セリフは身体全部で発するものと思え、だから踊れ(無茶ぶり)
レッスンに通う日々はそれはそれは言葉に尽くせぬほどの充実感に満ち溢れた時間だった。今までの人生で経験したことのない物事を怒涛のように受け取り、それが自分の体に染み込んでいく感覚はそれまでに目的もなく生きて来た人間の燻っていた情熱を目覚めさせるには十分すぎる刺激と熱量だった。
とはいえ、そんな自分にも苦手とする科目があった。
ダンスだ。
ダンスは我が養成所の初年度レッスンのうち「演技基礎」「サーキットトレーニング」と並ぶ俳優育成の三本柱の一つとして大きく取り扱われていた。近年の歌って踊れるアイドル声優全盛の時代からするとさほど奇異には感じられないかもしれないが、当時はまだ歌い、踊るというステージパフォーマンスを「興業」として行っている声優は極めて稀な存在だった。
そんな時代にウチではかなり本格的にダンスのレッスンをいち早く取り入れていたのである。
これには多くの養成所生が面食らい困惑した。多くの新入生は声優のレッスンなんてスタジオで発声練習をしたり台本を読み合わせしたりする程度のものだと思っていたに違いない。実際僕もその程度の認識だった。だからここまで全力で体の隅から隅まで酷使するような激しい運動をする事になるとは夢にも思っていなかったのである。
しかもダンスを教えてくださる講師の方はバレエ畑出身のダンサーだった。いきおいそのレッスン内容もバレエを根底に置いたものたっていた。
ありていに言うと、我々は全員タイツ姿でレッスンを受けなければいけなかった。
バレエなのだから当然であろう、特に全身のラインをはっきり見せるために体にピッタリ密着した稽古着を着て、バックスキンのトゥシューズを履いてレッスンバーに足を乗せて鏡で自分の体型や姿勢を観察しながらアン、ドゥ、トロウとリズムを刻む素人集団は外野から見ていて滑稽を通り過ぎてうすら寒いものすら感じさせるものがあったかもしれない。
実際ここで脱落した生徒(特に男性)は実に多かったと記憶している。上記のような認識で入学してきた生徒たちは、覚悟の軽い者からポロポロと早くもこぼれ落ちていった。自分はどうだったかというと、改めて姿見の前に映し出された己の全身像に怖気が立った事だけは良く記憶している。それでもここで脱落するという選択肢はまだなかった。
こうして初めて挑戦したダンスレッスンだったが、最初の一、二ヶ月はとにかく「身体をバラバラにする」事に専念させられた。ストレッチ、いわゆる柔軟体操である。
自慢ではないが当時の僕は相当に体が硬かった。膝を伸ばしたまま手の指を地面につける事なんて当然できなかったし、開脚前屈、つまり両足を「ハ」の字に開いて座りそのまま腰を折って額を地面にくっつけるまで折りたたむ動作なんて夢のまた夢だった。
だがダンスの先生はそんな甘えを許さない。痛い痛いと喚こうが叫ぼうが容赦なくカチカチ人間どもの股関節を引き伸ばしにかかる。終いには「切れーっ!!」と空恐ろしい事を口走りながらなおも容赦なく体重をかけてくる。
結果
「ブチブチブチッ」という音と共に本当に股関節の筋が切れた。
ここで言う「筋」と言うのは靭帯のことではなくて筋肉の周囲を覆ういわゆる「筋膜」の事で、ブチブチという音も別に靭帯断裂とか大袈裟なものではなく、最近よく耳にするところの「筋膜リリース」というやつなので別段大騒ぎする程のことではないのだが、食らった本人はたまったものではない。ブチブチという音だって実際に耳で聞こえているわけではないが身体の内側で何かが千切れたという感覚がイメージとして脳内に再生されたものだと思っていただきたい。それぐらいアレは痛い。今思い出しても涙目になる。
とにかく、多くの生徒がこうして内腿の筋をブチブチに千切られてのたうち回る事とあいなった。ご多聞に漏れず自分もそのうちの一人だった。
こうなるともう歩く事もままならない。ひょこひょことガニ股でおっかなびっくり歩みを進めるようになり、階段ともなると身体を横に開いて一歩、また一歩とカニのように横歩きしてヒーコラ言いながら昇り降りする羽目になる。そんな有り様を見てダンスの先生はうんうんと頷きながら
