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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第二部 ティラミス編 - 第六章 風音に薫る雷花
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第六十一話 孤独に舞った記憶の欠片

 銀青の柱が円陣を描くように立ち並ぶ、属性干渉室の中心。魔導円の縁が淡く発光し、真氷蒼石から広がる冷気が足元に霧のように漂っている。

 ニアは、円の内側に立っていた。胸元に手を当て、深く息を吸う。小さく震えているのが、私にも伝わった。


 干渉の鍵を握るのは、彼女の中に宿る精霊核。

 それはジュエルソウルの魔核と共鳴したことからも、記憶の奥深くに届く媒体としての適性が示されている。


 ただし、それはあくまで()()()()()

 博士は言っていた。記憶干渉は、精神構造に深く触れる。場合によっては、『本人にも予測できない影響を与えるかもしれない』と。

 それでも、ニアは一歩を踏み出した。


「始めます」


 ストロー博士が頷き、魔導盤に手をかざす。

 ――干渉、開始。


 ニアの胸元から、かすかに光が零れた。

 精霊核が応えるように震え、共鳴符が白銀に光る。

 魔導円の中心で、真氷蒼石が淡く脈打つ。

 雷導管の一柱が青白く閃き、続くように他の柱も連鎖的に光を帯びてゆく。

 空間が、震える。光が絡み合い、空気の色が変わった。

 冷気と雷。二つの属性が重なり合い、音もなく空間を歪める。

 時間そのものが息を潜めるように、室内の気配が沈み込んでいく――。


 魔導円の中心に、リアンの身体を包むように、蒼い光が花のように咲き広がった。

 ニアが(マブタ)を閉じる。

 その瞬間、風が吹いた。


「……っ、来る!」


 かすれた声が、静寂の中に呑まれていく。

 雷導管が低く唸り、魔導円の縁に青い閃光が走った。

 冷気が床を這い、空間の輪郭がぼやけてゆく……。


 全てが溶けて、色を失い、沈黙すら凍りつく――その瞬間。

 世界が、砕けた。視界の底で、ひとつの “ 音 ” が跳ねたような気がした。

 それは、声ではなかった。

 それでも、何かが返事をした――そんな感覚。

 次の瞬間、私の意識は、現実の縁から滑り落ちていた。


 光も音もない空間。

 そこは、どこまでも無音で、どこまでも遠かった。

 深海の底のような重たさ。

 けれど、水ではない。風もない。気配さえない。

 ただ、『空白』だけが広がっていた。


 何もない世界なのに、ニアの髪がふわりと揺れる。風というよりも、それは記憶の気配……。


 空間が、世界の表面からゆっくりと剥がれてゆく。

 現実と非現実の境界が淡くなり、属性干渉室は “ 内側 ” へと沈んでいった。


 ――風が、鳴いている。

 それは遠い昔の声。誰かの泣き声にも似た、儚く、切実な残響。

 何もないはずの空間の奥で――ぽつんと、座っている誰か。

 ひとりの少年。

 (ウツム)いたまま、動かない。

 まるで『人形』のように、呼吸の気配すらない。


「っ……リアン……?」


 私の胸が微かに熱を帯びる。

 でも、声は出ない。言葉にならない。

 この場所では、私の存在すら、うまく形を保てていない気がする。


 それでも――。

 彼の孤独が、痛いほど伝わってきた。


 これは、リアンの記憶の中。

 いや、記憶ですらないかもしれない――。


 思い出にもならなかった、感情の底。

 誰にも見られたことのない、名もない場所。

 彼が長い間、たった一人で座り込んでいた場所。

 誰にも手を伸ばせなかった時間。

 誰の声も届かなかった場所。


 ニアの呼びかけが、どこかに滲む。

 魔導円の中心で、リアンの身体が微かに震えた――ように見えた。


 私は、ゆっくりとその背に歩み寄る。

 歩くたび、空気が軋む。

 一歩ごとに、冷たい氷の上を割って進むような感覚。

 凄く……怖かった。

 でも、――怖がっていたのは、きっと彼も同じだった。


「リアン……聞こえる?」


 声は静寂になって消えていった。

 けれど、彼の肩がわずかに揺れたような気がした。

 その仕草が、微かに――幼い頃の彼と重なって見えた。


 私は、もう一度、そっと手を伸ばす。

 ――今度こそ、リアンの心に……。


 私は、リアンに歩み寄りかけて、しかし、踏みとどまる。

 今、彼の意識は『深層』にある。

 干渉できるのは、ニアだけ。

 彼女の声だけが、そこへ届くことを十分に悟っていたから。


「……見える……何かが……」


 ニアの呟きが、沈黙の向こうから聞こえてくる

 彼女の視線の先――そこにあるのは、『記憶の欠片』。

 ゆらりと浮かぶ、赤い光。赤い……宝石のような光だった。

 それは、リュミエールの“記憶”を封じた魔導石と、酷似していた。

 いや――同じものなのかもしれない。


 ニアがそれに手を伸ばそうとした瞬間、空気が反転した。

 雷鳴。無音のはずの空間に、鋭い閃光と共に咆哮(ホウコウ)が響いた。

 ニアの身体が強く揺れ、膝をつく。


「ニアッ……!」


 私は思わず叫びかけるが、その声は届かない。

 光が砕けたように拡散する。

 赤い記憶の欠片が、いくつも、いくつも空間に舞い始めた。

 それは、幻なのか、それとも――。


「……違う……違う、これ……」


 ニアの声が震える。


「……リアンの記憶じゃない……誰かの、怒り……悲しみ……っ」


 次の瞬間、魔導円の端が揺らぎ、雷導管の一本が異音を立てる。


「干渉ノイズ!? くっ、魔力逆流か……!」


 博士が叫び、手元の調整盤を乱打する。


「ニア、離脱を――」

「……待って!!」


 ニアの声が、鋭く響いた。


「まだ……見える……何かが、奥に……ッ」


 その目は涙で滲みながらも、強く、前を見ていた。


「リアン……リアン、貴方は……!」


 光の奔流のなか、何かが微かに応えたように思えた。

 ほんの一瞬。赤い光が静かに瞬き、その中から、誰かの輪郭が浮かび上がった――。

 けれど、その輪郭は形を保てず、すぐに霧散する。


 ニアの身体が再び大きく揺れた。

 次の瞬間、干渉室のすべての光が一度に弾け、魔導円が停止する。

 風が止む。沈黙が戻ってきた。


 私は駆け寄った。

 ニアは膝をついたまま、目を見開き、ただ前を見ていた。


「ニア……!」


 彼女は、ゆっくりと頷く。


「……届いた。ほんの少しだけ、……あれは、間違いなくリアンだった」


 その声には、寒気混じりの震えと、小さな希望が宿っていた。

 私は、その落ち着かないニアの手を取った。


「……ありがとう。きっと、これが始まりになる」


 ニアは弱く笑って、力を抜いた。

 ストロー博士が静かに言葉を零す。


「……今回は、干渉限界点で止まったが……確かに “ 何か ” があったな」


 夜の空には、満月が浮かんでいた。

 その光は静かに揺らめきながら、私達の上に、微かに降り続けていた――。

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