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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第二部 番外編 - 青色の宝石と海色の秘密
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第八話 肩越しの視線

 ミスティアは目を伏せたまま、指先で握った壁の冷たさを確かめるようにしていた。

 胸の奥で、長年隠してきた孤独と恐怖がざわめき、アリヴィアの言葉がその隙間にじわりと浸透する。


「……アリヴィエール……」


 小さく呟く声に、これまでの誇り高さや緊張が混じった感情が溶ける。

 涙がわずかに光るも、彼女は目を閉じたまま、ひと呼吸置く。


 アリヴィアはそっと手を伸ばし、ミスティアの肩に触れない距離で立つ。


「怖くて当たり前よ。守ろうとしているものが大きいほど、心は揺れるもの」


 ミスティアは息を整えながら、少しずつ視線を上げる。


 青い瞳に、恐れだけでなく、ほんのわずかな『信頼』と、受け入れられる『期待』が灯る。


「……守るって……怖い……でも……やめるわけにはいかない……」


 言葉は途切れ途切れだが、吐き出すことで重さが少しずつ減っていくようだった。


 アリヴィアは柔らかく微笑み、静かに頷く。


「それでいいのよ。恐れても、弱くても、守ろうとするあなた自身が強いの」


 ミスティアは肩の力を抜き、初めて少しだけ背筋を伸ばす。

 心の奥にあった緊張が解け、冷たかった瞳が光を帯びる。


「……ありがとう……」


 言葉は小さい。

 それでも、偽りのない心から零れたものだった。


 闇と光――その間に立つ二人の距離は、言葉の刃で削がれるのではなく、互いの存在を確かめ合う温かさに変わった。


 アリヴィアの心理的な一撃は、ミスティアの心に小さな亀裂を生むのではなく、そこに光を差し込み、新しい『絆の芽』を育てたのだった。



 ミスティアはしばらく黙ったまま、視線を床に落としていた。

 しかし、その沈黙は逃げではなく、心の整理の時間だった。


「……あのね、アリヴィエール」


 やっと声を絞り出す。震える声の奥には、恐怖だけでなく、誇りと覚悟が隠されている。


「私……守ることをやめられない。怖くても、家族のために、この国のために――それだけは、譲れない」


 アリヴィアはじっと彼女を見つめ、微かに笑った。


「それでいいのよ。恐れても、揺らいでも、守ろうとするその心が、あなたを強くする」


 ミスティアは小さく息をつき、青い瞳に光を宿す。


「……でも、外から来たあなたには、私の何がわかるっていうの?」


 問いは()()()で、少しの抵抗も混じる。

 アリヴィアは肩の力を抜き、静かに答えた。


「私には……あなたの全てはわからない。だけど、失ったものを知っているからこそ、守ろうとする心がどれほど重いかは、少しだけ、理解できる」


 その言葉に、ミスティアの瞳が一瞬揺れた。

 感情の壁が少しずつ溶けていく。


「……それなら、少しだけ、信じてもいいのかもしれない」


 アリヴィアは頷き、優しく視線を返す。


「うん。少しでいいのよ。焦らなくていい」


 二人の間に、言葉を超えた沈黙が訪れる。

 鉱山の冷たい闇と城の温かな光の間で、互いの想いが確かに触れ合った瞬間だった。

 互いの心に残る小さなヒビは、もはや裂け目ではなく、新しい絆の始まりを告げる光のように見えた。


 アリヴィアは、ミスティアの肩越しにそっと視線を送った。


「あなたは……守るもののために頑張ってきた。でも、だからって、全てを抱え込む必要なんてないの」


 その言葉に、ミスティアの体が一瞬硬直する。

 青い瞳が揺れ、唇がかすかに震えた。


「……何を……」

「ねえ、思い出して。守るために生きる人は、守られることも許されるの。自分の痛みや迷いを、誰かに預けてもいいの」


 柔らかいアリヴィアの声がミスティアの心の最も深い場所に届く。

 長い沈黙の後、ミスティアは目を伏せた。

 肩の緊張がわずかに緩み、指先の震えが止まる。


(……守るものだけじゃない。私自身も、誰かに頼っていい……?)


 アリヴィアは静かに微笑みを返す。


「そうよ。あなたが抱えているものは、誰かと分け合うためにあるんだから」


 その瞬間、二人の間の心理的な壁が、決定的にひとつ崩れ落ちる。


 ミスティアは初めて、外から来た子どもに見透かされても抗わず、ただ静かに、自分の中の小さな痛みと向き合った。


 ミスティアの青い瞳が、ゆっくりと柔らかさを帯びる。

 硬く閉ざされていた肩の力が、わずかに抜けるのがわかる。

 視線は床に落ちたままだが、指先は震えず、握りしめた拳も少しだけ緩んでいた。


「……アリヴィエール……」


 その声は微かに震えていた。

 言葉にできなかった戸惑い、恐れ、そして少しの安堵が混ざり合っている。


 アリヴィアは肩越しに優しく微笑み、静かに歩を進める。


「無理に強がらなくてもいいのよ。()()()()()()()は、弱さじゃない」


 ミスティアは、息を一つ吐きながら視線を上げ、アリヴィアの顔を見つめる。


 瞳の奥に、ほんの少しだけ、守るべきものへの誇りと、自分の痛みを受け入れた安堵が揺れる。

 その瞬間、二人の間に新たな静寂が生まれる。


 冷たく硬かった城の空気が、わずかに温みを帯びたかのように感じられる。


 沈黙の中で、互いに互いを理解するかのような、言葉にできない絆が芽生えた。


 ミスティアの小さな変化は、これから先の行動にも微かな余地を生む。


 かたく閉ざされていた心の扉の一枚が、静かに、しかし確実に開きかけていた。

次回、明日10/4(土) 20時10分に更新予定です。

9/30(火)より、10/4(土)まで5日間、連夜20時10分と22時10分に1日2話更新いたします。


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