応募、そしてオーディション
きっかけは一枚の写真だった。
確か某ゲーム雑誌の広告欄だったと思う。そこには「新規声優養成所設立、第一期特別生募集」という見出しと共にとある大御所声優の顔写真が載せられた広告ページだった。その大御所声優氏は、外画吹き替え草創期から活躍している、ちょっと詳しい人なら誰もがその名を耳にした事がある文字通りレジェンドクラスの超大物だ。その大御所自らが来るべき次世代声優の育成を目指して新たに声優養成所を開校したという。
実のところ、その広告を最初に目にした時僕は特に気にも留めていなかった。映画マニアでアニメも大好きだった当時の僕はまあそれなりに声優にも詳しい部類ではあったが自分が「声優になりたい」などという希望はかけらも持ち合わせていなかったのである。そんな自分がなぜ写真と目が合った事が忘れられず応募用紙(当時はネットで応募なんて風習はなかった)を手にしたのか今でも不思議に思う。振り返ってつらつら思い起こしてみても魔が差したとしか言いようがない。ただ理由としては「週二日の集中レッスン、働きながら通えます」という煽り文句と「第一期特別生」という点が僕に応募を決意させたのだと思う。何せ先輩がいないのだ、好き放題できるではないか。そんな軽い気持ちでとうとう僕は応募用紙をしたため投函してしまった。
数日後書類審査をあっさりと通過してしまった僕のもとに二次審査の通知がやって来た。「面接試験とオーディションを行うので当日は動きやすい服装でおこしください」という文面に僕は戦慄した。オーデションって何やるんだ?当然ながら僕は演劇経験がない。芝居どころか人前で何かを演じるなんて経験すら無かった僕には「オーディション」というものが何をするものなのか少しも想像が及ばなかった。
いやマジでなんで応募しようと思ったんだ当時の自分!?
なんの前準備もなく都内某所にあったオーデション会場に僕は足を運んだ。なんの変哲もないテナントビル、ここの最上階がオーデション会場、かつ養成所の稽古場となる場所だった。エレベーターが最上階に到着してドアが開いた瞬間、僕はその場の空気に気圧され、今すぐ踵を返して帰りたいような場違いないたたまれなさを感じずにはいられなかった。
すでに支度を整えた大勢の受講者たちが緊張した面持ちのまま壁に張り付いている。緊張をほぐすためか初対面の人同士でこわばった会話を小声で交わす人もいる。みんなが壁際に張り付いているので広い会場はドーナツのようなポッカリと穴の空いたいびつな人混みを形成していた。そんな中一人堂々とど真ん中に立って腕組みをしながら仁王立ちをしている男性が異様な存在感を放っていた。おそらくは試験官(?)の先生だろうか。慣れない緊張のせいか、目に映る人の誰も彼もが歴戦の強者のように見えてど素人の自分など到底太刀打ちできないように思えてきた。
(なんでこんなところに来てしまったんだろう……)
今更そんな事を思い浮かべながら待機していると、いよいよオーディションが始まった。
まずはウォームアップを兼ねた体力測定という事で軽い筋トレが開始する。軽い?軽いかこれ!?心の中でそう叫びながら日頃の運動不足を呪いつつ腕立て伏せや腹筋を必死になってこなす。当然のようについていく事ができずに最後のスクワットを前に床に座り込んでしまった。もうこれだけでアウトはいさようならは決まったようなものだった。声優になるのにこんな事必要あるのかよ、というのが当時の僕の率直な感想だったが今の自分なら堂々と言える。あるんだよこのすっとこどっこい、やーいやーい過去に自分のマヌケー。
もうこの時点で僕の心は折れていた。そもそも自分如きが声優になろうなってのがおこがましかったんだ己を知りなさいこのハゲと自分で自分を罵倒する。それでもさすがにここで途中退場するのもバツが悪い。せめて思い出作りの一端にでもと気を取り直して次の面接試験に心を切り替えた。
面接試験は待機している受験生集団の中から一名一名番号で呼ばれて別室へ入って行くという方式で行われた。5分ばかりの面接時間を終えると次の番号の人が呼ばれる。その繰り返しが続くたびに僕の心臓は再び緊張のあまり喉から飛び出そうな勢いで早鐘を打った。そのうちある番号が呼ばれると、例のど真ん中で仁王立ちしていた人物が返事をして別室に入っていった。ウォームアップの時は余裕が無くて周囲にまで目が行き届いていなかったので気付かなかったが、なんと彼は試験官(?)ではなく同じオーディション生だったのだ。そのクソ度胸に驚き呆れながらも、あれくらいの根性が無ければ到底オーディションなんて通るまい、と半ば諦めのような気持ちにもなり、それが返って緊張を和らげる作用をもたらしてくれた。
