タラ・コクチ=ビルケというペンネームが好きすぎる
タラ・コクチ=ビルケ
かっこいい⋯⋯⋯⋯。
・と=を勝手に付けましたが、たらこくちびる毛というペンネームの可能性を感じて貰いたい所存です。
Z・マーカスと同じくらい好きだ!
たらこくちびる、ならまあ普通ですよ。
そこに明らかに異質である毛、しかし連想するところの戯画的に良くある、くちびる近くにあるデカい黒子に生える太い毛という光景、その日常でありながら日常を逸脱している異様さ、メタイメージとして一目見て忘れさせない印象を与えるペンネームとして、これ以上のものはないと思います。
どうやったらこんなペンネームが思い付けるのか!
ええどうせ私のペンネームは単に生まれた日ってだけですよ。だってそんな思いつかないんだもん!
多分一日に生まれていれば朔と名乗り、十四日なら望と、十六日なら十六夜と名乗っていたことでしょう。
ええ、名付けのセンスはありません。猫にその猫の色の名前しか思い浮かばない人間ですから。( ゜д゜)、ペッ
なので、もう名前からして勝ちかなって思うので、意地でもたらこくちびる毛(敬称略)をなろうの機能ではブックマークしません。ブラウザのね、ブックマークですよ。星はつけますけどね、ブクマしたら負けかなって思ってる。
そして書くものが面白い。かつヒューマニティにあふれてます。
肩の力が抜けてフフってなるエッセイとか、バカっ話に見えてちゃんとドラマな連載とか。
私は喧嘩っ早く粘着質で普通か○キかって言えばまあだいたい○キで、そこはいわゆるアレな生粋のネット民なので「だめだこいつはやくなんとかしないと」的な部分を重々承知していますので、ひたすら羨ましい限りです。
近代文学のお作法では、作品は作者の人格を必ずしも反映しない。というのが定石ですが、それでもやはり、そこかしこに現れるのが作者の思想です。
人を見る目が暖かい。
悪人であってもそのどうしようもない心情に、同情や共感しなくても一定の理解と許しを与えることができる。
なんと言っていいか、そういう人間の善性を根底にした作品は「自分には到底無理です」と思うだけに妬ましくもあります。
猫はね、猫は信じられる。猫だからね。
ですから漏れなく作品は拝読しておりますが、感想はめったに書きません。
いや、だってネットストーカーと思われたらヤじゃない?(ネット民の悪癖)
ですのでこっそり読んでこっそり星入れてこっそり(ブラウザの)ブックマークします。
でも漏れなく読んでニヤニヤしてる。(⋯⋯あれ、もしかしなくても少しくネットストーカーだろうか)(いやそんなはずは!)
更新をドバドバするのもまた感服すること頻りであります。
ネットイキリのクソオタクがえっらそうに「ぼくのかんがえたさいきょうのラノベ」とかを語っても、やっぱり地に足のついた、本当の正論、継続は力なりとか有言実行とか愛と誠とかそういうものには負けるんだなって実感します。
若干の妬みと嫉みと僻みと共にこれからも粘着的にたらこくちびる毛を読んでいきたい所存です。