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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第二部 ティラミス編 - 第六章 風音に薫る雷花
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第六十二話 ティラミスに降る静かな灯

 霧のように細かな雨が、ティラミスの高層路に降っていた。

 それは空の雲ではなく、塔の冷却装置から吐き出された蒸気が、粒子となって舞い落ちるもの。

 風に紛れて広がったその霧は、魔導列車の昇降台や金属の欄干にうっすらと膜を貼り、夜の街の輪郭を霞ませていた。


 私は、最上段にある古い展望台の縁に膝を抱えて座り、灰色の街を見下ろしていた。

 その下では、ニアが雷素導管の接合部に顔を近づけている。


「……これ、多分、真氷蒼石の変質だな」


 ニアの声が濡れた金属のように響いた。


「流れているのは雷だと思う……」

「ララもそう思うか? ただの魔力では、こんな共鳴は起きないからな」

「……精霊核に干渉した影響……かもしれないね」


 私の言葉に、ニアは短く「ああ」と頷いた。

 冷たい空白のなか、名もない祈りが揺れていた。

 息をひとつ、吐くたびに心が濡れていく。


 真氷蒼石を媒介にした干渉は、確かに記憶の底に届いていた。

 その先にあったのは、名も持たない、深い沈黙の感情――。

 意味も名も持たないまま封じられた、孤独の奥。

 そこにいたのは、独りきりの少年――名前も知らない誰か……。


 リアンは、まだ戻ってこない。

 今も、研究所の属性管制室にある台の上で静かに眠り続けている。


「なぁ、ララ」


 ニアが、空気の匂いを嗅ぐように顔を上げる。


「……どうしたの?」

「リアンが目を覚まさなかったら、って考えたらさ……。あたし、一体どうすりゃいいんだろって」


 言葉に迷いが揺れていた。

 私は、ニアの問いにすぐには答えられなかった。


 覚悟がないわけじゃない。

 ただ、信じているから。あの子が、きっと戻ってくると。

 だから私は、そっと目を閉じた。


 ――風が吹いた。

 塔の刻印の隙間を縫って滑り込んだ風が、私の髪をそっと揺らす。

 湿った風の匂いが、古い記憶を連れてきた。

 あの日、アリヴィアと歩いた山の道。

 曇った空に稲光が走って、彼女がぎゅっと私の手を握った、あの時の感覚。

(――アリヴィア)


 私達は、彼女の声に応えてここまで来た。

 リアンの記憶を辿り、あの子の欠けた空白を取り戻すために。

 けれど肝心の彼女は、今この街にはいない。

 何も言わずに「頼むね」とだけ言い残して、一人でどこかへ向かった。


「…………なんなんだよ、これ。あたしの精霊核、ちょっと変だ」


 ニアが肩をすくめ、小さく息を吐く。

 苛立ちと困惑が交じった声音が、蒸気に曇る展望台に広がっていく。


「干渉したとき、変なノイズを拾った。多分、あの “ 赤い光 ” のせいだな」


 赤い光――リュミエールの記憶を封じた石と同じ、危うい輝き。

 博士は、あれを『第三の記憶媒体』と呼んでいた。

 瘴気のように感情を侵食する “ 記録 ” の器。


「……穢れ、みたいなものだよね」


 私が言うと、ニアは首を振り、ぎゅっと拳を握った。


「あれは、リアンの記憶じゃなかった。誰かの怒りとか、悲しみとか……そういうのが、混じってる」


 誰のものかは、まだ分からない。

 けれど、恐らくそれが――次の導き。

 その時、通信機が微かに震えた。


『解析は、一時中断するぞ! 今から研究室へ来て欲しい』


 ストロー博士のぶっきらぼうな声が届く。

 博士は通話機を持っていないので、お姉ちゃんの通信機を借りたのだろう。

 その口調の奥。どこか優しい響きがあったのは、研究室にいるお姉ちゃんの影響があったのかもしれない。


「……行こう」

「ああ」


 二人並んで塔を下る。


 階段の隙間から、街の光が零れていた。

 人工の雲が浮かび、魔導灯が水脈のように連なり、音楽の旋律が風に乗って流れてくる。


 雷と知の都市、ティラミス。

 科学が天を求め、魔法が地を測る矛盾と調和の狭間に揺れる街。

 ――魔法が科学に姿を変えた場所。

 この街の空には、答えはなかった。


「リエージュ、行くんだよな」

「うん……。聖なる大樹、『天冥の樹』の伝承が本当ならニアの穢れも浄化できるかもしれない……」


 北の聖域――天冥の樹の伝承。

 その根に湧く清水は、命と魂を癒すという。

 その聖なる力を魔術と融合させた魔法研究を行っているとも噂される――。

 行ってみる価値は十分にある。


「でもさ、あたし……アリヴィアにちゃんと聞きたいんだ」

「え……?」

「あの子は、どうして一人でどこかに行ったのか。なんであたしらに、何も言わずに背負い込んでいるのか……ってさ」


 ニアの問いに、私は何も答えられなかった。

 その答えは、きっと、リエージュの先にある。


「リアンの記憶……。現状は、次の手立てもない。だから、また後でいい。今は――ニアを助けたい」


 そう言うと、ニアが少し眉を寄せた。


「……助けるとか、やめて欲しい。穢れのこと、変に意識してしまうだろ」

「……ごめん」

「ま、いいけどな。とにかく行こうぜ。真氷蒼石の破片、博士のとこ返しに行かねーと。メルトが変なことしないうちにさ」


 確かに、放っておいたら本当に博士が " (モテアソ)ばれ ” かねない。

 私は肩を揺らしながら笑い、ニアと並んで歩き出した。

 幼き日のアリヴィアとリアンと歩いた道とは違う。

 けれど、この先に続くものは――きっと、あの頃の私達にも繋がっている。


 ティラミスの街が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 空に、ひとすじの光が走った。

 それは、夢とうつつの境をすり抜けるように、静かに夜の街へと消えていった。

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