第七話 海色にほどけた青の色
アリヴィアは微かに首を傾げ、静かに言葉を紡ぐ。
「ねえ、ミスティア――本当に守るべきものがあるから強いのかしら?」
その声は柔らかだった。それなのに、芯には鋭い刃のような力を秘めていた。
ミスティアはぎくりと肩を震わせ、瞳の奥に一瞬、迷いの影を走らせる。
「……な、何を……?」
声を荒げながらも、胸の奥で小さな波紋が広がる。
家族と国を守る自分の誇り――それは確かに強さの源だった。
しかし同時に、恐怖や孤独を隠すための鎧でもあったことを、アリヴィアの言葉はあぶり出した。
アリヴィアが一歩近付き、海色の瞳でじっと見つめる。
「大切なものを失くすのが怖いから。孤独に負けたくないから――だから強くなれるの。必死に抗うから、そこに本当の強さが生まれるの。だから、ただ守るものがあるだけなら、その強さは偽物。ねぇ……そうでしょう――ミスティア?」
言葉は柔らかいのに、その重みはミスティアの胸を鋭く突く。
「……っ……そ、そんな……」
言葉がつまり、唇がわずかに震える。
その様子に冷たい視線を向けていたアリヴィアが、容赦のない言葉を重ねる。
「それでも、あなたは泣けない。弱さを認められない。だから、私はあなたの強さの裏にある孤独に、触れられる――それが怖くて、認めたくないのね」
その声は深い海の底のように静かで、怖さを秘めていた。
ミスティアの手がぎゅっと握り拳になり、足がわずかに震える。
胸の奥に押し込めてきた感情――恐怖、寂しさ、誰にも見せられない弱さ――それが今、アリヴィアの言葉によって、一気に露わになる。
「……あ、あなた……!」
叫びそうになるが、声は抑えられ、瞳からわずかに涙が滲む。
「……わたしは……わたしは……!」
強さを盾に必死で隠してきた感情が、ついに決壊しそうになる。
アリヴィアは微笑むでもなく、ただ冷ややかに見つめる。
「ほら、出てきた。あなたが守るものの裏に隠してきたもの――弱さも、痛みも、孤独も、全部」
その言葉は、言葉以上に重く、刃以上に鋭く、ミスティアの心に深く突き刺さった。
城内の静寂の中で、二人の間に張り詰めた空気が、ついに微かな震えを帯びる。
ミスティアは息をつめ、唇を噛みしめ、何も言えずに立ち尽くす。
アリヴィアの『決定的な心理の一撃』――それは、単なる挑発でも煽りでもなく、心の最奥に光を射す鋭い矢だった。
ミスティアは息をつめ、瞳をぎゅっと細めた。
胸の奥で揺れる感情――恐怖、寂しさ、認めたくない弱さ――そのすべてを、必死で押し込める。
「……ち、違う……わたしは……!」
声が震え、言葉が途切れる。
しかし、必死に言い切ろうとするその力に、意地と誇りが混ざっていた。
アリヴィアの視線を受けても、ミスティアの肩はわずかにこわばるものの、足は踏みとどまる。
「わたしは、わたしは守る者――弱さなんて、認めない!」
その言葉には、崩れそうな心を必死に押さえつける力がある。
アリヴィアは微かに眉を上げ、冷ややかに笑みを浮かべる。
「そう……頑張って隠しているのね。でも、隠せたからといって消えるわけじゃない」
ミスティアは視線を逸らし、指先をぎゅっと握りしめる。
胸の奥で熱を帯びた痛みが渦巻くのを感じながら、必死で声を震わせて答える。
「……それでも……守る者は、守る者なんだから!」
アリヴィアは一歩距離を詰め、静かに低い声で告げる。
「それを自覚しているからこそ、恐怖も痛みも、心の奥に閉じ込めるのね。強さの裏には、必ず孤独がある――それを無理に否定しなくてもいい」
ミスティアの体が微かに揺れる。
声には力強さがあるものの、瞳の奥にわずかに漏れる影――隠そうとしても隠しきれない感情――が、アリヴィアの言葉の刃に触れた。
「……わたしは、負けない……!」
抵抗し、心を保とうとする声は、決意と恐怖が入り混じり、まるで氷の上で踏みとどまるかのように震える。
それでもアリヴィアの視線の鋭さは、その内側の揺らぎを絶対に見逃さない。
深い沈黙が二人を包む。
城内の静けさが、互いの呼吸と心の奥の動揺を際立たせる。
ミスティアは抵抗しながらも、その瞳の奥には少しずつ、認めざるを得ない感情の兆しが差し込んでいた――自分の弱さ、そして孤独を見せたくないという心の真実。
