第八十二話 絡まりはじめたもの
暗闇に沈んでいった導きの光。
悠久のときのなかで彷徨っていた人々の想いは、静かに、再び巡り始めた。
今と過去の狭間で揺れた心。
ほのかな温かさが残るなか、感傷に浸っていると、それは冷たい気配として、姿を現した。
浄化の光を拒むように、夜に浮かんだ見知らぬ声。
『精霊の刻印』を手にしたニアは、表情を変えずに状況を見極めようとしていた。
「おぃッ!? お前は一体誰だ?」
『――巫女よ……。よくやった。
さぁ……、その石を奪い、私の悲願を叶えるのだ……』
ただただ、深くて暗い声。
沈みながら広がり、浸食するように、世界の輪郭を曖昧にしていく、悍ましい響き。
……ニアが問いにした言葉。
それもまた、闇に溶けるように消えていった。
この地に戻ったのは、癒しと再生の循環ではない。
その流れに逆らうもの。異物のような、不穏な気配。
穢れた空気が辺りを包み、やがて、目の前に立ちはだかったフィリエル。
「「フィリエル」」
「だ……れ……」
私とお姉ちゃんの声に、一瞬反応したかのように見えたフィリエル。
しかし、彼女の目に生気はない。
黒い影が全身を覆い、秩序の導きは、痕跡すら残さず、密やかに、歪められているように見えた――。
「……、なさい……、……」
私たちの知らない魔法言語。
「ララちゃん、ニア、何かくるよ」
「うん」
「ああ……」
お姉ちゃんの合図に、守りを固める私たち。
それから間もなく、光の閃光が大樹から降り注ぎ……、空中で儚く霧散していった――。
……、な、何?
(なあ……、ララ、ニア――。あたしには分かる。これは、この地に残っていた、何かの願いの残滓。破邪に似た力だ)
『な、んだと……。巫女に注いだ私の力を破っただと?』
(精霊の刻印……そして、浄化の魔石。その影響が及ぶ何かが仕掛けてきたってことは分かった。問題は……)
(そうだね、ララちゃん。そいつが一体何者で、どこから今の状況を見ているか)
「誤算、だったね! 貴方は一体何者? 目的は?」
『何と訊かれて、答える愚かな者がいるわけがないだろう――』
(ニア、フィリエルは?)
(大丈夫だ。気を失っているだけ)
(お姉ちゃん、守りは任せるね)
会話が途切れた、その一瞬。
空気の重さが、わずかに緩んだ。
ニア……、精霊って凄いんだね!
ニアに満ち始めた新しい力は、まだ名のない未来へと繋がっている。
「そう……。そんなことは、どうでもいい。『貴方』が、何を企もうとは、私は――目の前にある今を守るだけだから」
『どうでもいい……だと? 私を侮辱するのか?』
「侮辱するも何も、私は貴方のことを何も知らない。『私』と言っている以上、貴方個人が勝手に自らの悲願のために、私の大切な仲間を利用しようとした。それだけで、十分に罪深い」
『貴様は、どうしてそんなに冷静なんだ。悪魔たちよりも尚、悪魔じみている』
――また、『悪魔』か。
「そこの奴。ララちゃんが悪魔だって? こんな天使を捕まえて。私の大切なララちゃんを傷付けるなら、絶対に許さない!」
お、お姉ちゃん!?
私を、ひとりの人として見てくれている――。
その言葉が、何よりも嬉しい……。
『人間というものは、相変わらず身勝手で虫唾が走る。そこの闇精霊。……いや、まぁいい。私の悲願のため、いずれまた相まみえよう――』
「おぃ、聞いてりゃ、グダグダと言いやがって。あんたの悲願なんて、あたしらには関係ない。勝手にやってやがれ!」
「ニア……」
(気配が消えたね。お姉ちゃん、どうだった?)
(同化の魔力には気付いていなかったみたい)
(そっか。私の探索魔法は妨害されて駄目だった)
(ニアもありがとう。ニアの補助魔法があって、余裕ができた)
(なにいってんだよララ。当り前だろ!)
張り詰めていた空気が、少しずつほどけていく。
肩に入っていた力も徐々に抜けていった。
そうだ。私たちは家族同然。
言葉にしなくても、通じ合う心がある。
この強い絆を断ち切ろうとするなら――。
(黒いのもたまには役に立ったな。にしても……、誰に向かって格好つけているのかしら? フフフ♪)
「うるせぇな! せっかく、いい話で終わったはずなのに」
場の雰囲気を明るく振舞おうとするお姉ちゃんと、それに気付けない鈍感なニア。
いつも通りで、少しだけ可笑しい。
計算され尽くした、私たちの景色――。
ちゃんと受け取ったよ、その気持ち。
――ありがとう、お姉ちゃん、ニア……。
「ララちゃん、ニアが罪もない私を責めてくるんだよ。助けて!」
「ニ、ア……??」
「あっ、ちが、違うんだって。今、ララも見てただろ?」
一瞬の間があって、皆が顔を合わせて笑いあって……。
気を失ったままのフィリエルを横目に、ほんのひとときの安らぎがこの場に満ちていった。
戦いはこの地を巡る浄化の力によって、予想以上に早く終わった。
戦闘の後味が残るなか、私は、まだ消えていない違和感を拾い上げる。
「いつまで隠れているつもり? ――出てきたら?」
「……霧のないこの場じゃ、無謀だったか――」
フィリエルが大書庫の深層で現れたあの時と、どこか似ている。
空間そのものが、音もなく裂けるように、闇が縫い合わされ、少年の姿が浮かび上がった。
夜のように深い闇色の瞳。
そこに映る月は、不思議なほど穏やかで、敵意よりも先に、こちらを測る冷静さがあった。
風にさらりと揺れる浅青の髪は、夜が深まる前の空のように、まだ闇に染まりきっていない色。
「この街に足を踏み入れてから、ずっと監視されていた。目的は何?」
「最初から、気付かれていた? ……だからといって、君らに話すことはない――」
「この緊張した場所で、白を切るなら、覚悟はある?」
「お、おい、ララ。それ正気か? どうみても、敵意は感じないし、そんなに悪そうな奴じゃないぞ」
「ニアは、黙ってて」
「あ、あぁ……」
私の推測が、間違っていなければ――。
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