第五話 裂かれた誇りと痛み
……あなたこそ、外の子どもぶって――自分の痛みを盾に、人を試すなんて卑怯!」
ミスティアの声は鋭く、微かに震えながらも、堂々とした誇りを含んでいる。
瞳の奥に、強い決意がちらつく。
「卑怯……? ふふ、そう聞こえるなら仕方ないわ。でも……試してなんかいないわ。あなたが『隠した弱さ』を抉るための言葉を選んでいるだけ。逃げ場なんて、最初から与えるつもりはないの」
アリヴィアは微笑む。
しかし、その瞳には氷のような冷たさが宿る。
「……そんなやり方で……あなたにとやかく言われる覚えはない。守るべきものを失った哀れな子が、何を偉そうに……」
ミスティアの声は震え、瞳の奥で一瞬だけ恐れが揺れた。
言葉の向こう側にある、冷静で確実に心を突く力を、無意識に感じ取ってしまったのだ。
だが彼女はすぐに視線を背け、強がりを取り繕う。
「哀れ……? そうかもしれない。でもね、失ったからこそ、私には痛みがわかる。守れなかった痛みも、守ろうとする誇りも」
低くて重たいアリヴィアの声。
だからこそ、確実に相手の胸を打つ。
「……痛みがわかるからって、他人を突き動かす理由にはならない!」
ミスティアは肩を震わせ、視線を逸らす。
それでも、指先の緊張やわずかな呼吸の乱れは隠せない。
「あなたは、他人の弱さを見て、楽しんでいる……」
「楽しんで……? 違うわ。ただ、見過ごせないの。あなたの心に潜む怯えや弱さを、あなた自身が気付かずに閉じ込めてしまう前に、静かに指し示しているだけ」
アリヴィアがミスティアに一歩近付く。
距離を縮めるその動きだけで、心理的な圧が増す。
「……だから、あなたの目は冷たいのね。わたしの心を計り、わたしを試すために」
ミスティアの吐き捨てるような言葉に、怒りと悲しみが混じる。
しかし背中の緊張が、わずかに解けた。
アリヴィアの言葉が、無意識に心に触れた証拠だ。
「試すんじゃない。問いかけているのよ。あなた自身に。あなたは本当に守れるのか、誇りを盾に、痛みを抱えたまま立ち向かえるのか――」
アリヴィアの声は穏やかで冷たく、言葉は鋭い。
ミスティアの瞳が揺れ、唇がわずかに震える。
城内の静寂が二人を包む。
言葉は一撃の短剣のように、静かに、確実に心の隙間を突き、少しずつ裂け目を生む。
「……あなたに、わたしの心を計らせるつもりはない」
ミスティアの声は少し震えていたが、瞳は真っ直ぐアリヴィアを捉えている。
「わたしは、この国と家族を守る。それが、わたしの誇りだから――あなたにどう思われようと関係ない」
アリヴィアは微笑みながら、視線を外す。
「誇り……そう、立派ね。でも、それだけで守れるものは限られている。時には、『痛み』や『喪失』を抱きしめる覚悟も必要なのよ」
ミスティアの肩が微かに揺れる。
怒りか、戸惑いか、それとも悔しさか。
「……痛みを抱きしめる覚悟? わたしだって、失うことは怖い。けれど、それでも守らなければならないものがあるの」
その言葉に、アリヴィアの瞳が鋭く光る。
「怖い……それでも立つ。そういう覚悟、私も知っているわ。だからこそ、あなたの心に触れたくなる――あなたが抱えているもの、逃げずに見せなさい」
アリヴィアの声には冷たさと優しさが混ざる。
ミスティアの胸に、小さな揺らぎが生まれる。
「……見せなさい、って? そんなこと、簡単にできるわけがない」
ミスティアは強がりを口にするが、指先の震えや目の光の揺れは、隠せない真実を語っていた。
「でも……あなたの言う通りかもしれない。守る者として、わたしは弱さを認めたくないだけで――」
アリヴィアはさらに一歩近付く。
「認めることも、立派な力よ。隠すだけじゃ、心は疲れ果てる。だから、私はあなたに問いかけている」
ミスティアは息を整え、瞳を細める。
その奥に、怒り、誇り、そして痛みが渦巻く。
「……わかったわ、アリヴィエール。わたしは、わたしの誇りで、この国を、家族を守る。そして、怖くても立ち向かう。だから……あなたの覚悟も見せなさい」
二人の間に、互いの決意が静かに交錯する。
言葉は戦いであり、理解の糸でもある。
冷たい城の空気の中で、心理の火花が小さく散り、やがて柔らかな共鳴へと変わろうとしていた。
「……覚悟?」
アリヴィアの微かな嘲笑が混じった声に、ミスティアの眉がわずかに歪む。
「あなたに言われる筋合いはないわ。あなたには、守るものがない――だから、わたしの恐怖も、痛みも、計り知れないのね」
アリヴィアは視線を落とし、淡々と答える。
「守るものがない……そうね。全部奪われたから。だからこそ、怖さも痛みも、抱きしめることができる。あなたのように守る者だけが得られる温かさは知らないけれど――その分、私は自由よ」
「自由……?」
ミスティアの声に、怒りと困惑が混じる。
「守る者が自由を知らないとでも……? それが何になるの? 守るという責任を背負うことの意味を、あなたに理解できると思っているの?」
アリヴィアはゆっくりと顔を上げる。
「理解……できるわ。だけど、守ることに縛られた心は、時に自分自身を縛るものにもなる。あなたは家族を守るために、誰よりも強くあろうとしている。けれど、その覚悟には逃げ場がなく、時に孤独で痛々しい」
ミスティアの肩がわずかに震える。
「孤独……! だから何? 守る者に、痛みや孤独はつきものよ。それが覚悟でしょ!」
アリヴィアの目に、冷たい光が宿る。
「覚悟……ね。立派よ。でも、その覚悟の影に隠れて、本当の弱さや恐怖を見せないようにしている。それは……逃げているのと同じ」
ミスティアは顔を歪め、声を震わせる。
「逃げてなんかいない! わたしは……わたしは――」
言葉が止まり、唇が震える。
目を逸らすその姿に、アリヴィアは静かに笑みを浮かべる。
「そう……言えないのね。触れられたくない、本当の心がそこにある」
アリヴィアの指先が空気を掠めるように小さく動く――まるで、見えない裂け目をなぞるように。
「でも、その心の痛みも、弱さも、全部抱えて初めて――あなたは守る者として、ほんの少しだけ私に近付けるの」
ミスティアは息を詰め、胸の奥の痛みと誇りが交錯する。
「……そうね、少しだけ……かもしれない」
視線が揺れていた。
しかし心は決して折れはしない。
冷たく研ぎ澄まされた誇りが、痛みと混ざり合い、氷の煌めきのように鋭く光る。
二人の間に、言葉と沈黙が交互に落ち、互いの心の裂け目を広げては埋める。
城内の空気がひそやかに震え、凍てつく緊張と静かに燃える意志が交錯する。
心理の火花はまだ鎮まらず、次なる衝突を予感させていた。