ライブハウス LAST CHANCE
もう一軒付き合ってと言う娘のミウに連れてこられたのは、古びたビルの表通りの入り口階段を地下に降りた何か酒場のような店だ。
”LAST CHANCE”という店名が書かれたネオン看板が入り口ドアの横の壁に掛けられている。
昼間の太陽にはうんざりだったので、薄暗い地下の店というのは正直有難い。夕方まで休憩すれば体力も回復するだろう。
「それにしても静かだな。閉店しているんじゃないか」
「コロナ休業よパパ。ここには友達に会いに来たの。パパにも会わせたくて」
「どういうことだ?お前、何か企んでいるな」
「うふふ・・ご明察。こっちが今日のメインの用事だったの。新しい仕事を手伝って」
どうやら私はミウにはめられたようである。
ミウはカラカラと鳴る今どき珍しいカウベルの付いたドアを開けて店内に入る。私もその後に続く。
「あ、ミウ。ほんとうに来てくれてありがとう」
そう言って出迎えたのは、金色に染めた髪を短く刈り込んだ二十歳そこそこくらいの小柄で痩せた女の子だ。耳と鼻や瞼にたくさんのピアスを付けている。むき出しの白い腕には派手なタトゥーが彫られている。
ロックバンドのメンバーに有り勝ちなのだが、派手な身なりなのに大人しくマジメそうな子である。
「お待たせ。ええとこの人は私のコンサルタントのマイケルさん。マイケル、この子が友達のリリコ」
「マイケル冨井です。はじめまして」
とにかく私はリリコに挨拶した。
私の見た目はリリコと大して変わらない若者なので、ミウも自分の父親とは言わず日本での偽名を伝えたわけだ。
昔は偽名を名乗るにしても、本名を綴り変えたり家名をもじったりしていたのだが、そちらの名前が世界的に有名になってしまったため現在はこの名を名乗っている。
この私がよりによって大天使ミカエルの名を騙るとは、実に皮肉なことなのだが。
「はじめましてマイケルさん。ふたりともこちらに掛けてくだださい。飲み物は何が良いですか?」
「ありがとう。オレンジジュースはあるかしら?100%果汁の」
「濃縮還元でよければあるわ。マイケルさんは?」
ミウは果物全般を口にすることができるのでジュースも飲めるのだが、私が口にできるものは数少ない。店のバーカウンターに吸い殻のたくさん入った大きな灰皿を見つけたので私は言った。
「私は結構。かわりにタバコを吸わせてもらっていいかな?」
「ああ、はい平気です。今は閉店中なので」
リリコはそう言ってカウンターの奥へ行き、すぐにトレイにオレンジジュースと新しい灰皿を乗せて戻って来た。
私はシガレットケースからタバコを一本抜き出し、口に咥えてライターで火を着けた。
「ミウ、ここはライブハウスなのか?」
壁面にドラムセットやマイクスタンド、ギターアンプなどが置かれているのを見て私は言った。
「そうよ、リリコはここで演奏してるロックバンド”蟲毒の女王”のヴォーカルなの」
ふむ、あまり良いネーミングセンスとは思えないバンド名だ。
「そうなんです。マイケルさんはロックとか聞きますか?」
「マイケルはロックなんか聞かないでしょ。どっちかというとクラシック専門だよね」
リリコの問いかけにミウが勝手に答える。
「いや、そんなことはないぞ。元カノがロック好きだったのでね、ライブハウスにはよく通ったものだ」
「へえ、どこのお店ですか?」
リリコが興味深そうに尋ねる。
「元カノとよく通ったのはリバプールにあるキャバーンクラブって店だな。彼女はビートルズという革ジャン着た不良っぽいバンドのファンだったんだ」
発言してから失敗に気付いた。リリコは明らかにリアクションに困っている。
「ごめんねリリコ、この人まだ中二病が抜けてないの」
私の発言にミウが補足する。確かに私は50~60年前くらいだと、なんとなくつい最近のことだと思ってしまうところがあるのだ。
「すまない、つまらない冗談だった」
「いえ、マイケルさんて面白い人ですね。若いのに落ち着いているし、すごいオトナな雰囲気だし」
キラキラとしたリリコの目から私への熱い好意が読み取れる。自惚れではない。私にそのつもりがなくても女性は私に惹きつけられてしまうのだ。これは私の能力でもあり、私にかけられた呪いのひとつでもある。
とにかくあまりこの対話を長引かせると後々面倒そうだ。
「ミウ、それで私をここに連れてきたのはどういう要件だね」
「それはリリコからの依頼について、マイケルのアドバイスが欲しかったの」
リリコが頷きなかが私に言った。
「実は私のカレシのことなんですが、いろいろ心配なことが多くてミウに相談していたんです」
「心配な事?」
「ええ。カレシはナオキという名前でKILL KINGというバンドのギタリストなんですが、どうも自分の事をヴァンパイアだと思ってるみたいなんです」