(どうせ元々落ちて当然なんだ、大御所声優さんと直に話せるだけで儲けもんだろ)
自分の番号が呼ばれて入室する頃にはもうそんな吹っ切った気持ちに切り替わっていた。面接会場では長テーブルに手を置いた二、三人ほどの人が椅子に座ってこちらに視線を送っていた。一人の人物が視線に留まる。あの大御所声優さんご本人が自ら面接官として相対している。僕は高まる緊張と有名人に会えたというミーハーな興奮とで顔が紅潮していくのを抑えきれなかった。
「じゃあまずは……」
という言葉を皮切りに、あらかじめ伝えられていた手順で自己紹介を始める。出身地、趣味、志望動機など、自己アピールというよりほとんど世間話のような会話が続く。そんな中、
「タルホが好きなのか、へえ変わった奴だ」
唐突に大御所声優氏が言葉を挟んだ。手にした応募用紙に視線を落としたまま大御所声優氏は言葉を続けた、
「ジェラール・フィリップか、懐かしいねえ」
そう言って僕の方に視線を向ける。思わず身を固くして「あー、はいっ」とだけ辛うじて口にした。初めて言葉を交わした感激というのももちろんあったが、その裏で自分のちょっとしたスケベ心を見透かされたようで何とも気恥ずかしい思いに駆られてしまったのだ。
応募用紙には「好きなもの」という大雑把なアンケート項目があった。そこに僕は「読書と映画鑑賞」と書き、愛読書に「稲垣足穂」と書いていたのだ。ご存知ない方のために軽く説明しておくと稲垣足穂は戦前戦後期に活躍した新感覚派の作家で、王道の純文学とはちょいと道の外れたエロティシズムに溢れた「知る人ぞ知る小説家」といった人物で、そういった普通の人があまり出さないような極端な例を書くことによって少しでも印象に残るようにという下心があったわけである。ジェラール・フィリップにしても同様で、彼はモノクロ時代のフランスの映画スターであるが当時たまたまモノクロ映画を多く見る機会があって、直近に見た作品が彼の「悪魔の美しさ」や「モンパルナスの灯」だったというだけで、そういったマニアックな名前を出しておけば「自分は映画に詳しいんだゾ」というアピールになるだろうという姑息な作戦だったのである。他ならぬ御大ご自身もジェラール・フィリップの吹き替えを担当されていたという事実を当時の僕はつゆとも知らずに延々と知ったかぶりのニワカ知識を披露していたのを今でも思い出す。あーまた思い出してしまった、死のう。
大御所声優氏はそんな僕の魂胆を見透かしていたのかいないのか、とにかく面談が終了し次の項目に移った。続いて行ったのは「実技試験」である。これから声優として演技を学ぶに当たって、果たしてそれに見合う才能があるかどうか、身をもって示さねばならないまさに当落を賭けた正念場である。指示された演目は至って単純だった。その内容は
「お水を並々と張ったガラスの器をイメージし、それを手で運びなが端から端まで歩く」
というものだった。ただし一つだけ条件があり、それは「運んでいる途中で器を落として割ってしまう」というシチュエーションを加えるというものだった。
「何をやらされたか」はよく覚えているのだが、自分が「どうやったのか」はまるで覚えていない。今にして思い返せばおそらくど素人らしい小細工を弄したチャチな小芝居を演じていたのであろう。その場では特に何も言われる事もなく、僕の面接試験は終了した。多分今の自分が面接官だったら間違いなく落としていたし、なんならついでにフライングドロップキックの一つでも見舞わせてやっただろう、全くもって恥ずかしい。いや今からでも遅くないドラえもんタイムマシン貸してくれ今からちょっと行ってくる。
かくして人生初めてのオーディションは幕を閉じた。この時点で僕はとっくに合格することなど諦めていて、今日の出来事はすでに「楽しかった思い出」として記憶の隅に消化されつつあった。ひと時のマツリの時間は終わりを告げ、僕はなんの変哲もない日常生活へと戻っていった。
だから、後日「合格」という通知が来た時には目が飛び出すほどに仰天したものだった。こうして、この先二十数年に渡る苦難と挫折、そして熱狂の養成所人生が始まったのである。
後日談
それから数年経って、養成所では「代表」と呼ばれるようになった大御所声優氏に「なんで自分が合格だったんスか?」と臆面もなく聞いてみたところ、代表は真顔でこう答えた。
「あー、お前らの代は来た奴全員片っ端から合格にしてたからなー、ガハハハハ」
チャンチャン♪