第八十五話 未知を描く時の色
――魔石。それは、魔族が残した最期の痕跡。
魔力結晶の総称。
強者であるほど、純度と密度の高い希少な魔石を宿すことが多い。
その石は、砕いてしまえば、綺麗な光彩になって、大気の魔素に紛れて消えてしまう。
「ララちゃん、それって……」
「月華夢幻に埋め込んだ、故郷を奪った赤い悪魔のもの」
私の掌の上で、鈍く光る赤い石。
属性もなく、魔力量が多少高いだけの魔石。
それには、奪われた命の重さに見合う価値はない。
過去の過ちを繰り返さないために、私が持ち続けている、ただのガラクタ――。
魔石は、魔力を宿す。
魔導石は、その流れを形にする。
武具や魔道具に組み込まれた魔石は、力を引き出すための核となり、魔導石は、回路や素体として、その力をどこへ、どう流すかを決める。
砕くのか、削るのか。
単体で使うのか、組み合わせるのか。
それは理論だけでは決まらない。
職人の感覚と、積み重ねられた経験が、形と性能を決定づける。
反発する属性は、時に力を失い、同じ属性は、過剰なほどに増幅される。
その差は、ほんのわずか。
けれど、そのわずかが、生と死を分ける。
魔法を組み合わせる感覚も、魔石と魔導石を扱う技術も、才能や努力だけでは辿り着けない領域が、確かに存在している。
魔導研究者の夢を思えば、時間はいくらあっても足りない。
今は、それよりも――。
「冥の街、魔族たちが住む場所に行くんだなって……」
そう思ったら、少し落ち着かなくて、私は、この赤い石を眺めていた。
「複雑な気持ちになるよな……」
不器用なニアが、寄り添おうとしてくれる。
「いつもお気楽などこぞの精霊とは違うんじゃない?」
お姉ちゃんが、わざと軽く茶化す。
本当は分かってる。
感の鈍いニアに代わって、過去に踏み込みすぎないよう、気遣ってくれているのだ。
それでも、私は――。
霧が包む街に戻った私たちは、冥の街、クロノハデスに向かう前に、しばらく休養を取ることにした。
境界を越える前に、まだ意味を成さず文字置換できなかった本を読むため、大書庫アーカ・ルミナへと足を運んでいた。
まだ最後まで触れられないその本。
新たに触れられた頁には、精霊の刻印が示す意味が記されていた。
天へ移り住み、循環の流れを見守るようになった一族――ルナリア。
彼らの願いは、再び災厄の争いが起こらないように、同じ過ちを繰り返さないように世界を導くこと。
天冥の樹の頂を超えた、遥か天空に移り住むという、壮大な計画。その結末までは、記されていなかった。
それでも、ティラミスに住むルナリア族の天才科学者、ストロー博士の言葉が、その先を示していた。
太陽ではなく――月。
影から世界を支える存在。
光精霊と月の理を持つ祖先が描いた絵空事は、夢物語では終わらなかった。
私が目指す魔導研究者への道に、確かな光を差し込む古代の記録。胸が高鳴らないはずがない。
本を読み終えたあと、大書庫の休憩室で、私はこれまでを思い返していた。
今まで戦ってきた魔族。
魔石を複数宿していた魔物もいた。
意思を持たないはずの下位の魔物が、人や精霊と同じような感情を、もし持っていたのだとしたら――。
その魔石は、いったい何なのだろう。
「三人とも待った?」
一緒に来ていたフィリエルが、顔を出す。
「全然待ってない」
「本気か? ララは本に集中してたから分から……」
そう言いかけたニアに被せるように、私がもう一度言う。
「全然待ってない」
「ララちゃんの言う通り」
「目が逝ってるって。お前らよってたかってだな……」
ぶつぶつ言いながらも、いつの間にか、そこには温かな空気が流れていた。
感情の少ないフィリエルも、心なしか表情が緩んでいる。
「フィリエル。ところで、ソラノアは?」
「クローディアと話があると言われた。街の結界に生じていた歪みが消えたと、感謝された」
あの時のことを思えば、ソラノアがフィリエルを気遣ったのだと分かる。
「これで、ひとまず安心。でも、まだ終わったわけじゃない」
フィリエルとお姉ちゃんが頷く。
ニアだけが、少し場違いな顔をしていた。
「なんだ、二人じゃないといけない話か?」
そのニアから、悪気もなく、核心を突く発言が飛び出した。
(わわッ……)
お姉ちゃんが慌ててニアを諭す。
「フィリエル、この子に悪気はないんだ。ごめんね」
「あ、あぁ、悪かったな……」
不思議そうな顔をしながら、ニアが謝る。
フィリエルは、一瞬表情を変えただけ。
けれど、すぐにいつもの彼女に戻る。
「気にしてない。ソラノアはフィリエルにだけ優しい。幼いころからの仲だから」
「なんだ、好きなのか?」
「こら、ニア!」
フィリエルは、真っ赤になったまま動かない。
どうしていいか分からないようだった。
しばらくして、落ち着きのない声で、言葉を落とす。
「ソラノアは、いつもフィリエルを助けてくれる。だから、尊敬している。でも、過保護。ただ、特別なだけ」
未整理な言葉。
それが、彼女の心の揺れを、そのまま映していた。
きっと、フィリエルは自分の心に気付いていない。
距離が近すぎて、幼馴染とはそういうものなのかもしれない。
私とお姉ちゃんは、顔を見合わせるだけにした。
「えっと……、フィリエル。よかったら友達になってくれないか? 巫女やってたら、友達もなかなかできねぇだろ?」
慌ただしく動く周囲の心に無頓着なニアが話題を変える。
偶然にしても、このタイミングに出た言葉は助け舟になった。
ニアにも、色々思うことがあるのかもしれない。
それでも、私は、そのままでいいと思えた。
「分かった……。よろしく」
「ありがとう……。仲間っていいよな!」
「フィリエル、ニアはこんなだから、誰かが導かないと迷子になっちゃうから頼んだよ」
「フィリエルに任せるといい。導くのは得意」
フィリエルは誇らしげだ。
感情に乏しいと思っていた彼女が、もう、そうは見えなかった。
普段は甘いものに目がないフィリエルと、空気が読めない鈍感なニア。
一方は静かで、一方は賑やかだけど、バランスがとれていて、どこか似ていて、一緒にいると心地が好いのかもしれない。
「振られなくてよかったね、ニ・ア」
「なんとでも言え」
勝ち誇ったようにニアは胸を張っていた。
やっぱり、どこかフィリエルと雰囲気が似ている。
満面な笑みのお姉ちゃん。
さぞかし嬉しかったのだろう。
フィリエルには、ソラノアやクラウディアが付いている。私たちの知らない一面もまだあるはず。
それなのに、お姉ちゃんは、敢えてそのことをニアに伝えなかった。
ニアと戦った時に知った、彼女の孤独な生い立ち――劣等感。私たちはそれを知っていて、共に支え合ってきた。
過去を越え、自分の意思で世界を広げていく闇精霊の少女が、ここにいる。
私やお姉ちゃんがいなくなったあとも、今のニアなら、きちんとやっていける。自分の道を、もう歩き始めている。
先へ進めなくなれば、あの子の未来も、ここで終わってしまう。
最初から覚悟はできている。
この地に住まう魔が、たとえ悪だったとしても――。
それでも、私たちは止まらない。




