表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第三部 リエージュ編 - 第ニ章 夜の底で浮かぶ風

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

88/93

第七十五話 記と導きの境界

 朝の空は、やけに高かった。

 いつもなら霧で薄っすらしか視界がない街。

 それが今日は、遠くまで続いている。 


 それでもブッシュドノエルの街路は、いつもと変わらない。

 同じ建物が並び、同じ水路が静かに流れている。


 音も、気配も、いつもと同じ。

 違うのは、いつもより街全体が一歩引いた位置にあるように感じること。


 規則正しく刻まれている街のリズムがどこかぎこちない。

 それなのに、むしろ世界はひどく整って見える。


 踏み出すたびに一拍遅れて伝わる地面の感覚。

 この違和感に、足元だけが妙に落ち着かない。

 目に見えないのに伝わる気配。

 その事実が一番不安だった。


 霧がない空気は、思っていたよりも軽い。

 街を吹き抜ける風はただ冷たく澄んでいる。

 ただ、そこに混じるわずかな “ 重さ ” が不穏の影をちらつかせていた。



「……今日は、軽い日だね」


 誰かがそう言った。

 それだけで、この景色は受け入れられてしまいそう――。


 洗濯物を干す人。

 露店の準備をする人。

 いつもより足取りの速い朝。

 誰も、不思議だとは思っていない。


 足元に視線を落とすと、石畳の隙間を流れる水があった。

 霧がなくても、清らかな水は変わらずここにある。


 伝承に語られる、大樹の根元から湧く清水。

 万病を癒すとされるその恵みは、魔力の循環の流れと共にこの地に確かに根付いている。


「……静かすぎだな」


 ニアが、ぽつりと呟く。

 その不安混じりの声が、やけに心をざわつかせる。


 音が消えたわけでも、人影が絶えたわけでもない。

 それなのに、街全体が息を潜めているように感じられる。


「……ニア?」


 私が呼びかけると、彼女は少し遅れて顔を上げた。


「ううん。平気……。でもな……」

「ニアの感覚が珍しく私に近付いた気がする。ララちゃん、私も……」


 私が感じていた違和感。

 二人も気付いていたみたい――。


 言葉を探すように、ニアとお姉ちゃんの視線が街の奥へ向く。

 霧があれば、意識に引っかからなかったはずの場所。


 大樹の根元。

 街の外れ。

 境と呼ばれていたはずの方向。


「あそこ……前から、見えてたか?」


 ニアの言葉にお姉ちゃんも小さく頷いている。

 それでも、その意味を言葉にできる者はいなかった。


 クラウディアも何も言わず、ただ空を見上げていた。

 透明な光の中で、その横顔だけが静かに影を落としている。


「霧はね、なくなったわけじゃない」


 そう独り言のように零したクラウディアが続ける。


「今は、空から水が降りていないだけ」


 それ以上は語られなかった。

 でも私は、なぜか思ってしまった。

 今日見えているものは、本来見せられる予定のなかったものなんだと。


 霧は、ただ見えないだけ。

 水も魔力も、消えていない。

 今もこの街を巡っている。


「循環は続いているわ。ただ……」


 クラウディアの声は低く、落ち着いている。

 その一言に、空気が微かに揺れた。


「ただ?」


「フィリエルも言っていたでしょ? 街を巡る流れの、いちばん外側で……ほんの小さな揺れが出ているって」


「外側……?」


「ええ。街を守ってきた仕組みの “ 内側 ” ではない場所」


 クラウディアは足元の水溜まりを見つめる。

 そこに映る空は綺麗で、どこか深い。


「あの方向……。だから、外来者に厳しいってフィリエルが……」


「そうよ。まだ、異常とまでは言えないけれど……見過ごしていい兆しでもないわ」


 “ 記すべき揺れ ” と、“ 導くべき兆し ” の境界を、彼女は誰よりも知っている。

 だから、クラウディアはそれ以上踏み込まなかったのだ。



 胸の奥で、微かな引きが生まれた。

 理由は分からない。


 それでも――。

 街が、ほんの少しだけ “ ずれて ” 見えた。

 霧は、晴れていた。


 偶然だとは、思えなかった。



 まだ名を持たないそれが、街の中に、確かに口を開けている。


 その場で言葉を発した者はいなかった。

 言葉にすれば、この一瞬が確定してしまう気がしたから。


 霧が戻れば、きっと見えなくなる。

 でも、触れた事実だけは消えない。

 それを知ってしまった沈黙の中で静かに思う。


 ――もう、ここはただの街じゃない。

 私はそう感じながら、天冥の樹から目を離せずにいた。


 でも――。

 この“ずれ”のどこかで、静かに応えている存在がいる。

 それはまだ、私の中で定まらないままだった。


 月の理が示す、とても古い “ 流れ ” 。

 ――それに、触れてしまったような気がしていた。


 この違和感は、何かの始まりなのだと思う。

 影の向こうに、道が続いている気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


作品にふれていただき、ありがとうございます。

第一話の世界観を映像で切り取ったPVを公開しました。

小雪舞う静かな夜や揺れた儚さなど、文字だけでは伝わりにくい幻想的な空気を感じていただけましたら嬉しいです。

動きと音楽を通して、ラクラスの世界を少しでも追体験していただけます。

Xの夢幻の少女ラクラスPVのポストからご覧ください。

作品に興味を持っていただけましたら、「ブックマーク」や「ご感想」にて応援いただけますと幸いです。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