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ひさしぶりの買い物を楽しむ

 私の住むマンションは地下鉄の駅の真上に建っているので、エレベーターがホーム階まで直結している。

 都心部では日中移動するのには自動車クルマを使うより地下鉄を利用する方が便利といわれているのだが、そもそも私は日中出歩くことがほとんどないため、地下鉄に乗るのはかなり久しぶりなのだ。

 列車内では新型コロナ感染予防の対策のため、すべての人間たちがマスクをしている。私はコロナに感染することも感染源になることもあり得ないのだが、エチケットとしてマスクを着用して来た。

 それは別にしてもやはりこのような鉄の箱に大勢の人間と共に詰め込まれるのは、正直あまり快適とは言えない。


「それにしてもパパ、今は夏だよ。そんなスーツなんか着込んで暑くないわけ?」


 私はもともとあまり暑さも寒さも気にならない方だが、スーツと言ってもフィンテックスのキッドモヘア生地で仕立てたサマースーツである。暑いはずはないのである。

 それよりも直射日光を肌に受ける方がよほど不快であるので、服はできるだけ着込んでいる方が良いのだ。


「それにそのスーツ、なんか地味だよ。パパは見た目は若者なんだから、もう少しファッションに気を使った方がいいよ」


 やれやれである。ミウのような若い娘にかかれば服地のロールスロイスと称されるフィンテックスも単なる地味服なのだ。

 確かにフィンテックスは若造が着こなせるような服地ではない。この落ち着いたミディアムグレーの色合いは年輪を重ねた男にこそ似合う。

 私は自分の見た目の青臭さを嫌っているので、せめて服装くらいは風格ある英国生地のものを選んでいるのである。


「パパ、この駅で降りるよ」


「ああ、ここか。この駅に服屋なんかあったっけ?」


「あるわよ。パパはあまり買い物に出かけるタイプじゃないから知らないだけ。ついて来て」


「おい地上に出るのか?地下から直結はしていないのか」


 私は1980年代に購入したオリバーゴールドスミスのやたら大きなフレームのサングラスを着用する。このデザインが流行遅れなのはわかっているが、日の光が苦手な私にはこのくらいの大きさが必要なのだ。

 つばの大きなソフト帽はスーツの色に合わせた特注品だ。ここまで完全武装しなければ、私は日中の都会を歩くことなどとてもできないのである。

 帽子にサングラスにマスクで、顔は完全に覆い隠されている。ほんの2年ほど前なら不審者として職質されかねない出で立ちであるが、昨今では珍しくも無いのがむしろありがたい。


「はいお疲れ様。到着よパパ」


 そこはビルディング一棟が丸ごと店舗という巨大な服屋であった。天井も高く、かなりゆったりした屋内であるはずなのだが、陳列されている服の物量が圧倒的である。

 このような服屋に入るのは初めてである。


「どうパパ。感想は」


「すごいな。正直驚いた。同じ形の服の色違い柄違いが大量に陳列されているのか」


「そうよ。ああこの辺りはメンズの売り場だから、パパも何か買ったらどう?カジュアルウェアなんか持ってないでしょう?」


「馬鹿にするな。若者向けのカジュアルならポール・スミスを何着も持っている」


「パパはカジュアルの定義が少し一般人とずれてるよ。まあいい、私はレディースのコーナーで適当に見繕っているから、パパは自由にショッピングしといて。じゃあ後ほど」


 そういうとミウは店内の反対側にあるレディースのコーナーに消えていった。


 私はメンズ売り場を見て歩く。季節柄とにかくTシャツがたくさんある。その驚くべき物量は私が長い生涯で見たTシャツの数をはるかに凌いでいるだろう。

 Tシャツに付けられているプライスタグを見てさらに驚いた。この価格は一桁間違えているのではなかろうか?


 私はTシャツの生地に触れ、さらに裏返して見る。素材も縫製も決して悪くはない。形はすべて同じだが色やプリントのデザインは洗練されていてしかも種類が多い。それでいてこの価格では原価すら出ないのではなかろうかと心配になる価格だ。

 なるほどこれがこれが話に聞くファストファッションという物なのか。私はファストファッションとはよほど安っぽい代物なのだろうと思っていたので、かなり認識を改めた。

 今どきの若者のようにTシャツなどという下着姿で街を歩く勇気は無いが、部屋着としては確かに楽かもしれない。


「ああ、君。ちょっと」


 私はこの店のロゴがプリントされたTシャツを着ている若者を呼び止めた。おそらく彼はここの店員である。


「はい、何か?」


「すまないがTシャツが欲しいのだ。私のサイズを見繕ってくれないかね」


 店員は私の身体を上下に少し見て即答した。


「お客様なら当店のLサイズですね。Lサイズと書かれたテープが貼られている中からお選びください」


 採寸もせずに私のサイズを見抜くとは、彼は若いがかなり熟練の店員のようだ。


「ではLサイズのTシャツを全種類貰おう。支払はカードでいいかな」


 そう言うと店員はなぜか慌てた。


「えっあの、すべてのデザインとなりますと、軽く200枚は超えちゃいますけど」


「後で人に取りに来させるから、まとめておいてくれたまえ」


「あ・・お待ちください・・て、店長!」


 店員たちが数名がかりで私のTシャツをピックアップしてまとめてくれた。数量は300枚を超えていたが、これだけ買ってもスーツ一着分の値段にもならないのだから安い買い物だ。

 私はすっかりこの店が気に入っていた。


 そうこうしているうちにミウが買い物かごに数着のTシャツやパンツ、そして下着の類を入れて持って来た。

 私の買い物を見て目を丸くしている。私がこういう店で買い物ができることに驚いているのだろうが、見くびらないでもらいたい。


「ミウ、たったそれだけでいいのか?」


「ええ。それにしてもパパ、たくさん買ったのね」


「ああ、なかなか久しぶりにショッピングを楽しませてもらったよ」


 私は先ほどの店員を呼んで、ミウの買い物を一緒に会計するように命じた。ミウは自分の服は持ち帰りたいというのでショッピングバッグに詰めてもらう。


「これで買い物は終わりかね?それじゃあ帰るとするか」


 ミウは軽く笑顔を見せると、首を横に振った。

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