「よしよし、ようやく少しはニンゲンに近づいたな」
と冷徹に言い放つのであった。そう、踊れない僕らはニンゲン扱いすらされなかったのだ。ひどい。
ダンスのレッスンはとにかく厳しかった。ど素人集団ゆえにスタートラインが遅いというハンデもあってとにかく先生が満足の行く成果が得られるまではひたすら罵声と怒号の連続だった。曲を流すためのオーディオ機器のリモコンが飛んでくる事も一度や二度ではなかった。先にも書いたがこのダンスレッスンでふるいにかけられて養成所を去って行った生徒は実に多かった。その一番の理由がやはりこのダンスレッスンの想像を超える苛烈さだったのは間違いないと思う。
とはいえ、当時の青臭い若造だからこそあのレッスンが厳しいと感じていただけで、今にして振り返ると
(ああ、先生優しかったんだなあ……)
と思わずにはいられない。というのも、後日自分が実際に仕事で舞台などに行った先では芝居もダンスも養成所の先生たちのように優しく教えてくれる所なんて一箇所たりとも存在しなかったからだ。セリフは立ち稽古までに覚えてくるのは当たり前、ダンスの振り付けは一度教えれば一発で覚えるのも当たり前。覚えられなかったからといって叱られるなんて事はない、ただ次から二度と呼ばれることがなくなるだけという実に割り切ったドライな世界だった。そんな中いつまでたってもロクに足も開かない8カウントも取れないリズム音痴どもをよくもまあ根気よく鍛え上げ続けてくださったもんだと感謝ぜずにはいられない。
で、だ。実際にここまでダンスを叩き込まれてそれが声優としての活動に何がしかの肥やしになるのかという当初の疑問に対する答えだが、当然ながら「ある」と言わざるを得ない。
あくまで個人的な見解ではあるが、「声優」を目指すのであればまず「俳優」として基礎を積むのが王道である、という我が養成所のモットーに従うならば、「俳優」になるためにはその基礎の中に「ダンス」もまた当然そのうちに含まれているからである。
ミュージカルに限らず、舞台演劇では意外とダンスシーンが含まれている作品も多い。セリフや所作だけでは伝え切れないような情熱や感情の発露として「ダンス」という表現手段が取り入れられるところは映画やテレビドラマと舞台演劇とを隔てる大きな要素の一つかもしれない。とにかく、俳優として活動するのであれば嫌が応にもダンスを切り離して考える事はあり得ない。それぐらい舞台演劇における身体表現の一部として「ダンス」という要素は不可欠なものなのだ。
加えてアテレコとは「見て見て聞いて聞いて喋る」仕事である。すなわち「(台本を)見て」「(画面を)見て」「(原音を)聞いて」「(相手のセリフを)聞いて」「(自分のセリフを)喋る」、この複数のタスクを一瞬で同時にこなさなければならない。その「同時に違う事を複数行う」訓練にダンスはうってつけの教材であった。ダンスができればリズムも取れる、リズムが取れればセリフのテンポも掴みやすくなる。何より自由に身体を動かせればそれだけ自由に全身を使ってセリフを飛ばす事ができる。セリフは口先から出るものではない、全身で放つものだというのが代表の口癖だった。であるならばダンスは全身でセリフを表現するために必要不可欠な基礎である事は疑いの余地もない、だから踊れ、踊れ、踊れえええっ!!!と言われ続けて僕らは養成所にいる二年間、とにかくひたすらダンスに明け暮れた。
おまけ
「なんだ良い事ずくめじゃないかほら見たことか、だからあれだけ口を酸っぱくして教えてやったろう」
とおそらくはやっぱり演劇地獄にいるであろう今は亡きダンスの先生が僕の後ろで囁いている。はい全くおっしゃる通りでした、でもあれだけボロクソにこき下ろしていたダンスど下手クソのその僕が二十数年回りに回って今度は自分が次の世代を担う若い子達にダンスの振り付けをしている姿をご覧いただいて感慨深いものがあったでしょう?センセイの教えあってのワタクシでございますよへっへっへととりあえず揉み手で持ち上げておこう。合掌。