第一話 才女と魔導の絆(完)
それは、悲しみと、切なさと、儚さが溶け合った物語。
才女と魔導の絆が静かに紡がれていく――ほんのりと優しく、甘い余韻が残るお話。
建物と建物の隙間にある細い路地。
シトシトと降り続く雨は、幼い少女の肩を濡らし、心の奥に積もった孤独をそっと洗い流していくようだった。
年端もいかない少女が、大人たちと同じ土俵に立つのは無謀そのもの。
それでも彼女は、ルナリアで “ 天才少女 ” と呼ばれはじめていた。
けれど、その呼び名は祝福ではなかった。
富や権威を巡る大人たちの世界に、幼さゆえの無力さを突きつけられる日々。
研究室で論を交わすたびに、大人たちの冷笑や嘲りが、幼い胸を容赦なく突き刺してくる。
彼女の名は――ストロー。
記憶の原理を追い続ける少女だった。
「……また泣いていたのですか?」
背後から聞こえた優しくて安心する声。
傘を差し、柔らかな微笑みを浮かべる少女が立っていた。
胸元のブローチに赤い宝石を宿す、小柄なメイド服姿の女の子。
栗色の髪を短く切りそろえ、ゴシックのカチューシャを揺らしている。
彼女の名は、ベリー。
ストローにとって、唯一涙を隠さず見せられる存在だった。
「……うん」
「仕方のないことです。不都合なことであるほど大人たちは子供の声に耳を貸そうとはしませんから」
ベリーは傘をそっと傾けて、濡れたストローの肩を守る。
その仕草に、冷え切った心が少しだけ和らいだ。
「でも……私は、いつかきっと見返すから」
「ストローならできます」
ベリーは微笑み、差し出したカップを手渡す。
雨に包まれた路地裏に、ふわりと温かな香りが広がった。
「……紅茶」
「ストローの大好きな蜂蜜とミルクたっぷりのものです」
ストローが口に含むと、ほんのりとした苦味の奥に、優しい甘さが広がる。
「ありがとう、ベリー」
「紅茶って、今のストローみたいです。子供のように純粋で、それでいて、大人に向かおうとする強さを秘めていて……」
小さな胸にしみ渡る温もり。
雨に打たれて冷えた身体と心を、ひと匙の紅茶が優しく包んでいく。
それは、まるで――。
ストローとベリーが出会ったのは、彼女がブルー博士の養子になった日。
ふたりがはじめて出会ったその時から、ベリーはストローの孤独を静かに受け止めてくれた。
かつて学者だった彼女の両親は権力争いに敗れ、国家に背いた者としてその生涯を閉じた。
遺された願いはただひとつ――幼い娘の未来を託すこと。
ストローの両親の親友であったブルー博士は、娘を引き取り、母として深い愛情を注いで育てた。
その背中には、失った家族への静かな哀しみと、幼い娘への強い想いが混ざり合っていた。
そのブルー博士もまた、夫とひとり娘を事故で失った不幸の人だった。
優しすぎた彼女には現実を受け入れることができなかった。そして、小さな娘への強い執念が、記憶の研究へと彼女を誘なった。
やがてブルー博士は、文献の奥に記された『焔炎紅石が記憶を宿す』という言葉を見付ける。
そこから先は、誰も足を踏み入れぬ領域。
その果てに生まれたのが、ベリーだった。
胸の赤い宝石に祈りと記憶を宿した、魔導人形。
そこに込められているものが、どれほどの代償を背負っていたのか。
幼いストローはまだ知らなかった。
ただ、師の背中を見て育ち、ベリーと笑い合いながら日々をすごしていた。
ベリーの胸元に宿る赤い宝石は、焔炎紅石に刻まれた幸福の記録。
優しい家族たちと心を交わして成長するストローは、やがて、ベリーがブルー博士の大切な家族の想い出から産まれた存在であることを知る。
自身の生い立ちを理解していくなか、師の研究が同じような境遇の人々の心に光を灯すと憧憬の念を抱き、自然と同じ道を歩み始めた。
だからこそ、ブルー博士は、その小さな背がいつか、残酷な真実に辿り着くことを知っていながらストローを止めることができなかった。
注がれた愛情が憧憬を生み、憧憬が幸福の残像を重ねてしまったから。
それから――。
笑った日も、涙を隠した日も、穏やかな午後も。
そのすべての記憶が、ストローの歩みを優しく押し出していった。
ストローの成長と共に、世界も少しずつ変わっていった。
雨に濡れていた孤独な心も、やわらかな傘で守られながらやがて幸せであふれていた。
今日も静かな雨が、ルナリアの白い街並みに降り注ぐ。
硝子の窓を叩く雫の音が、研究室の奥まで澄み渡る。
まだ少女の面影を残すストローは、机に置かれた湯気の立つ紅茶を見付めていた。
その香りは、ほんのりとした甘みの奥にかすかな苦みを含んでいる。
幼さの残る心には少し背伸びした味――それが、彼女の日々をそっと映し出していた。
カップの向こうには、淡く微笑むベリー。
雨音と湯気が二人を包み込み、温かな記憶のようにその光景を閉じ込めていく。
この小さな日々が確かに、その未来へと続いていた。
雨あがりの夜。
街を包む空に、赤い月が微笑んでいた。
その下で並んで歩くふたつの影。
孤独を抱えていた才女と、幸せを宿した魔導人形。
ふたつの影が重なり、雨に濡れた道の上に揺れていた。
――それは、決して永遠ではない儚い日常。
けれど、確かに甘くて温かな記憶だった。
ストロー博士とベリー助手の出会いと絆の物語。
一話完結の短いお話。心の在処を描いた番外編はいかがでしたでしょうか。
甘くて苦い子供にはちょっとだけ背伸びした大人の味。
紅茶のような後味が残る物語がお届けできたのなら幸いです。
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