ミスティアの声が震えるのを、アリヴィアは逃さない。
肩の緊張、指先の震え、視線の揺らぎ――小さな綻びが、彼女の心の奥深くまで届いている。
「……必死に隠すほど、見透かされてしまうのに」
アリヴィアの声は低く、静かだが、胸を抉るように響く。
「あなたが守ろうと必死になっているものも、抱えている孤独も、逃げても隠しても、ここにいるだけで全て見えてしまう」
ミスティアはぎゅっと目を閉じる。
胸の奥で、認めたくなかった感情がざわめく――恐怖、孤独、そして、誰にも言えない弱さ。
「……うっ……そんな……!」
言葉を振り絞るが、抗おうとする力が少しずつ薄れていくのを感じる。
アリヴィアが距離をつめる。そして、突き刺すように鋭い言葉をさらに重ねていく。
「強くあろうとしても、守る者であろうとしても、あなたはまだ子どもよ。守るべきものがあっても、心は傷付く。それを恐れているでしょう?」
ミスティアの瞳に、微かな光の揺れが生まれる。
唇は震え、視線は下に逸れる。
「……そ、そんなこと……認められない……!」
アリヴィアはその抵抗を、冷ややかに、しかし確かに受け止める。
「認めなくてもいい。でも、逃げても消えない。逃げる先がどこにあろうと、孤独はついてくる。それを自覚するかどうかで、あなたの強さの意味は変わる」
その瞬間、ミスティアの心の中で、氷のように固く閉ざしていた扉が小さく軋む音を立てた。
震える唇の奥に、わずかな吐息が漏れる。
「……わ、わたし……」
言葉は途切れ、彼女は一歩後ずさる。
胸の奥の痛みが、逃げようにも逃げられない現実として迫ってくる――アリヴィアの静かな声が、確実にその壁を揺らしていた。
深い沈黙の中、アリヴィアの瞳が鋭く、冷静に、しかし柔らかく光る。
「いいのよ。恐れる必要なんてない。認めたくない弱さを抱えていても、それでも強くあろうとするあなたが、今ここにいる。それだけで十分よ」
ミスティアは息を整えようとするが、胸の奥でくすぶる感情が、彼女の意識を引き裂く。
アリヴィアの言葉は、単なる慰めではなく、揺らぎと認識を同時に突きつける、心理的な一撃だった――。
否応なく、心の奥底の影が、少しずつ浮き彫りになる。
ミスティアは目を伏せ、肩を震わせる。
胸の奥に、長く押し込めてきた感情がじわじわと押し寄せる。
恐怖、孤独、誰にも見せられなかった弱さ――それらが、アリヴィアの言葉で引きずり出されるように疼く。
「……アリヴィエール……」
声はかすれ、震える。
言葉につまり、息を整えようとしても、胸の奥の痛みがそれを許さない。
アリヴィアが一歩近付き、視線を逸らさずに言った。
「隠しても意味はないのよ。誰かに守られることを恐れてもいい。でも、その恐れを抱えている自分から逃げてはだめ」
ミスティアは唇を噛み、指先で壁を握り締める。
目に浮かぶ涙を必死で抑えながらも、その瞳には微かな光が戻りつつあった。
「……わたし……守るって言ったくせに……弱くて……」
小さな声が、心の奥の壁を少しずつ崩していく。
アリヴィアはその隙間に静かに言葉を差し込む。
「強さは、弱さを認められることから生まれるの。抱えた孤独や恐怖を否定しなくても、あなたは十分立派に守っている」
ミスティアの瞳が揺れ、唇が震え、ついに視線を上げる。
初めて、彼女はアリヴィアの目をまっすぐに見た――恐れと痛みを隠すのをやめた、ほんの一瞬の開放。
「……分かった……。わたし……怖かった……」
吐き出された言葉は震えていた。しかし、同時に、長く閉ざしていた心の扉がゆっくりと開き始めた証でもあった。
アリヴィアは小さく頷き、穏やかに微笑む。
「いいのよ。それでいいの。恐れる自分も、守ろうとする自分も、全部そのままのあなたでいい」
鉱山の冷たい闇と城の温かな光――その境界に立つ二人の距離は、言葉で切り裂かれることはなく、むしろ互いの心の奥深くに届いた。
ミスティアの胸の奥に、初めて触れられた “ 受け止められる感覚 ” が芽生える。
深い沈黙が、今度は柔らかく、確かなものとして二人の間に落ちた。
アリヴィアの心理的な一撃は、決定的な形で、ミスティアの心に小さな亀裂ではなく、新しい光の通り道を作ったのだった。