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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第三部 リエージュ編 - 第三章 舞い落ちるひとひら

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第七十九話 寄り添うこころ

 森は、ひどく静かだった。

 嘆きの谷で強いられた沈黙とは違う。

 この森では、沈黙がほどけて散っている。


 ここには、音があった。

 葉擦れの音。枝の軋み。

 遠くでは、鳥が羽ばたく気配。


 音は互いに干渉していない。

 それぞれの距離を保ったまま、あるがままにここに在った。


 聞こえることがここでは正しいのか。

 それさえ分からなくなる。


 私は、確かめるように無意識に耳を澄ませていた。


 森は、その声達には応えない。

 冷え切った感覚が、私の身体の奥に残っていた――。



「……森だね」


 森の空気とは別の、やわらかく落ちるお姉ちゃんの澄んだ声。

 言葉は空気に紛れず、葉の間をすり抜けて、私の背中まで届いた。


「思ったより……ちゃんとしているね」

「ちゃんと、って何だよ」

「ちゃんと、森」


 ――言い終えたあと、少しだけ間があった。

 誰も否定しなかった。

 森が、それを受け取った――気がした。


「谷より、静かじゃないね」


 その一言に、風が混じる。

 私と、隣を歩くお姉ちゃんの間を、そっと撫でるような温度。


 フィリエルが、足元の土を見て、静かに告げた。


「境界を抜けた……。ここから先は――過去と未来を繋ぐ場所。魂が還る場所……」

「還る?」


 静かなニアの問いかけには、疑念の息が混じっていた。

 その息を散らすように、答えはすぐには返らなかった。


「……アーカ・ルミナの意思……だから……。未来は……描けない……」


 その間に、森が呼吸する。

 古く、長く、数え切れない時間を含んだ息。


 ニアが零した、あの小さな疑念の域など、比べものにならないほどの悠久の音。

 大樹が宿す記憶の息吹こそが、この森を整然と保っている。


 お姉ちゃんが呟いた『森だね……』という言葉。

 それが今になって胸に落ちている。


 ここは、ただ木々が立ち並ぶ場所ではない。

 守られ、積み重ねられ、受け継がれてきた――由緒ある森。

 理解が追い付いた私は、この壮大な歴史の営みに、畏怖(イフ)の念を抱いていた。


「……それで、いい。だからフィリエルはここが好き」


 表情や感情を見せないフィリエルが、微笑んでいた――ように見えた。

 それは、とっても優しい微笑みで……。緊張しているからこそ、私の心をくすぐった。

 物静かなフィリエルとの心の距離も、少しだけ縮まった気がしていた。


「フィリエル……」


 フィリエルの肩に両手をそっと添えて、優しく微笑むお姉ちゃん。

 私のときみたいに、それ以上言葉を重ねはしなかった。


 フィリエルの頬が、再び、ほんの一瞬だけ緩んだ。

 今度は、それを見逃さない。


 今まで見たこともないような、小さな戸惑い。

 熱を帯びたまま、逃げ場を探すような目線。

 指を絡めた両手が、わずかに震えている。


 お姉ちゃんに導かれた、本来の導き手。

 純粋無垢で幼気(イタイケ)な少女の姿。


 目の前の光景から、視線を逸らせなかった。

 二人の間に、そっと距離を保ちながら、私はただその瞬間を見届けていた。


 フィリエルの心に、()()()()が、ちゃんと届いている。

 それを感じた私は、寄り添う二人に心を奪われ、息をするのも忘れていた。

 ──そのとき、端で微かに葉を踏む音がした。気付いたのは、ほんの一瞬だけだった。


 自分の好きなものを、受け取ってもらえたときに感じる、ときめきと安堵(アンド)

 それを、私は知っている。

 陽だまりに誘う風が、色や匂い、温度さえも包み込み、気持ちが()()()()()()()()()


