えて代表はヘビースモーカーだった。この業界に入って初めて知った事だったが役者稼業の人はとにかく愛煙家が多かった。今は知らないが当時は男性も女性も関係なく時間さえあれば灰皿を囲んでみんなでモクモクしている光景を目にしたものだった。代表はそんな中でも極めつきのニコチン中毒で文字通りいつでもどこでもタバコに火をつけてはさして旨そうに吸うわけでもなく口に咥えていた。ひどい時には片手におにぎり、もう片方の手にタバコをつまんで食事と喫煙を交互に繰り返していることすらあった。さすがにあそこまで行くとどうかしていると思う。


ここまでとりとめもなく代表の思い出話を綴ったが、いくら描いても書ききれないので今回はここまでとして思い出話はまたいずれ別の機会に書く事にする。


今でも耳の奥には代表の口癖であった「しっかり喋れ!」という怒鳴り声が染み付いていて、これを書いている今もあの美声が脳内でリフレインしてくる。その声を思い起こすたびに死ぬほど厳しく鍛え上げられた当時を思い出して震え上がっている自分がいる。


一度植え付けられた師匠の恐怖からは、二十数年経ったこの歳になっても逃れられないのだ。

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