 森は、思っていたよりも深い。

 進むほど、木々は互いに距離を取り、空間は広がっているはず。

 それなのに、視界は、なぜか遠くへ行かない。


 光も音も、生きる者の気配も全てある。

 でもそれは、ただ、在るだけ。


 足元の土は柔らかい。

 踏み込むと、静かに形を変える。

 進むことを拒まれない。

 それなのに、迎え入れられてもいない。


「歩きやすいね」


 ここに道があることを確かめるように、口にしたお姉ちゃん。

 ニアが続く。


「……この景色、信用していいやつ?」

「うーん。信用“しすぎない”やつ」


 二人の遣り取りで、ここで初めて、自分の胸が浅く凍えていたことを知る。


「谷よりも……息が、しやすいかも」

「……ああ」


 ニアの短い返事の間に、お姉ちゃんの気配が、ほんの少し近付いた。


 風が、寄り添う。

 だから、私の心は沈まない。



 森の奥に、痕跡があった。

 折れた枝。踏み固められた地面。

 誰かが、何度も迷い、立ち止まった形。


 ここにも、声にならなかった想いがある。

 届かなかった。でも、それは嘆きではない、別のものだった。


「ここにも……、いたんだね」


 その言葉は、儚く風に舞って散っていった。


「うん」


 お姉ちゃんは、短く答える。


「でもさ。ここで終わる感じ……、じゃないな」


 断定はしないし、抱え込みもない。

 フィリエルが、少し前に出る。


「ここは……留めない……。流れも……止まらない……」


 その声音が、弱々しい呼吸をしながら森に還っていく。

 古代の理が、それをそっと受け止めていた。


「……重いね」


 ふいに、放たれたお姉ちゃんの言葉。


 岩陰に、黒い塊が横たわっていた。

 魔族の魔石。穢れを抱いたまま、時に削られた残骸……。


「見ただけで、分かるの?」

「分かるよ。谷のとは、まるで違う」


 触れる必要なんてない。

 目の前に横たわる現実が、その答えを導いているのだから。


「……まだ、ここでは」


 フィリエルの言葉は、判断ではなく、確認だった。


「触れないほうがいいね」


 お姉ちゃんの言葉に、私は黙って頷く。


 この森を巡る澄んだ空気でさえ、それには、まだ、届いていない。

 例え、声が届かなくても――目の前の現実が、今は、そう告げている。



 森の中心に近い場所。

 そこで、空間が、わずかに歪んでいた。

 石碑のようでもあり、風と光が、形を借りているようでもある。


「……何か、見える?」


 問いかけに、私は一瞬、言葉に詰まる。

 そこに、文字が浮かんでいた。


 読めない。

 意味も、音も、掴めない。

 それなのに――。


「……知っている気がする」


 どこで。

 いつ。

 分からない。


「もっと……前……。光の精霊の……記録……」


 フィリエルの声は、遠い。


 文字のひとつが、一瞬だけ、揺らいだ。

 置き換わりかけて、戻る。

 今は、まだ、ここまで。


 風が、逆に吹いた。

 羽のようにふわっとした、ひとひらの気配。

 見えたかどうか、誰にも分からない。


「今の……? 気のせい、かな」


 確信はない。

 フィリエルだけが、そっと手を伸ばす。


「……森が……聴いた……」


 応えた、とは言わない。

 聴いた――それだけ。


 森の向こうが、わずかに明るい。

 丘へ続く縁が、遠くに伸びている。


 道は開けている。

 でも、その影はまだ遠い。


 ここでは、冷えたものが、すぐには温まらない。

 けれど、風が、理が、古い神聖さが、その存在を、否定しない。


 

 森の奥へ進むにつれ、景色が少しずつ変わった。


 木々の間隔が、ほんの少しずつ、広がっていく。

 気付けば、視界の上に、切れ目が生まれていた。

 枝と枝のあいだから、淡い光が差し込む。


 ――月だ。


 雲に隠れきらない、冷えた白。

 谷で見上げたそれとは違い、ここでは存在を保ったまま、静かに浮かんでいる。


「……月が、出てる」


 ニアの声は、(タカブ)っていた。


 空を覆う大樹の枝葉の影が届かなくなる場所。

 魔力の流れが遮られないこの場所に夜の帳が降りていた。


「ずっと……見えなかったからね」

「大樹と森が、覆っていた……」


 フィリエルの言葉に、誰も返さない。


 ただ、その光を見上げていた。

 月は、照らしているわけでも、導いているわけでもない。


 それでも――。

 何も変わらない。

 だけど、視界が、ほんの少し、先まで届くようになった気がした。


 私は、丘を見上げて手を伸ばした。

 森が、私たちを静かに通す、その先へ――。


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小雪舞う静かな夜や揺れた儚さなど、文字だけでは伝わりにくい幻想的な空気を感じていただけましたら嬉しいです。

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